第四話 湖畔の部族達

 日が落ち切り、松明の明かりと月明りの中でヴィクターは二十三番砦に向かっていた。

 二十二番街から近いとはいえ、街を出る頃には遅い時間だったせいかすっかり暗くなってしまっていた。

 だが、砦の明かりはうっすらと見えている。

 街道を歩き、松明を取り換えようかという所で砦に辿り着いていた。


「何者だ」

「運び屋です、依頼があってこの砦に」


 燃え尽きそうな松明を門の傍の鉄の入れ物に放り投げ、荷物を下ろす。

 その後、ギルバートから渡された短剣と皇族の紋章が描かれた封蝋を見せると、すんなりと中に通された。


「短剣は収めてください、何処に潔癖共の刺客がいるかわからないので」

「はい」


 そのまま砦の奥へと進んでいくと、指揮官の私室へと案内された。


「こんな時間にどうした?」

「中央から、指揮官へ贈り物です」


 扉を開き、短剣と封蝋を再び見せると素早く中へ連れ込まれた。


「運び屋か?」

「はい」


 封蝋を開き、内容を確認すると指揮官は暖炉へと投げ込んでいた。


「これだ、持っていくといい」


 渡されたのは羊皮紙に包まれた短い刺突剣だった。

 指揮官も貴族なのか、封蝋には別の紋章が描かれている。

 刺突剣を布で包み、鞄の中へしまう。


「これは非常に危険度の高い代物だ、必ず届けてくれ……、そうすれば南部の争いは終わる」

「潔癖共に隠蔽される訳にはいかないのです」


 詳しく説明しようとした兵士と指揮官をヴィクターは遮った。


「説明を受ける訳にはいきません、私は運び屋です、事情等は関係なく必ず大事に運ぶのが仕事ですから」

「うむ、良い運び屋だ……、明日の朝に出立するといい、夜はトカゲ以外の危険が多い」

 深くは聞かない、そのまま客室に案内されヴィクターは腰を落ち着けた。

 足などをしっかりと休めるが、装備は外さない。

 戦う術は学んできたとはいえ、戦場を生き抜いてきた精鋭や、訓練を受けた者との戦いは困難だ。

 勝つ為ではなく、死なない戦い方をしなくてはいけない。

 襲われると決まった訳ではないが警戒しておく事に損はない。

 何時でも剣を抜ける様にしておきながら、ヴィクターは仮眠をとった。





 数時間後、地響きでヴィクターは目を覚ます。


「……、なんだ?」


 窓の隅から外の様子を窺うと、兵士達が慌ただしく動いていた。

 中には負傷者もおり、門の外では戦闘が起きているのがわかる。


「竜人族の戦士か、こんな時に……」


 こうなってしまっては外に出る事が出来ない。

 迂闊に外に出れば襲ってくれと言っているのと同じだ。

 様子を窺っていると、ハリルトンは劣勢のように見えた。

 竜人族はトカゲの様な見た目と鱗のような皮膚を持ち、中には翼まで持つ者もいる戦士の部族だ。

 一人一人の強さは他の種族を圧倒する事が多く、傭兵団として活躍している事もある。

 部屋から身動きが取れず、考えている所に一人の兵士がやってきた。


「砦は持ちません、撤退しますので運び屋も合流を」

「わかりました!」


 通路に出た瞬間兵士は倒れ、すぐ傍には見慣れぬ装備、黒装束の人物が立っていた。

 顔を隠しており、男か女かもわからない。

 わかる事と言えば目の前の兵士を殺し、ヴィクターも狙われているという事だ。

 無言で剣を向けられ、ヴィクターもショートソードを構える。


「竜人族が迫っています、巻き込まれたくないなら逃げるべきでは?」

「……」


 有無を言わさず剣を振り下ろしてきたのでなんとか受け止め距離を取る。

 受け止めた感触でわかったのはこちらの方が筋力はあるという事、力比べでは勝てるらしい。

 しかし捕り付かれ、体術で迫られた場合は勝ち目が薄い様に感じる。

 黒装束は剣で刺突し、横に回避してもそのまま薙ぎ払いで切り付けてくるのをヴィクターは受け止める。

 迂闊に攻撃は出来ない、それ程の差を感じていた。

 睨み合いを続けながら、ヴィクターは少しずつ通路を移動する。

 この際竜人族でもいいから、とにかくこの状況を変える要素が欲しいと願うしかない。

 何度も刺突や薙ぎ払いを完璧に受け止められる訳もなく、ヴィクターの装備に傷が増えていく。


「……、しぶとい」

「女性の方でしたか」


 声を遮るように再び切り付けられるのを、たまたま空いていた部屋へと入り回避する。

 しかしそれは罠であり、自分を袋小路に追いやっただけであった。

 ヴィクターが寝ていた客室と同じ様な部屋で、一通りの家具があるだけだ。


「これでおしまい」


 そう言って切り付けようとする所に、ヴィクターは全力でショートソードを投げつける。

 戦闘が得意ではないが力はある。

 黒装束が危うげに防ぐと同時に、ヴィクターはベッドの上にある毛布を相手に被せた。

 振りほどこうとしても遅い、そのまま毛布の端を器用に扱い、背に回って両手と体を押さえつける。

 そんな状態ではまともに剣も振るえない、背中から体当たりして床に押し付けると同時に毛布で縛った。

 暴れれば解けるが、今はヴィクターが上に乗っている状態だ。

 そのままナイフで相手の衣服を多少切り裂き、それで足首を結んだ。


「盗賊が良く使う手です、驚きました? 布があるなら警戒した方がいいですよ」


 結ぶと同時に、ヴィクターはショートソードを拾って走り出す。

 殺す気はない、時間を稼げればそれでいいと。

 通路に出て、急いで撤退する部隊と合流しようと走り出す。

 しばらく走り、そろそろ外に出るという所で別の黒装束が現れた。


「嘘でしょう……」


 連日の疲れも響き、正直相手をする余裕もない。


「知っていますか、砦の兵士達はもう撤退しているのですよ?」


 言葉通り、外では何か聞こえるが砦の中には動いている兵士が居ない。

 先ほどの刺客のせいで、随分と時間を稼がれたようだった。


「それなら、僕に構わず逃げた方がいいのでは?」

「貴方の受け取った物次第ですね」


 一気に距離を詰められ、何度も切りつけられる。

 防ぐのが手一杯で、徐々に壁の方へと押しやられていた。

 致命傷にはならないが何度か皮膚を切り裂かれている。

 手も痺れ、どうしようもなくなったと同時に足を引っかけられ派手に転んでしまった。

 剣を振り下ろされ、首を切り裂かれそうになった瞬間、黒装束の体は吹き飛んでいた。


「な、なにが?」

「大丈夫か、エルフの者よ?」


 吹き飛ばした力の正体は、竜人族の部隊だった。

 撤退した部隊を追う事も無く、そのまま砦に入ってきたのだろう。

 砦の中に次々と竜人族が入ってきた。


「えっと、ありがとうございます」

「何故ここにエルフの者が居るのかは知らんが、森の同胞は救わねばな」


 母の血に感謝しながら、ヴィクターは起き上がった。


「我らはこのまま湖畔へ戻るが、着いてくるか? エルフの者よ」


 大丈夫ですと言おうとした瞬間、黒装束からの怪我が響いてきたのか目眩がおきた。


「あ、あれ?」

「手当てしよう」


 そう言われると同時に、ヴィクターは気絶させられるのだった。





 目を覚ましたヴィクターの感想は首が痛い事だった。


「気絶させなくてもいいでしょうに……」

「その間に切り傷は縫えましたよ」


 そう声をかけてくれたのは竜人族の女性だった。

 声色で女性だと感じたが、実際はわからない。


「すいません、お世話になってます」

「しばらく休んでいってくださいね」


 洞窟の様な場所だった、日の光が入っている事から数時間は眠っていたようだった。

 荷物は簡易ベッドの横に荷物と装備も置いてあり、中も荒らされた様子はなかった。


「あ、目が覚めた?」


 声をかけてきたのはエルフの男性だった。

 手には熱を引かせる薬を持っていた、治療してくれたのも彼だったらしい。


「森のエルフ、では湖畔の傍に里が?」

「あるよー、キミは何処の里から?」

「いえ、ここからだと北西のアグアノスから来ました、ハーフですので」

「なんか違和感あると思ったらハーフだったのか」

「母がエルフなんですけど、一度も見た事が無くて」

「色々事情があるのだろう、閉鎖的な里ではよくある事だ」

「ここの里は?」

「珍しく交流が広くてね、ここの竜人族とはよく取引もしている」


 魚料理が美味いんだと、料理の事ばかり教えてくれた。


「騒がしいと思ったら起きたのか、エルフの者よ」


 一回り大きな、砦で助けてくれた竜人族が姿を見せていた。


「あの時の、助けてくれてありがとうございます」

「気にするな、申し遅れた、我の名はフェルナンド・アナトヴェーユだ、呼ぶ時はフェルでいい」

「ヴィクター・エル・ネヴィルです」


 湖畔の突撃部隊長、先ほどの攻撃の指揮を執っていたようだ。

 エルフの医者は「安静にー」と立ち去ってしまった。


「ヴィクターよ、何故砦の中に?」

「運び屋の仕事の最中でして」

「運び屋が何故襲われていた?」

「仕事をさせたくない人達が居たみたいです」

「ふむ……、運ぶのはどんな物なのだ?」

「南部の争いが終わる物とは、言われましたけどね」


 流石に命の恩人には隠せないと、荷物から刺突剣を見せた。


「邪神の加護を感じるな、それにこの刺突剣の柄は立派なものだ、我らにはわからんが価値ある物なのだろう」


 再び布に包み、鞄へとしまう。

 どうやら竜人族の物では無いようだった。


「そもそもなんで戦っているのですか?」

「我々は湖畔を守る者、向こうが攻め込んできただけよな」

「先ほどの攻撃は?」

「いい加減しつこいので一つ落とした、それだけだ」


 ヴィクターとしては運がよかったのかもしれない。

 襲撃がなかった場合は、道中で黒装束に襲われていたのだから。


「それじゃ、問答無用で攻撃されたと?」

「小さな部隊が何度も嫌がらせに来る程度だ、何がしたいかはわからん」


 適度に訓練も出来て丁度良いとフェルナンドは語るが、何度来られても湖畔から出る程の大きな反撃はないとの事だった。


「事情は私にもわかりませんが、南部の攻撃を止めたい人達にこれを届けると静かになるみたいですし、僕の身の危険もあるので早めに中央に戻らなければいけません」

「ここは安全と言いたいが死角がないと言えんことも事実だ……、同胞が危険なら途中までは護衛しよう」


 この近くの里のエルフでもなければハーフでもあるヴィクターに、同胞と語るフェルナンドに少しだけ申し訳なく感じていた。


「あの……」

「気にするな、湖畔の面倒事をなんとかしようとする者を粗末には扱えぬ、それだけよ」

「ありがとうございます」

「だがその体では満足に戦えぬだろう、もう一日休むといい」

「はい」

「その間に我らも足を用意する」


 竜人族、というよりはこの湖畔にも何か大型の獣でもいるのかと楽しみになったヴィクター少しだけ胸を躍らせた。


「あの、少しだけ出歩いても?」

「傷に触らぬ程度にな、外に出るならそこの者共に声をかけておけ」


 視線の先には軽武装の竜人族達がいた、ここの警備らしい。


「ところでお主、魚は好きか?」

「あまり食べた事がないのですが、嫌いではないですね」

「では、飯時を楽しみにしておけ」


 そう言い残してフェルナンドは離れていった。

 体を起こし、軽く運動してみると疲れやら切り傷であちこちが少しだけ痛む。

 幸いにも死に至るような深い傷はない、慣れぬ遠征と戦闘の疲れが体を重くしていた。

 着慣れぬ上着を捲れば、切り傷を覆う包帯がグルグルと巻かれており、少しでも無茶すれば傷が開くだろう。

 少し傷が深い場所は縫われており、後で抜糸しなくてはいけない。


「そうか、戦士達の傷はこうやって出来ていくのか」


 アグアノスに居た頃に傷を自慢していた者達を思い出す。

 傷の一つ一つに戦闘の思い出があるのだろう、そして傷跡は生き残った証にもなる。

 その戦闘が激戦であった事や名誉に繋がるなら自慢もしたくなるだろうと、ヴィクターは少しだけ苦笑いする。

 自分の傷は名誉とは程遠いが、竜人族への恩義には繋がる。

 仕事が落ち着いたらもう一度来たいものだと心に決めた。


「さて、折角だし散歩してみますかね」


 警備の竜人族に話し掛けると、喜んで案内と護衛をしてくれると言ってくれた。

 客人は珍しいと、洞窟の外へと足を運ぶ。


「……おぉ」


 外に出て巨大な湖畔を見た瞬間にヴィクターは思わず声を上げていた。

 美しく静かな水面と森、幻想的な浮遊植物の数々には目を奪われる。


「おや、珍しいので?」

「湖を見たのは初めてです、綺麗ですね」


 湖を大切にしているのがよくわかった。

この場所が戦渦に巻き込まれると言うのは考えたくもない、そう感じさせる場所だった。

 竜人族は地下に住居を作っていた。

 天然の洞窟や、地下に作る事で外の景観を崩す事無く、地下道を繋げる事で広い湖畔を森に遮られる事なく移動出来るらしい。

 ドワーフが作る石の要塞ではなく天然の要塞が地下にはあるとの事で、そこにはエルフ達もいるらしい。


「ハリルトンが攻められないのも納得というものです」


 いくら偵察しても全容は掴めないだろうと、ヴィクターは一人納得しながら森の中へ入っていく。

 案内先はエルフの里だった。

 閉鎖的ではないという医師の言葉通り、竜人族とエルフが賑やかに談笑している。


「外からの客人は久々です、話題に飢えたエルフ達に捕まったら休めませんよ?」

「気を付けておきます」


 太陽の位置から察するに、時刻は昼前といった所。

 小腹が空き始める時間だ。


「何処か、ご飯を食べれる場所はあります?」

「案内しましょう、魚料理は大丈夫で?」

「はい、それにしても……皆さん魚大好きですね」

「我ら戦士にとっても、いえ、生きる者にとって美味い食事というのは嬉しい物でしょう……、エルフの者らの知識はそれを豊かにしてくれた」


 そう言って竜人族の戦士が食事の前に案内してくれたのはエルフの大きな工房だった。


「なんだか良い匂いがしますね」

「でしょう?」


 中に入ると、エルフ達が作っていたのは香辛料だった。

 豊かな植物や木の実から香辛料やハーブを作り、保存しているらしい。


「アンタが客人でしょ? 肌が真っ白じゃないエルフは初めてよ」

「アグアノス方面からきました、ヴィクターです」

「初めまして、工房長のエイルナよ」


 作業で身に着けていた手袋を外し握手してくれた。

 長い髪を結び、前掛けを身に着けているのは工房にいる者達の制服のようだった。

 家庭的すぎるその雰囲気に緊張感も無い、客人が来たと伝わると皆一斉に集まってくる。


「言ったでしょう、話に飢えていると」


 そう言って竜人族の戦士は椅子に座る、これはしばらく此処に捕まるという事だろうと言っているようなモノだった。

 貿易都市でもあるアグアノスの話はここでも聞く事があるらしく、工房のエルフ達は興味津々だった。


「聞きたいのはわかるけど、みんな一斉に聞いたら日が沈むわ、作業に戻った戻った」


 エイルナの発言力は大きいのか、渋々戻っていく作業員達。


「貴方、香辛料には詳しい?」

「いいえ、詳しい商人に知り合いはいますが僕にはさっぱりで」

「そっかー、アグアノスと取引できそうな物がわかれば外の物、特に塩が手に入ると思うんだけどね」

「塩ですか?」

「塩みたいなしょっぱい味は、森の香辛料じゃ出来ないわ」


 別室に案内され、主に作っている物を並べてくれた。

 見慣れぬ物が並ぶ中、唯一わかる物もある。


「もしかして、胡椒ですかこれ?」

「そうよ……、これもね」


 黒や白の胡椒はヴィクターも知っているが、赤は初めてみた。

 その他にも試食してみたいモノは沢山ある。


「赤胡椒?」

「白胡椒の皮を剥かなかっただけよ、これだけで味も随分変わる、あ、こっち舐めてみる?」


 紹介された赤胡椒とは別の赤い粉末だった。

 興味本位で摘み、口に含むと強烈な辛さに思わずむせてしまう。

 わかっていたと言わんばかりに水を渡され、ヴィクターはすぐに飲み干していた。


「知らないと大胆に掴むのね」

「こ、これはなんです?」

「蕃椒、食べてわかったと思うけど辛い香辛料よ」

「こんなに痛いの食べるんですか?」

「使い方次第、ここでご飯食べるなら蕃椒を使っている料理を頼んでみるといいわよ」


 こんな辛いのは、ヴィクターにとって初めての経験だった。

 他の香辛料の数を見るだけでも、ここの料理を期待せずにはいられない。


「丁度今からご飯を食べにいくので尋ねてみます」

「うんうん……そうだ! 後で寄って頂戴、お土産用意しておくわ」

「いいんですか?」

「宣伝よ、美味しかったら商人達に話してくれればいいわ、タチの悪い人は駄目だけど」

「お安い御用です」


 他にも色々話してみたかったヴィクターだが、ご飯が早く食べたくて仕方がない。


「そうそう、ヴィクターはお酒とか飲む方?」

「嗜む程度ですが」

「ここのお酒は強いから、飲む時は気を付けてね」

「色々作ってるんですね」

「長い時間生きてると、こういう楽しみもね」


 他の作業員達からも色々話し掛けられたが、ご飯を食べに行くと言うと皆快く切り上げてくれた。

 そんなに美味しいのかと、休んでいた竜人族に声をかけ、足早に向かう事になる。





 店、というよりは戦士達の食堂だった。

 この辺りでは食材をまとめて、こうして決められた場所で食べる事が多いらしい。

 各自が作っていては消費する燃料が増える、食材の無駄やゴミもまとめた方が良いと、そういう風習らしい。

 限られた資源を効率よく使いたいのだろう。

 また現在の収穫量等も把握出来る。

食べに来られない人が居る治療所等にはそれ用の食堂も存在するとか。


「人間の街じゃ難しいかもしれない」

「でしょうな、人数の少ない場所だからこそ機能する、風習も根付いていなければ堅苦しいモノでしょう」


 蕃椒を使った料理を頼んだ所、水煮というのが出てきた。

 客人のヴィクターにはちょっとだけ大盛りされた食事を受け取りながら、空いているテーブルに腰を落ち着ける。

 テーブルの上には香辛料が並んでおり、好みに味を変えられるらしい。


「スープとは、違いますね」

「まぁ、とにかく食べてみるといい」

「そうします」


 香ばしい匂いと見慣れぬ照り。

 一口含めば、刺激的な辛さと魚の感触を同時に味わう。

 胡椒の香りと蕃椒の香りが広がり、辛さに驚きながらも次々と食べてしまう。


「夢中のようですな」

「こんな料理は初めてです、このぬるりとした舌触りは一体?」

「油を使った料理は食べた事がないので?」

「これがそうなんだ、では、揚げたりしたんでしょうか?」

「ええ、魚等は揚げて調理しています」


 エルフの里の奥には広大な畑なども存在し、搾油等も行っているらしい。

 竜人族も農作業をする事もあるとか。


「たまにホビットの商人が買い付けに来る事もあります、里以外では売らないらしいですがね」

「流石食事には厳しいと言われる種族、といったところですか」

「ここの魚料理には文句は言えなかったですがね」

「それは凄い」


 調理方法には地域の特色が良く出ると聞く。

 ここに来たのは事故の様なモノだったが、こんな体験が出来たのは素直に嬉しいのだった。

 勿論、ギルバートの依頼も忘れてはいない。

 折角の土産話も出来ないまま死ぬわけにもいかない。

 もしディアナと再会し、再び話す機会があるならさぞ羨ましがるだろう。


「貴重な体験を語らずに死ぬ事がない様にしないとですね」

「明日の護衛はお任せを、工房に寄った後は洞窟に戻りましょう……、傷の具合も確認しないといけません」

「そうですね」


 ヴィクターはゆっくりと味わいながら、他のエルフや竜人族との会話を楽しむ。

 束の間の休息は、思ったよりも楽しい経験となった。





 翌日、鳥が鳴き始めるよりも早い時間にヴィクターは身支度を済ませる。

 洞窟から外に出ると、フェルナンドを含めた戦士達が出迎えてくれた。


「もう起きていたか」

「おはようございますフェルさん」

「傷の具合はどうだ?」

「この程度なら問題ありません」

「よし、ではついてこい」


 フェルナンド達に案内されたのは別の洞窟の中、そこには昨日言い残していた『足』が用意されていた。


「これは……」


 見慣れぬ馬だった、いや、馬と呼んでいいのかさえ疑問だった。

 洞窟は湖と繋がっており、その馬の様な生き物はとんでもない速度で泳ぎながら陸へと上がってくる。

 馬の様な体と魚の様な体やヒレが混ざった生き物だった。


「む、水棲馬を見るのは初めてか?」

「全く知りません」

「水と陸を駆ける水棲馬グラシュティン……、この湖の魔獣だ」


 魔獣とも共存している事に驚きだが、この脚力ならば竜人族でさえ軽々と運ぶのだろう。


「エルフや人間は軽すぎて乗りこなせぬが我らなら別、乗るが良い」


 特殊な鞍を乗せ、戦士達はグラシュティンに跨っていく。

 元々エルフ達を後ろに乗せる為の鞍も存在し、フェルナンドの後ろ側にヴィクターは乗せてもらった。

 グラシュティンに跨ると言うよりは、竜人族の背に乗るような感覚だった。

 彼らには尻尾がある、だから人が乗る後ろ側の鞍はグラシュティンの背には触れておらず、その空洞には器用に尻尾が収まっている。

 手を竜人族の肩に乗せ、鞍には腰と足を固定する器具が取り付いていた。

 いざという時には即座に外れる仕組みもあるが、グラシュティンがやられる事がまず無い為使う機会が殆ど無いらしい。


「水の少ない土地は嫌がるのでな、そこまで遠くには行けぬが乗っている間に襲われる事はない、人目も少ない所になるがその方が都合良いのだろう?」

「お願いします」


 月明りの中、グラシュティンは駆け出していく。

 その速さに、ヴィクターは恐怖しながらフェルナンドの肩を掴んでいた。

 木々をすり抜ける、その速さもだが操っている竜人族の乗り手、その巧みさが恐ろしい。

 視界も暗く、足場も整備されていない。

 庭のように走る魔獣は、その速度を落とす事は無い。


「~~ッ!」


 言葉を発する事も出来ない、森のエルフ達はこの状態で弓を構えるというのだから恐ろしい。

 こんな魔獣と部族を攻撃しようと考えたのはおそらく潔癖と侮蔑された貴族だろう。

 二十三番砦の兵士達はさぞ苦境だったに違いない。


「戦士達よ! 森を抜ける、駆け抜けるぞ!」

「応ッ!」


 ハリルトン地方に入った途端、平原と小さな丘が広がり視界が一気に広がった。

 グラシュティンは速度を上げるが、視界が開けた分恐怖は薄れた。

 とてつもない速度で駆ける魔獣に心が躍り始める。

 人目が無いと伝えられた通り、今走っているのはハリルトン南東部。

 まだ開拓が進んでおらず、東部前線の影響もあって人は少ない。

 そして、近くには南部の湖畔に繋がる川がある。

 川の中を走っていないのはヴィクターがいるためだ。

 グラシュティンの関係で、街には遠いが川の続く所まで駆けてくれる予定らしい。

 なので、中央の近くとなると東部前線へ近づいていく。

 南部で消息を絶ったヴィクターとしては追手が待ち構えている南の街を通らずに済むのは非常に助かる話だ。

 グラシュティンは速度を落とし、浅い川の近くで止まり始める。


「……あっという間でしたね」

「水の中ではさらに早い、エルフにはきつい話だが」

「ですね」


 潜っては飛び出すを繰り返しながら水を駆ける竜人族とグラシュティン、確かに体が持たないだろう。

 フェルナンドに降ろしてもらい、荷物を確認する。

 例の刺突剣と、お土産にもらった香辛料はキチンと収まっていた。


「我らがいる内に北西に向かうといい、野生の魔獣もいるのでな」

「なるほど」


 この辺りの水辺に街が出来ないのも納得である。

 迂闊に川に近づくと野生のグラシュティンに襲われる可能性が高い。


「ここまでありがとうございました、落ち着いたらまた湖畔に寄らせてもらいます」

「うむ、何時でも来るといい……、良ければ塩を持ってきてくれるとエルフ達が喜ぶ」

「覚えておきますよ」


 コンパスを取り出し、ヴィクターは歩き出す。

 ふと後ろを振り向けば、川を駆けるフェルナンド達の姿が見えた。

 十秒も経たずに姿が見えなくなり、辺りは静かになった。

 ギルバートに刺突剣を届けるまでは油断できない。

 兎に角現在位置を確かめるためにも、北西に向かって歩き続け、街道にぶつかる事を祈るのだった。

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