第五話 ハリルトン東部前線
フェルナンド達と別れ、ひたすら歩いて日が昇ってきた頃、ヴィクターの耳に金属音のような響きが聞こえてくる。
ガチャガチャと音が鳴るのは鎧を着て走っている者であることが多い。
思ったよりも東に居るのかもしれないと、周りの景色を眺めながら近くの丘を登っていく。
「……そういう事か」
丘に登った瞬間にヴィクターは身を屈めた。
そこから遠くない位置に戦場が見える、東部のヤムニア商業同盟の部隊とハリルトン帝国兵は戦っている最中だった。
帝国と金に煩い商人達が始めた戦争は長い。
しかも前面衝突はせず、今起きているの様な小競り合いが続き、ダラダラと戦い続けているのだ。
戦場があるという事はこれ以上北に行く必要はない、真っ直ぐ西に向かえば中央への道へ辿り着く。
巡回している帝国兵に絡まれても、一先ず運び屋のエンブレムと短剣でなんとかなるだろう、もしギルバートの配下であればすんなり事が進む可能性がある。
しかし絡まれても面倒なのは変わらないので西南西気味に進む事を決めたヴィクターは戦場から離れる様に移動を始めた。
フェルナンド達と別れた川は前線よりも東だったようで、改めて広げた地図の位置とは大きくズレていた。
完全な尺度で作られた地図では無い以上、ある程度の誤差は認めなくてはいけない。
ハリルトンより離れれば離れる程正確に作れないのは当然と言えば当然でもあるが。
「どのくらいズレてるか解れば苦労しないか」
長く留まる程危険になると普段よりもペースを上げて進むと街道とは違う、だが踏み鳴らされた道があった。
地図はアテに出来ない。
コンパスで確認しながら北東側に伸びないであろう道を歩く事を決めた。
長く歩いていたせいか少しだけ傷が痛みだしたのだ。
村でもなんでも、水の使える所で包帯を取り換えたい、そんな思いがヴィクターの判断を曖昧にしつつあった。
その状態で道をなぞる様に歩いた先は、ハリルトンの帝国軍キャンプだった。
東部の大きな街道から逸れた位置にあって東部の侵攻を監視する役目を担っている。
「……やっべ、道間違えた」
西南西と決めたのがそもそもの間違いである事に気づいたのはこの時だった。
東からの警戒網があるのは当然、踏み鳴らされた道があるなら帝国兵が頻繁に使っていると想像が出来る。
引き返そうとした瞬間に複数の足音が近づくのも聞こえてくる。
「ん? そこの男、何者だ?」
馬に乗った巡回の帝国兵に絡まれるのも、キャンプの傍なら当然であった。
「アグアノスの運び屋です、すいません、ここ何処ですか?」
運び屋のエンブレムを見せながら、ヴィクターは膝をついた。
傷が痛くて仕方なかったのだ。
冷や汗をかきながらしゃがむヴィクターに、帝国兵は肩を貸してくれた。
「エンブレムは見覚えがある、とにかくキャンプの中へ……、何処か悪いのだろう」
「切り傷が少しだけ開いたかもしれません」
「わかった」
なんて親切な帝国兵なのだろうと、もう痛みをなんとかしたいヴィクターは他の事を考えられずにいた。
傷があるにも関わらず普段通りに歩くのは自殺行為だなと、改めて思い知るのだった。
…
医師の居るテントに運び込まれ、傷跡を見てもらった。
「随分と無茶したもんだな」
「そ、そんなにですか?」
「待っておれ、消毒する」
巡回の帝国兵は監視も含め傍にいた。
「これは、剣による傷と似てないか?」
「そのようだな……、綺麗に縫われているがこの状態で歩くもんじゃないぞ、エルフといえど無茶したら死んでしまう」
「気をつけます」
しばらく治療してもらい、痛みが落ち着いてきた所で帝国兵は静かにヴィクターに尋ね始めた。
「さて、名前は?」
「ヴィクター・エル・ネヴィルです、先ほど言いましたが運び屋です」
「この辺りに仕事か?」
「ですね、中央に運ぶところです……、依頼主の関係で深くは話せませんが」
「ああ、先に行っておくが尋問するつもりはない、ヤムニアの連中にエルフは居ないから君をスパイだのと疑う者は少ないし、おまけにアグアノスは西部よりも西だ」
「それは良かったです」
しばらく休んだら中央への道を聞いて移動しようと決め、面倒事にならずに済んだと安堵した。
「ここに居る間、形だけの監視になると思うが……、ハリルトン第十四遠征騎兵部隊所属のクリス・バーネットだ」
頼りがいのある帝国兵だという印象を抱かせる、そんな好青年だった。
お堅い兵士でもないので、親しみやすいというものだ。
「若いから雑用が多いがね、騎兵は出番が少なくてな」
「そうなんですか?」
「大規模な戦闘は殆どない、歩兵や弓兵の者達が防衛陣地で粘るくらいだ」
「それであんまり殺気立ってないんですね、ここ」
医療テント内だというのに負傷者は殆ど居なく、静かなモノだった。
「さて、ここからは興味本位なんだが……、その真新しい傷は何処でできたんだ? この辺で野盗がいるっていう話は聞かねぇからな」
なんと返事をすればいいか悩む。
なぜなら貴族の刺客から狙われて切り付けられたモノである以上、迂闊に喋ればまた黒装束が現れるかもしれない。
「言いにくそうだな、だがヴィクターさんよ」
「なんでしょう?」
「そういう話っていうのは大体貴族絡みってこの辺じゃ相場が決まってる、どうだ?」
「まぁ、そんな感じで詳しくは言えない感じです、すいません」
「こういう推理は好きなんだよね俺」
「野次馬みたいな事言わないでくださいよ」
「それくらい暇なんだよ、大体どうやって東から来たんだ? ヤムニアから渡ってきた訳じゃないだろう?」
「貴方が無関係だとしても、仕事上口を滑らす訳にはいきません」
「真面目な奴だ、喋っても依頼主にはわからんだろうに」
相当暇なのか、しつこくヴィクターに質問をしてきた。
こちらとしてはゆっくり傷を癒したいのだが、クリスのせいで落ち着かない。
「そんなに頑固なら、荷物の中身見ちまうぞ?」
「わかりましたよ」
そう言って、ヴィクターは例の刺突剣ではなく香辛料を見せた。
「なんだこれ」
「香辛料です」
「これを運んでたのか?」
「中央の商人達に、入手先が問題あるのでそれ以上は言えません」
一応、戦闘中である竜人族の湖畔から貰ったものである以上、嘘は言っていない。
「へぇ、色々入ってるな」
だが、クリスは騙せてもそこに居た医師は反応していた。
「これは、南部よりも南の香辛料じゃな?」
「……」
「バラノフ軍医、詳しいな?」
「元々南部におったからな、ホビットの商人が自慢げに良く話しておったわ……、南のエルフじゃろう?」
「なるほど、ヴィクターさんもエルフだ、南部の竜人族から怪しまれないと?」
「わかりました降参です、南部から来たんですよ」
悔しいのでヴィクターは蕃椒を味見させる、二人とも見事にむせていた。
「うぉ、辛い……」
クリスは手持ちの水を急いで飲むが、バラノフと呼ばれた軍医は驚いただけで辛さには強いらしい。
「なんて味だ、だが香辛料だけで切り付けられるのか? 奪いたい程魅力は……、あるかもしれないが」
その瞬間、クリスはバラノフに小突かれていた。
「ま、香辛料しかねぇみたいだし、傷が落ち着いたら中央への道を教えてやるよ」
クリスは今までと違い、不自然に大きめの声を出していた。
不自然だが、ヴィクターにはよくわからない。
「それは、ありがとうございます」
バラノフは静かにテントの外を見渡し、戻ってきた。
「どうだ?」
「とりあえず去ったよ、全く嫌な連中だ」
「誰か居たんです?」
「潔癖共だよ、監査官っていう連中がいるからな……、助かったよバラノフ」
「あいつ等を好むのは商人共だけじゃ……、さて、これで潔癖共の刺客はおらんぞ?」
ハリルトン帝国の内政は随分と荒れているらしい。
仕事とはいえ巻き込まれたヴィクターにとっては迷惑でしかない。
深く考えもせずにギルバートの依頼を受けた事を後悔する事しか出来なかった。
仮に今の仕事が、沢山の人々を救うと言われても乗り気はしない。
「……助かります、この傷もその、潔癖さん達にやられたモノでして」
「そんな気はしたよ、香辛料運びじゃなくてなんかでっけぇ仕事してんだろ」
「しかしそれなら急いだ方がいいのかもしれんな、南部の依頼を受けて東部にいる……、真っ直ぐ南部から中央に行けなかったのだろう?」
「あ~、確かに不味いかもしれねぇ」
クリスとバラノフが言うのをまとめると、東部に傷ついたエルフの運び屋が居ると言うだけで追手が来ると言う可能性があるという事だった。
南部で捕まらず、死体も確認出来てない。
不自然に表れた東部前線の運び屋、しかも南部で消えたエルフと特徴似ていると伝わった瞬間に追手は確かめに来るだろうと。
「そんなに伝達、早いんですか?」
「ハリルトン帝国の強みだよ、躾けられた鷹共の連絡網は素早い、このキャンプに起きた出来事を監査官は夜にでも鷹を飛ばす、明日の朝には南部からの報告と照らし合わせて……、昼には誰か来るだろうさ」
馬車の護衛に優秀な護衛犬がいるように、伝達する鷹もまた優秀なようだ。
「中央まで馬を飛ばしても二日は使う、というか、南部からここまで相当な距離があったのにどうやってここまで来たんだ?」
「竜人族の水棲馬に乗せてもらって、です」
「川沿いに北上してきたのか、それなら東部前線の近くなのも当然か……って水棲馬ぁ!? 魔獣じゃないか! 南部前線すげぇのと戦ってたのか!」
東部の川には野生の水棲馬がいる、帝国兵が危険視しているのもわかると言うものだ。
あんなのとまともに殴り合える戦士や騎士など、常人ではない。
「ま、まぁそれなら納得だ、アレの速度はとんでもないと聞くからな」
「傷の関係で無茶は出来ん、近くの街まで隠れながら行くしかあるまい」
「行くなら今夜だ、鷹が飛び立った後にこっそり行かないとバレる」
それまでは休めるという事だ、少しでもまともな状態にしなくてはいけない。
「馬を使えればいいんだがな」
「それは目立つ、街道ではない道を教えよう」
「なんでも知ってますね、バラノフさん」
「貴族から逃げたい連中はいくらでも居るからの……、お主はしっかりと休んでおれ」
「はい」
遠征二回目の依頼は、すっかり帝国の内情に巻き込まれてしまった。
ギルバート邸に戻ったら次は受けないようにし、全て父に任せようと心に決めるヴィクターであった。
…
深夜、バラノフは精霊薬を使用し、ヴィクターの抜糸を行った。
精霊薬とは本人の生命力を活性化させ無理やり傷口を塞ぐ薬だ。
麻酔は効かないため、相応の痛みが伴うが逃げる最中に傷口が開くよりはマシだ。
「処置完了だ」
「精霊薬治療出来るんですね」
「前線では必須だからな、いくら危険でも覚えていかねば職を奪われる」
精霊薬治療は精霊信仰、教会が作り出した奇跡の技術だ。
素人がマネ出来るモノでは無く、しっかりとした知識と技術を身に着けなければ精霊薬で患者を殺してしまう事が多い。
流通量も多くないので値段も高い、今回は香辛料があったのでそれと交換する事で精霊薬代を何とかする事が出来た。
物の価値は人によって変わる。バラノフは淡白なキャンプのご飯を何とかしたいとの事で丁度良かったらしい。
身支度を整えるとクリスがテントにやって来た。
「そろそろ行くぞー」
クリスは鞍を担いでいた。
「あれ、クリスさんも行くんですか?」
「中央に戻る用事は無理やり作った、態々隠すくらいなんだし大事な事なんだろ?」
「まぁ、送り届けてしまえば何も問題はないからな……、ここもクリス様お一人減った程度では変わりませんよ」
「様……?」
「一介の帝国兵であり元貴族さ……、皇族に味方したら家も名も失ったさ」
「詳しくは聞かないでおきましょう」
「助かるよ、じゃあ行こうか」
テントの外は当然のように帝国兵が沢山居る、この中に貴族達の刺客が居ても不思議ではない。
「皆さん仕事熱心ですね、夜中だというのに」
「この時間は特に嫌がらせが酷いんだ、ヤムニアの妨害工作は侮れん」
「大変ですね」
「君も他人事じゃないぞ、運び屋が戦争に利用される事は珍しくない」
今も帝国の皇族に利用されているのは事実だ。
商人同士の抗争に巻き込まれた事よりも複雑で、命の危険もある。
「もう、利用されてますよ」
「そのようだな」
馬に乗り、巡回の帝国兵と共にキャンプの外へ向かう。
同行しているのも味方なのか、ヴィクターは迂闊な事は聞けないと黙ったままだった。
「じゃ、俺はこのまま中央に向かう」
「お気をつけて」
平原という事もあって月明りを遮るモノはない。
大きな街道に出ると巡回の部隊からは離れて、クリスとヴィクターを乗せた馬は速度を上げていく。
「見つかる事はあっても到着してしまえば我らの勝ち、しっかり掴まっておけよ!」
「はい!」
傷を塞がねばまた悪化していたのではという程の暴れ馬だ。
だがその分体力があるのか、クリスの馬は速度を緩ませる気配すらない。
「ふふ、こいつも喜んでいるな」
「そ、そうなんですか?」
「退屈な巡回ばかりだ、こんなに走り出したくてもそうはいかない」
クリス本人も楽しんでいるのか、その表情は嬉しそうだった。
しばらく走り続けるがヴィクターは妙な違和感を覚える。
「深夜とはいえ、誰とも遭遇しませんね」
「そうだな」
「東部前線を支える街もあるのでしょう? 街道の警備部隊も遭遇しませんよね?」
夜の方が不審者は行動しやすい、人目を少しでも避ける為に走るクリスやヴィクターもそうだ。
キャンプから出て結構な時間が経過していた。
それでも帝国兵と遭遇しないのは運がいいのか悪いのか。
「街まではもうしばらく走る事になる、が、確かに警備隊に遭遇しないのは不思議だな……」
クリスの巡回部隊が深夜に動いた様に、警備部隊も昼夜問わずに任務があるとクリスは語った。
街道は補給路でもある、故に賊や妨害部隊に警戒しなくてはいけないとも。
不審に思っても今更緩める事など出来ないと、クリスは馬を止めない。
「おい、後ろの荷物からボウガン取ってくれないか、ボルトもある」
クリスは少しだけ馬を抑え、馬の揺れを小さくする。
荷物からボウガンとボルトを取り出したヴィクターは少しだけ嫌な予感がしていた。
「ヴィクターさんよ、それの使い方を知ってるよな?」
「一応、父から習いはしましたが」
「上等だ、なら何時でも撃てるように準備しておいてくれ」
「追手が来るんですか?」
「備えだよ、こんなに警備隊遭遇しねぇ事を考えると網があっても不思議じゃない、勿論偶然遭遇しなかっただけって事もあるが用心はしておかねぇとな」
「……、ですね」
再び速度を上げて走り出す、街はまだ遠いらしい。
この街道を走っていくと辿り着くのは三番街、つまり中央付近まで休憩地点まで休憩できる街は無い。
横道に逸れれば他の街があるとの事だが、この大きな街道は大部隊が進行出来る様に、そして途中の街が戦場にならない様に出来ている。
東部前線までの街は防衛しやすい様に地形を利用しているとも。
そして中央都市は火山地帯にある。
南では特に感じなかったが東側は小さな山が多く、この街道は中央に近付くほど起伏が激しく谷もある。
三番街の前に、ハリルトン東部防衛司令部が存在する『六番防衛地帯』が存在する。
街道の一部は谷に作られている事を利用し、谷に防衛拠点として六番砦を作っているのだ。
防衛地帯とは、その谷全て一ヵ所以上の門が存在する地帯であり、東部からの攻撃に備えた天然の要塞だ。
商人達もこの防衛地帯のおかげで、賊も奇襲しやすい地形でありながら奪えずにいる。
起伏が激しくなり、一つ目の谷が現れた時が一番警戒しなくてはいけないとクリスはボウガンを渡したのだった。
「賊には厳しいが貴族には優しい、刺客共が網を張るなら此処だろう」
「普段なら安心出来る場所なのに……」
「しっかりフード被っておきなよ、エルフだとバレると追ってくるかもしれん」
フードを被っていても良く見れば耳の所が不自然に伸びる。
被らないよりはマシと言った程度だがしないよりはいい。
「今更どうでもいいかもしれませんけど、僕ハーフですからね」
「連中にとっちゃ同じだよ」
不安に駆られながら、時間は経過していき月の高さが変わっていく。
すると、火の光と共に一つ目の谷が見えてきた。
「急ぐと怪しませる、此処からは馬を歩かせるからな」
「はい」
六番と名付けられている通り、ヴィクターが立ち寄った五番街より中央からの距離がある。
おまけに一直線ではなくぐねぐねとした谷を移動するため距離は長い。
馬を休ませる為にも歩かせ、不審がられる事も減る、そういう事だった。
「直ぐにアンタの手帳見せれるようにしておいてくれ、アグアノス商会のエンブレムは必要だ」
ヴィクターは頷き、馬はゆっくりと門へ近づいていくのだった。
…
結局刺客は現れなかった。
いくら伝達が早くても直ぐには現れないらしい、遭遇しなかった警部部隊も門から出てくる所だった。
月の位置だけで時間を予測するのはまだ難しいなと、ヴィクターは父の知識の深さを思い知る。
「止まれ、装備は我が帝国軍のモノだが、後ろの者は誰だ?」
門の兵士に呼び止められ、クリスとヴィクターは馬から降りる。
「ハリルトン第十四遠征騎兵部隊所属のクリス・バーネットです、コイツは中央行きの運び屋で、一緒に向かっている最中です」
ヴィクターはアグアノスのエンブレムを見せ、クリスは部隊用の紋章を掲げていた。
大げさだが、これが一番わかりやすいとの事だった。
「確認した、アグアノスの運び屋が居るとは珍しい……、東部へ行く際に此処を通過したか?」
「いいえ、未開圏を通って来たので此処を通過するのは初めてです」
嘘は言っていない、あの川は水棲馬が居る未開圏の扱いなのだから。
「無茶をする……、何を運んでいるか確認させてくれ、此処を通過していないとなればヤムニアの関連が疑われるのだ」
「わかりました」
そう言って香辛料を見せる、お土産を貰っておいて本当に良かったと感じていた。
「ほぅ、色んな商人の荷を見たがこれは珍しいな、ついでに伝票も確認出来るか?」
「……」
「どうかしたか?」
一応、砦に向かう際に用意した書類の中に偽装した伝票は存在する。
しかしその伝票に記載された荷は香辛料ではない、しかも名は偽装されているが封蝋は皇族の物だ。
「クリスさん、後ろを向いてもらっても?」
「構わないが?」
「ありがとうございます」
ここはどうにかしてこの門番を誤魔化すしかない。
先程から喋っている門番ともう一人、辺りを警戒している門番を。
「訳あって伝票をお見せする事は出来ません、しかし、それでは納得しないでしょう?」
「そうだ」
「ですので、一部だけお見せします」
そう言って伝票の封蝋部分だけを見せる。
ギルバートの使う偽名と、蝋に描かれた紋章を。
「これがどうかしたのか?」
一人の反応は薄い、しかしもう一人はすぐに気が付いた様だった。
「わかった、そいつには私から説明しておこう……、通して問題は無い」
「ご理解、感謝します」
耳打ちで反応の薄い門番は理解したようだった。
「アグアノスの、いやエルフの運び屋を使う程の用事か、君も大変だな」
エルフと人間の運び屋に大きな違いはない、しかし誤解してくれるなら結構だった。
「普通のお仕事なら大歓迎なのですが」
「金を用意すれば問題ないという貴族もいる、なかなか現場の苦労は理解されないものだ」
「貴族様に怒られますよ?」
「それは大変だ、何千人怒ればよいのだろうな」
ここでも貴族は嫌われているらしい。
再び馬に乗り、クリスはゆっくりと馬を歩かせる。
谷には輝石と呼ばれる、淡い光を放つ鉱石が設置され、月明りが遮られても視界はわるくなかった。
「で、さっきのはなんだったんだよ」
「伝票の件ですか?」
「ああ」
「そうしてもらった方が嘘の信憑性も上がるという演技です、伝票を素直に見せたら香辛料ではないと気付かれてしまいます」
「俺も見ちゃいけないのか?」
「すいません、運ぶ物は大変危険な物らしいので」
「おっかないな」
キャンプの時点である程度は察していたようで、だからこそ黙って協力してくれているらしい。
「三番街で休まねぇとコイツが倒れちまうな」
「三番街まで行ってもまだ遠いんですか?」
「ああ、地形のせいでな……、真っ直ぐ行けるなら大した距離じゃないんだが」
六番防衛地帯は問題なく進行出来ている。
最初の門さえ抜けてしまえば他は問題なく通してくれるからだ。
クリスが遠征部隊の装備であるのも大きい、帝国兵は身内には甘い所があるようだった。
ヴィクターの耳が気になった帝国兵も居たが、運び屋の紋章を見せればどうにかなる。
彼らにとってアグアノスは名前を知っているがどんな街なのかは知らない。
故に他種族であってもそういうものかと何となくで頷いてしまうのだ。
「しかし、この谷綺麗ですね」
「そうか? 物騒ではあるが」
夜の谷に輝石の淡い光。
独特の淡い紫色の光は、地面に生える雑草や、道に使われている石材に反射して幻想的な光景になっていた。
遠くでも街道、通る道は明るくして兵士が隠れるところは暗くする。
視覚的な罠でもあるのでクリスは物騒だと言うが、それも含めて淡い光は魅力的な街道のように見えるのだろう。
道だけが暗くてもハッキリと見える、誘われるように飛び込んだ賊は門の部隊からハッキリ見える事だろう。
「怖いモノや恐ろしいモノだからこそ美しい、魅力的だと感じる事もあるそうです、父が言っていました」
「まぁ相手殺す、兵士達の洗練された動きってやつにすげぇと感じる事はあるな」
「洗練された動き、決められた動作通りに動ける、罠が罠として成り立つというのも洗練された、と言っていいかもしれません」
「この谷で賊が襲ってこないのも納得か」
谷には門の他にも詰め所の様な建物が設置されている。
砦や門から死角になる位置を補うためだ。
「覚悟しておけよヴィクターさん、六番防衛地帯と三番街の間、そこが一番の狙い目だ」
「ですよね」
進めば進むほど、遭遇する帝国兵の数は増えていく。
防衛地帯の中央、東部前線の要でもある六番砦が見えてきたからだ。
東側の最難関、この場所を攻略する事が出来ればハリルトンは落ちる。
ヤムニア商業同盟が中々攻めて来ないのもこの砦があるからだ。
防衛地帯が存在する限り、ハリルトン東部地方を占領する事は出来ない。
それ程の軍事力なのだと納得するのは、すれ違う帝国兵を見ればわかる。
クリスも防衛部隊の一員として背筋を自然と伸ばしていた。
規律、威厳、恐怖。
練度の高さを物語る彼らの背中に、少年であれば憧れたかもしれない。
「流石、帝国の要ですね」
「まだ貴族だった頃は六番砦が恐ろしくて行けなかったが、没落して此処に拾われた時は嬉しかったよ、ここで訓練したからこそ今の俺が居る」
すれ違う騎士や兵士にクリスは礼儀を忘れない。
ヴィクターと話すような砕けた口調ではなかった。
「騎士には憧れる、潔癖共は単なる兵士としか思ってないが、ハリルトンを築き上げ、強国としての地位があるのは歴戦の騎士達のおかげだ」
「その、貴族が嫌われていますけど皇帝は皆さんどう思っているんです?」
「貴族の部隊は知らんが、嫌っている奴なぞ居ないんじゃないかな」
「凄いですね」
「昔は貴族も皇帝に逆らおうなんて奴は少なかったが……、軍備増強を掲げる皇帝一族と、それのおかげだと言うのに平和しか知らん若い貴族達は反発するんだ、俺も昔はそうだったが」
「良くも悪くも、余裕のせいですね」
「そういう事らしい、ヤムニアもどれだけ攻めてもビクともしない帝国だからこそ戦争をしていると言える、どうも増えすぎた人口や厄介な奴を戦争で間引くとか、嫌な噂は良く聞く」
使える物は人だろうと国だろうと利用する、ヤムニア商業同盟は中々厄介な政治をしている様だった。
国は纏まらず、問題は増える。
厄介事を、死を持って解決しようとする辺りが迷走していると、前線の兵もやる気下がるらしい。
「ヤムニアには皇帝のように纏め上げれる中心人物が居ないらしい、内乱もあるらしくてな……、防衛本部は勝っても損しかないらしいから一切攻めないんだと、ヤムニアとしては占領してほしいのだろうな」
「占領して、国民を何とかしてほしいから攻撃していると?」
「そういう声もよく聞く、戦争する前はよく交易してたんだがな……、指導者に反発し転覆してから交易は減り、その後は何故か戦争だからな」
「転覆した後が上手くいかなかった、アグアノスでもよく聞いた話です。 商人達でヤムニアから逃げて来たって人も居ましたから」
貴族たちは現状を理解した上で攻め落とせと皇帝に進言している。
民を圧政から救うと言う者もいれば、自分の領土を増やしたい貴族など思惑は様々だ。
皇帝としてはこれ以上領土増やしたくはないと言うのがよく聞く話だとクリスは語る。
ハリルトンは既に広大だが、貴族達は満足していないらしい。
貴族の領民が忠誠を誓っているのは皇帝だ、貴族ではない。
皇帝の力が強大である故に国は安定する、それで満足しない者のが居ると言うのがヴィクターには不思議でならない。
「安定するのは、良い事では?」
「自己顕示とでも言うのかな……、皇帝の眷属では物足りんらしい、馬鹿な考えさ」
国の現状は満足しているが、それが嫌だと言う連中が居る。
愚痴が中々言えなかったのか、外の人間であるヴィクターにクリスは谷を抜けるまで喋り続けた。
元貴族であった自分を戒める様に、何度も繰り返して文句を言う。
ギルバートの依頼は、クリスの様に兵士達を助ける事に繋がるかもしれないと考えると先ほど受けぬと決めた事も悩んでくる。
仕事だと割り切れれば嫌な事も出来る、でも巻き込まれたくはない。
命も狙われないならそれに越した事は無い。
「……難しいな」
「どうかしたのか?」
「依頼人との付き合い方です、難しいなと」
「仕事の悩みか、でも良い事もあるから続けてるんだろ?」
「まぁ、そうですけど」
確かに美味い飯とお風呂は捨て難い、面倒事が嫌いな父でさえ通う魅力がある。
そうだ、戻ったらそれを要求すればいいと。
ヴィクターの決心は、物欲を抑えられずに決まるのだった。
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