メモ・妄想を力に変えてくれ

 この間、カクヨムで読んだSSのネタがまだ頭を離れない。
 ウェブ小説サイトのアカウントを持っている主人公が自分のアカウント上で自分が書いたわけではない小説がなぜか公開され、それが面白いと評判になり、出版社からのオファー、続きを待つ読者と、主人公ひとりが置いておかれてしまう、という状態で終わってしまう小説だ。
 自分のなかでその「自分ではない誰かが書いた小説が自分の名で公開される」という展開が、生活の最中に、変奏曲のようにバリエーションを変え――時に舞台が大正時代になったり近未来になったり主人公も女性や老人や熊になったりしながら――、ときおり、ふっと、だが何度も何度も繰り返したちのぼってくるのだが、どうしたらいい?
 時に、自由意志と本能のはざまで揺れる男が現れ、自分の憧れを体現してしたものを見つけてしまったがゆえに現実(いまここにある生)が色あせてしまい生きることができなくなった女が現れ、鉛のような重たい空気を肺のなかに押し込めたまま現代日本を生きる高校生がいまも押し込められてはいるがここに存在しているひとりの自分を見つけ、熊は子を殺され殺された相手を愛するのだ、何をしているんじゃこりゃ。

 ――とまあ、困ったことになっているのだが、これはいまに始まったことではない。もっと小さいころから始まっていた何かのビョーキだと思うので、幻覚だか妄想だかが立ち消えになるまで、ほっとくしかない。

 一番最初の被害者は『南総里見八犬傳』だった。みんな大好き曲亭馬琴大先生の生み出した日本が誇る大長篇稗史ロマン! ぼくが八犬傳にであえたのは中島梓というのちにお腐り申し上げることになったとき大変お世話になった小説家が子どもにもわかるように現代語訳で書いた「八犬伝」が学校の図書室にあったせいだ。当時のぼくは犬くんと家族になりたかったのだが、わんこなんて飼えませんと反対されており、ストレスから図書室の「犬」とつくものすべてを読み漁るなどしていたかわいそうな小学生だった。そこに現れたのが中島先生。しかしまあ、あれだけの大長篇を一冊でまとめることなどいくら栗本薫の絶大な筆力あっても無理だろう。途中までで終わっており、そのあとの展開はダイジェストのように巻末にまとまっていて、ぼくは巻末にまとまっているネタバレページを薄い目でさっと見たふりをしたあと、続きを探しはじめた。
 街の図書館にはなかった。だが隣町の駅前の図書館にはある。岩波文庫版『南総里見八犬傳』が。中学生になったぼくは、にこにこしながら自転車を片道一時間半漕ぎ続け、息絶え絶えでもにこにこしながら、なんとかその本を手にしたのだが、開いてみて「あっ」と驚いた。内容がよくわからん。読めないのだ。活字になっているので読みやすいとはいえ、江戸時代のことばである。もう、無理だった。(あと印刷された字がちいさいので大変だった。そりゃあの文章量だからなぁ、大長篇)
 だが、ぼくは中島八犬伝の続きを読みたいのだ。気合でやるしかない。読めない漢字は調べれば意味がわかる。よし、読もう。――とはならなかった。
 意味がわからない言葉や単語やいいまわしや感じはすべて「想像」で補った。ヒントはたくさんある。読める部分の文章が助けてくれる。挿絵だってついていた。ありがたい、ありたがい。
 それで一年後読み終えた南総里見八犬傳だが、これがおそらくぼくが人生で初めて読んだJUNE小説だ。
 八犬伝の文章はまともに日本語を勉強しない(したこともない)自分にとっては難しく、いまでもすべてを読みとることはできないのだが、これだけはいえる。ぼくの知っている南総里見八犬傳は南総里見八犬傳ではないと。自分の想像で補おうとして、まったく別の物語をつくりあげてしまっており、それをひとりでニタニタしていたのだ。ああ、なんて気持ちの悪いガキなんだ。

「想像力」があるのは一般的には「良い」とされることらしい。だが、想像にもよい想像と悪い想像があると思うのだ。

 よい想像はきちんと文脈、向き合っているもの、ひとの立場や状態をきちんと理解し、世の中のことわりをちゃんと理解したうえで思考にそれをもちいて、現実的に考え抜く「想像」だ。もしいい意味で想像力を持っていれば、転んで怪我をしている子どもがいたらその子の痛みを想像し自分にひきよせることができる。これは人間が生きるうえで大切な能力だ。なくしてはならないし、衰えさせてはならない。
 だが悪い想像力はとにかく地に足がついていない。文章を読んでいても、心があっちこっちに四散し、あれやこれやとどうでもいいことばかり考える。肝心の「文章にかかれていることを適切に読む」ことよりも「文章にかかれていないことを勝手に頭のなかでひねくりかえし、くちゃくちゃと咀嚼して、はい、ごっくん」してしまう。
 毛野が女装しており実は男であったと馬琴先生はいいたいのだが、ぼくという読者、否、毒者には伝わらない。
 悪しき想像力を稼働させた結果、勝手にガッ〇ャ〇ンの某キャラのような両性設定になってしまい、小文吾と婚約するも男の状態になった毛野は小文吾を拒む、しかし毛野のなかの女が小文吾を求め――と自己矛盾と父親への憧れを抱えたまま、毛野は恋情を断ち切るように小文吾から姿を消し、復讐の刃を血でそめていく――と、ここまではギリギリ大丈夫(いやそうでもない)のだが、このあとが、あの、ダイジョウブデスカと聞きたくなるような、よくあるJUNEのいやテンプレBLのようなわけのわからないモノになっていたり、あとほら、浜路のくだりだとか、別人になりかわっていたり、二重人格でしたオチに変わっていたり、犬村大爆発だとか、突然超新星が始まったり、信乃と壮助が『影〇たちの鎮〇歌』を始めたり(二番もあるんだぜ!はさすがにしていないけれどもっと痛々しいことはした)、鉄砲が時空を駆け(もうごめんごめんって)、諸葛亮の怨霊が憑りつき(すんませんすんません、だってあの終盤は絶対に演義からのネタやんけ←こら言い訳しない)、玉梓が伏姫と百合してティ〇ト〇ーかな、オポッサム状態!
 いや、だから、その、よく国語の授業でやるでしょう、この文章から作者のいいたいことはなんですかっていう問題。あれ、本当に、本当に、大切なお勉強なのですよ……。
 文章から読み取る力がなければ、自分勝手な読み方をしてしまう。自分勝手が暴走して、まったく別の物語になってしまうことだってあるんです。物語ならまだいいかもしれない(よくない!)が、これが重要な書類や大切なひとの発言だったりしたらどうだろう。ほら、そこ、ディスコミュニケーションとか言って笑ってないで、真面目に考えてみてくださいよ。
 良き想像力を働かせるためには、どうしたらいいのか。悪しき想像力――妄想力、かな?――を滅殺(!)するためにはどうしたらいいものか。常々考えては面倒になって放棄して、でも考えなくてはならないことだから多少は考えたり考えるふりをしてだらだらと年を重ねてきましたが、経験と知識と観察力が大切で、自分にちゃんと足が生えているか、生えているならちゃんと地面の上に立っているか、どの地面の土壌はどうだ、豊かにできるようたくさん肥えたものを食べているか、その程度しか、考えつかないわけでござんす。

 でも、悪しき想像力にも良い面がないわけでもないのです、といわないといけない気がするので、百害あって0.1利しかなしの0.1利の話もメモに付け加えておかなくてはいけない気にやられている。よし、書こう。

 悪しき想像力、妄想、幻覚、それが何かの起爆剤になる絶大なパワーを秘めているということです。あくまでパワーなので良い方向に使えば良いが、悪いほうに転がれば……いいたくない、二番もあるんだぜ(誤魔化し)!
 このメモを残している人間がいい方向に使えた試しがないヤバヤバな業を背負いし首無しソルジャーなのですが、どうしたらいい方向にそれを持っていけるかというと、ひっ迫感と戦うしかないということだと思う。何かに駆り立てられて、生き急いでしまいたい気分になっても、じっと我慢して、ひとつひとつ、自分の妄想を点検してみる、だとか。ああ、地味ィ。
 悪しき想像力に犯されたビョーキ者は妄想しないと死んでしまうわけです。だけど死ぬぎりぎりのところで踏ん張って、自分の想像(妄想)したものをそのまま外に出さないように頑張るしかない。そのまま出しても「ハァ?」で終わってしまうだろう。いや、そもそも誰にも見向きもされず、優しいひとならテキトーに相槌うって話を流す。聞いてもらえないのだ。
 もし、それを外に出して誰かに知ってもらいたい、誰かに伝えたいと思ったなら、誰かに伝わるように外に出さなくてはならない。
 そして、ひとというのは自分の関心のあることしか耳にいれないものだ。きみだって、ぼくだってそうだ。本屋に行って何冊本を買う? 買った本よりスルーした本の数のほうが多い。そういうものだ。
 だから、最初はいかにして話を聞いてもらえる状態にするか、だ。そして、途中で「あ~きた!」と放り投げられては泣いてしまうから、最後まで飽きさせずに聞かせつづけること。聞き手や読者ってもんは話し手や作家ってやつが自分でつくるもんなのさ。つまり、その工夫をしなくては、悪しき想像力の悪しき部分しか見えないし、きったねぇ独りよがりの痛い中二病の未熟なボケナスという地位に自分を貶めてしまうのだよ。経験者は語るのだった。
 そして、その工夫をこしらえるためには、まず敵を知ればウンタラカンタラというだろう。聞かせる相手は敵ではないが相手のことをしること、世間のことを知ること、社会のことを知ること、他人のことを知ること、世の中のことを知ること、自然摂理を知ること、常識ってやつを知ること、生身の体でちゃんとリアルに現実にぶつかって得ていかなくてはならない。ぼくはいまもできていないが。
 伝える相手の姿をきちんととらえることができれば、どうしたら興味を持ってもらえるのか話を最後まで聞いてもらえるのか、作戦が立てやすくなるはずだ。というかトンチンカンな作戦を立てずに済む確率がぐっと増える。と、それができていない人間が言い出しているのでございます。
 ただ、飲み込まれてはならないぜ。生々しい話で申し訳ないが成人向けを書き始めたらやけに喜ばれてもっともっとの声にこたえるあまり自分を見失ったことがある。話を聞いてくれるのは嬉しいが、「自分の話をきいてもらう」ことがいつの間にか「相手がこれを言ったら喜んでくれるだろうなってことを言い出」し始めたら、ぼくがぼくではなくなってしまった。だから、同じような状況でもしかしたらこれを読んでいるきみも自分を失ってしまうかもしれないんだぜ。などと老害が上から目線で何か言っているみたいですが。
 それから、読んでくれる、もしくは読んでくれた特定の個人――○○ちゃん××くん――に意識が向き始めたらあかんやで。自分が自分でなくなるパターンその2が発動しやすくなる。その子にあてる手紙ならそれでもいいのだが、自分が浸食され始めたなと思ったら多少は距離をとったほうがいいぞよ。だんだんと悪しき想像力の力が弱まって狭い範囲でしか物事を考えられなくなってしまうのだ。悪しき想像力減衰はおめでたいのだが、良い想像力も含めて、自分の持っている想像力の総体が減っていく現象だったからだ、まあぼくの場合は、だけど。
 ぼくは「不特定少数」ということばを胸に刻んで対抗することにしている。中島梓『小説道場』のなかからひろったことばだ。結構きく。「不特定多数」だと効きすぎて二日酔いしたみたいになる。(酒は養命酒以外飲んだことないから二日酔いがわからないのだがな)そもそも『小説道場』自体が劇薬のようにめっちゃ効きすぎるので全人類におすすめしたい。BLやJUNEってなんぞって考えているひと、ぜひ読め読め、一緒に二日酔いしようぜ!(誰に向けていうてんじゃ)
 とはいえ、これをあのひとに伝えたいという強烈な感情のおかげで自殺を免れたこともあるので、「特定の誰かに向けて云々したい感情」は殺すよりも存在を認めてあげたほうがいいねって思うような。いまでも「これをあのひとに!」みたいなの、ぼく持っていますし、それをどうしたら大切に抱えられるのかも、なんとなくわかってきたような、そうです、時の流れです、時のながれのよ~に~♪(誤魔化し)
 で、ようやく0.1利の話。うま~く、うま~くできたら、シェヘラザードのように王様の心を変える――ひとの心を変えるだって!そんなすごいことが!――できるかもしれない、ような気も、する、んだ、な……。ああ、語尾が弱くなる弱くなる。
 まあ、あくまでもいいように善なる使い方ができた場合、もしかしたら、の話で、ぼくはシェヘラザードじゃないし、むしろ王様のほうだったと思うし、いまでは通りすがりの老害です。

 そろそろ文章を書くのにもあきた、あきた、あきた、秋田犬ばうばう。

 読む力もなければ、お判りでしょうが文章作成能力もないのです。自分が知っていることを読むひとも知っているであろうとふんで書いてしまう悪癖のせいで二番もあるんだぜ!が判らないひとにはチンプンカンプンでしょう。
 これ、悪筆の特徴ですので、わからないひとにもわかるように書く、だとか『崖の上のポニョ』作戦で、わからないひとでも本筋は楽しめてわかってしまうひとにはわかってしまう仕掛けをつくる、だとか、何か対策をとらないと本当はだめなんですよ。
 あえてわからないひとには読んでほしくないものを書くときに一見さんお断りとばかりにわからないひとにはチンプンカンプンさせる文章で一見さん退散作戦もありかとは思いますが……。

 というわけで、読めない、書けない、あるのは、なにか得体のしれない何かだけ。泣いちゃうね!

 もうここらで、おさらばしたいと思います。深夜のラブレター現象発動! ピ、ガーッシャン、ビーーー(電子音)。

5件のコメント

  • 何だか色々と懐かしいタイトルが散見されましたので、つい…

    『南総里見八犬伝』は私も小学生の時読みましたが(すみません内容はほぼ忘れました)、中島梓(栗本薫)がそんな翻案をしていたとは…。
    『三国志演義』にもハマりましたし、江森備の描く孔明を読みたくて、『小説道場』、古本屋でGETしました〜! 「二番もあるんだぜ」は書く気が起きない時のカンフル剤です(笑)

    他人様の近況ノートに自分のことを語るのはどうかと思ったのですが、多少は開示しないと背景もわからないだろうと思い書き込みさせて頂きます。

    振り返ればあの時代は、“腐っていく”一歩手前の、非常に勢いのある時代だったのかと想像します。私自身は(今あんなものを書いているにせよ)「女史は腐女子ではない」と他人から断言されているので、それが理解できているのか怪しいものですが…(笑)

    それにしても、こちらを拝読して、BLに限らず、「書くこと」というのが本当にその人と強く結びついているのだと改めて感じました。
    誰かに読まれる、読まれないに関わらず。書く人は、理由が何であれ書かずにはいられないのでしょう。私も3.11で精神的に不安だった時、ずっと書き続けていました。それまでの数年間ほとんど何も書かなかったのが嘘のように。

    小説書いてるくせに小説の読解が苦手で、「作者の言いたいことは何でしょう?」の設問だけは素でハズし続けてきた私が、こちらに書かれていることをうまく汲み取れているか甚だ疑問なのですが、
    「書くことは人を変える(良い方にも、トンデモな方にも)」
    ということと、
    「『小説道場』は面白い」
    というのはわかりました。それには全面的に同意です(笑)
  •  吉村先生、なぜ、こ、ここに……? あんなものに目を通されたのですか? 時間が、吉村先生の貴重な時間を奪ってしまったわい……。

    『小説道場』は本当に面白いですよね。
     まだ理解できない部分も残っているのですが、理屈じゃなくて熱量が読むと文字の形に沁み込んだインクから伝わってくる。
     道場はBLの正体を暴いてやるぞと息巻いていた時期に前身とされるJUNEのことを知りたくてジタバタして、結果、古本屋めぐりでみつけたのですが、全冊そろえることができなくて、電子書籍を揃えて全部書き写してむりやり私家版みたいな形で紙書籍にしました。江森備先生も『王の眼』も手に入れられなかったので、図書館に通い詰めてこちらも模写で対応してます……うう……出版社のほうで再販してくれると嬉しいのですが。

     江森三国志!
     フェイメイちゃん(漢字出て来ない)がいい女すぎて不憫なところも最高でじゅるじゅる言いながら読んでいました。最初は例の暴力描写に「えっ」ってなっていたのですが(笑)。指詰めのころになるとまあうん、そうだね、みたいな。芸術的なエロさと暴力性発揮がすごかった。周瑜の殺し方なんてもう、そりゃ、なんだその得も言われぬやり方は、みたいな。
     エモリサーガこと『ブルークリスタル』も好きです。世界史苦手星人なので、読めるのは江森先生くらい、かな……まじで。小説道場内でも確か「歴史わからんひとにはファンタジー小説として読ましてしまえ」と中島先生のご指導があったと記憶しているのですが、それを完全にこなしてしまう江森先生……。

     って、ついついエモリソナエの名前に反応して誰にも聞かれていない萌え話を始めてしまいましたが、それより、なぜ、こんなところに??

     どう捉えられても文句を言いにいけないような書き方しているので何も言えないですけど、なんでここに出現しているの?(笑)
     カクヨムの近況ノート、先日知らないかたからコメントが残されていて「ひょえ」ってなったばかりでまさか神慈悲作者からコメント残っているので「ひょええ」しています。ひょえええ。

     けれどお声かけくださったのは嬉しいです。ただ、読み取る側がコレですので、先生の残してくださったコメント、かなり自己中心的解釈で読んでいるので、なにか勘違いしているかもしれません、ぼくの頭はぽんすかです。見当違いな読み方をしていたら(その可能性は大)、すみません。
     それと、何か勘違いさせてしまったのではないかと、少々不安ではあります(苦笑)。この怪文書、怒りに任せて書いているので、中身すっからかんなんですよ。だから、気にしないでいただきたいと思います。

     にしても、神慈悲作者はもしやJUNEスト?と思っていたのですが(なにせ、先生の小説って……「!!」だから、って言ったら失礼ですかね??)、別にJUNEストじゃなくても、先生にはちゃんと「せずにはいられない切迫感」を持っているんだなぁと。それだけは、コメントからなんとなく感じたので、じゃなかったら、こんなコメント残しますか?(笑) やっぱり「本物」だなぁ……。

     それから、3.11きっかけに何も書かなかったのに書き始めた、というのに、勝手に背中押されています。あの神慈悲を書かれたひとでも、最初から書いていたわけじゃなくて「書き始めた」から書いているんだなってことに。



     以下、言い訳をしたい(サイテー!)ので、ここから先のスペースには目を触れないでくださいませ)。もう本当にどうしようもない自分に腹立ってて、「ムキー」だったので(笑)
     ここでさよならしたいと思います。先生、執筆、頑張ってくださいね(ここでの頑張れは「楽しんで」という意味です)。





    ーーーーーーーー

     で、言い訳です。

    「怒りに任せて書いているので」と書きましたが、まじで腹立っているんですよ!ぷんぷん!

     腹立てている相手は自分自身ですので、ここで誰かを刺したりはできないのですが、むしろ自分を刺しまくるだけの怪文書をつくりあげてしまったわけですが、そしてそれを堂々と近況ノートに括り付けて自分はこういうヤバイ人間ですとあけっぴろげに、おいおい自傷行為かよ(笑)。

     何があったかって、カクヨムに投稿されている小説を「自分勝手に読んで、これは面白い」と面白がったていたが、違和感があり、改めて熟読してみたところ、あまりにもその小説が「器が小さすぎて」こんな三文小説を面白がっていた自分に対して、むっかついた、というだけです。

     でもその「腹立ち」も完全に個人的なものでその小説を書かれたかたが悪いわけではなくて、自分の読み取り方の問題だったわけで。

     こちらはその小説を読んで、「自分のアカウントに自分の書いたわけではない小説が投稿されている」という事件から次々とわくわくする展開が勝手に自分の頭のなかでボコスカ湧き上がってきてしまった。
     この事件を発端に何が語られるのだろう、ウェブ小説という匿名でひとが集まる場所と現代日本を舞台にしているのだから、その「小説を通じたコミュニケーション」に対して切り込んでいくのだろうか、もしかしたら「自分が書いた覚えがない」はずの小説だが本当は「自分が書いていた」という展開を経て、自分とは何か、そこに切り込んでいくのか?、まだまだ可能性はある、他にも――と。
     だから面白いと感じてしまったのですが、その小説が何故か途中で終わっている、自分が書いた小説ではない小説が人気になって出版社にオファーもらってそこで終わっていることにすこし違和感があって、ずっと、あれはどうしてあそこで切ったのだろう。完結表示になっている、ここから面白くなる場面でどうして切ったのだろう、とずっと数日考えながら、何度か読み返してようやく気がついたわけです。
     作者は初めから「カクヨムで"あわよくば"書籍化したいなぁちやほやされたいなぁインセンティブ(っていう制度があるのですね)でおこずかいもらいたいなぁ→あ、自分が書いたわけではない小説が自分の名で投稿されてめっちゃ注目集めて出版オファーきちゃったら、自作じゃない人気荒稼ぎ小説が勝手にアップされていて消せる消せない?っていうの超面白くね、えへへへ」というノリで書いていたのでしょうね! む、む、む~~~~!!! なんでそんな矮小なクソ三文小説に気がつかなかったんだよ俺~~~!!!!
     ていうか、ふつーにカクヨム運営に連絡いれるだろ!自分書いた覚えない小説が俺のアカウントにアップされていたんですけどって連絡いれるだろ~~~くそ~~~!!!!

     自分が妄想体質といいますか、悪しき想像力に支配された人間だったせいで、その小説が「どのような意図で書かれたのか」を読み取れなくて、読み取れない部分を自分で勝手に保管していただけの話ですよ!サイテー!

     しかもタイミングが悪い時期で、ぼくは自分の果たせていない宿題を果たさないと次に進めないって気がついているけれど無視していて、でももう、そろそろそれと向き合わなくてはならない時期にジャストフィットしていたので、そりゃむかつくわな。

     あのな、こっちはな、もういい加減に向き合わないといけないんだよ、こんな「感情」に足引っ張られている場合じゃねえんだよ!


    『小説道場』に書いてあるけどさ、

    「どこにあるかわからず、手がとどいたかとおもうと一瞬にしてはるか彼方に消え去っているヤオイの塔、そのヤオイ城を発見すればそのなかに遠い昔にとじこめられた美少年の吸血鬼が眠っているかもしれぬ。
     それを見出してそいつを叩きおこし、まず我が身を生贄に与えてよみがえらせてこの世にときはなとう。それによってこの世に少しでも騒擾をときはなつことができれば、それが――(以下略)」



     こちとら、吸血鬼を胸に抱えて、生きてんじゃ!!

     全部なかったことにして、従順におとなのいうこと聞いて、つまらないおとなに成長していま無職になって、ぽーっとしてな、それで、どうして自分は成熟できないのかって悩んで、今まで見なかったことにしてたこと、知らないふりしていたこと、気がつかないふりしていたこと、ずっと蓋していたこと、ちゃんと向き合ってこなかったこと、全部、全部、「今」ここで立ち向かわなかったら、もう、だめなんだってところにまで追い込まれてんだよ!!

     ずっとこんなもん抱えて、でもそれをなかったもんのように扱ってきて、自分のこと全部置き去りにして、外側にいる自分と内側の自分が乖離していって、あのな、もうこっちは、限界なわけ!!
     もういい加減に「自分にならなくちゃ」いけないわけだ。本当ならみんながとっくに卒業していることに対して全力で立ち向かわないともう、何もできない、そこでデッドエンド! やるしかないんだよ、こっちは!!!!
     もうわかってんだよ、そいつがここに、俺のなかにあることに!だがな、そのあと、「そいつを叩きおこし、まず我が身を生贄に与えてよみがえらせてこの世にはな」つってところで、俺は、見つけだしたもんをなかったことにしてきた、それじゃ身が持たないから、この身体全部つかってでも、そいつをどうにか「カタチ」にしてやって、くそがーーーーー!って叫びながら、ぶつけてやるしか、前に進めない、もう次の呼吸ができない、肺にいっぱいたまってるもん、叩き出さなきゃ、いきていけねえんだって!!!!

     それなのになんだよ、なんでこんなクソみたいなものばっか目に入るんだよ!

    「PVゼロだわ見てもらえない」「評価されない」「読まれない」――はあ? んなの、てめえ、誰がシロートが片手間に"なんちゃって"でかいたただの日本語の文章、誰が読むんですカァ? 読んでもらえない私ってば悲劇のヒロインって感じでうぬぼれてんじゃねぇええええええよ!! 作家なら読者作るんだよ、自分の話誰かに聞いてもらいたいなら、聞いてもらえるように考えて動けよ!! つーかな、小説書いている時点で、お前はもうだいぶ幸せな人間なの! その幸せをかみしめて、自分が恵まれている側の人間なんだってわかれっつーのよ!! 恵まれてない? 幸せじゃない? だったら、小説書く前に自分を自分で幸せにしてからやれ!! 自分が幸せをたったひとかけでも感じてないのに小説書いて、その小説で誰を幸せにするんですかー? 書いた小説に対する他人からの評価が自分を幸せにしてくれると勘違いしてんじゃねえよ! てめえはひな鳥か?親どりだったら「飯くれ飯くれ」いうても優しく飯くれるだろうがな、てめえが「飯くれ飯くれ」いうてる相手誰だよ? 考えろよ!
    「カクヨム攻略法」――はあ?それ攻略して美味しいんか?攻略したところでなんになるんだよ?? PV増えます、お星さま増えます、注目されます?? ばっかじゃねええの? そんなんでお前、腹が膨れるのかよ。インセンティブで多少はふところがいい感じになるのかしんねえけどさ、んなもんで、てめえは満足できるのかってんだ。なんのために小説書いてんだよ。数字のためか?冴えない自分でもこんなことできちゃいましたって自身がない自分を信じられない自分を信じるために、んなもん根拠にしてたって何にもならねーっての!
     書いたからには見てもらいたい、そりゃあたりまえの心情だがな、見てもらいたいを優先しすぎて、大切なこと、見失ってるだろうが。なんなんだよ、もう!
     極めつけは「器のちぃーーーこい」人間性が透けて見える三文小説、三文小説! てめえら、真面目に生きてんのかよ、ぼくがいえたぎりではないが、生きてねえだろ! 心臓動かしながら屍になってるだけだろ!だいっきらい!!

     貧すれば鈍するっていうけどな、これからもっと日本は貧しくなっていく。貧しくなれば心もすさんでいく。人間として生きたいなら、人間の心を持たなくてはならないけれど、それを手放さないと生存できない状況になるかもしれない。
     そんななかで、あのさ、小説ができることって、なんだ? 流行りのテンプレにのって中身のないスカスカを誤魔化した悪文を垂れ流しにすることか? PVだの星だのをあがめているがそいつらを得たら何か変わるのか?
     テンプレが悪いんじゃないよ。テンプレっていう器のなかにどかんと自分のいいたいこと伝えたいこと魂みたいなもん、こめりゃあそれで立派な小説じゃないか。問題なのは器だけ借りていて中になにも込めない木偶のスカスカがなんでこんなにたくさん量産されてんだよ、なんでこんなにゴーストみたいな人間ばかりいるんだよってことなんだ。

     同類嫌悪です。

     ちくしょー! もういい加減、みんなやめようぜ、ゾンビみたいな生き方すんの、やめようぜ、みんながちゃんと「自分になって」「一生懸命」「命を燃やして」生きりゃあ、ちゃんと中身のある小説だって増える、生活だって変わる、ちゃんと中身のある政治に変わる、生きていて苦しいひとが減るかもしれない、国だって変わるし――なにせ国なんて人間の集合体だからな、そのおおものとである個人が変われば、たくさんの個人が変われば絶対、変わる、変わるんだ、変えていかないといけないだろ?

     子どものころ、物語に「大人に対して怒りを抱いてもいいんだ」って教えてもらったんだよ。それまでは従順じゃない自分は落ちこぼれで欠陥品だと思っていたが、そうじゃないんだって、思いは自由なんだって。
     だから、ふざけんな上の世代、なんでもかんでも下の世代に問題をそのまま流して自分だけ生き逃げするつもりだな、ふざけんなって思ったよ、そう思える自分はいけない存在じゃないんだって思えていたんだ。
     でも、なんでだろう、楽なほうに流されたのかな、そういう気持ちを持っていたのに、何も感じなくなってしまった。
     おかしいだろ、大人に対して怒りを持っていたのに。おかしいんだよ、どこにいっちゃったんだよ、俺の感情。ちゃんと自分でいきなかったバチがあたったから、自分の感情がどっか行っちゃったんだよ。それを俺はこれから探しにいかなくちゃいけないわけ。

     申し訳ない。いま子どもたちには申し訳ない。ほんとうにすまない。大人になりたくなかったんだが、きがついたらぼくは、大人だ。こんな大人ばかりだから、今になっても「問題先送り」ばかりで、世の中なんも変わっちゃいないよな。

     苦しいし、しんどいし、麻酔のようにあふれるエンタメで誤魔化して、そうやって生きている生き方しかできない――けど、もうそういうのだめだろ。もうだめなんだ、続けていたら、十歳のころのぼくが冷たい目でじっとこちらを見ているのに、もう。

     たったひとりでも「自分が幸せだと思って生きれる」ひとが増えたら、絶対変わる。そういうひとが増えていけば、絶対変わる。
     もう生きにくい社会でなんて生きたくないから、生きやすい社会をつくらなくちゃって思うけど、社会って人間でできているんだから、人間が変わらなくちゃ解決できない。

     今、ぼくは自分のことを悲劇のヒロインだと思っていて他人の評価が欲しくて、でも誰にも愛されてないから、ぶーぶーぶーたれてそこから目を逸らしていきているヤバヤバ人間なので、全部同類嫌悪なんだけど。
     でも、そんなぼくが多少なりとも変われば、自分で自分のこと幸せにできれば、それで少しは変わるのかなと思って、頑張って生きてみます、吠えてすみませんでした。
     けど、いっとくけど、自分以外に自分のこと、幸せにしてくれる存在なんてないんだぞ。あまったれるな、って自分にいいたいし、心につっかえてることがあるなら、気合で自分が自分でつっかえをとらないと、もうそこで詰みだから、いい加減にせいやって話で。
     だから――
     
     っていうか、うーんと、何の話だったっけ? わっすれた~!!
  • なんでって…それは私がフォローさせて頂いていて(この言い方あまり好きではないのですが)、通知を「受け取る」にしているからです(笑)。

    私はSNSを一切やっていないので他にコメントを残せる場所がなく、ウザい私信のようになってしまっていたらすみません。でもこれだけ。

    読み専とお見受けしたのにフォローしているのは、頂いたコメントやレビューを拝見して、これだけ深読みして長文を書ける方は、いつか「書くほう」に回るのではないか、もしそうなったら見てみたい…!と思ったからです。
    (当たってますよね…? でも成人向けって…なのに〇〇声が苦手…? え…??(笑))
    正直に言うと「文章のセンスが好み」だったからです。

    なのでもちろん、下の長文も全部読んでいます。
    インターネットでは誰に読まれるかわからないのですから…(笑)

    ★とか求めてねえんだよ、とか、テンプレ横行とか諸々の叫び、「いや、わかります」としか書けません。
    私はこんなふうに自分の想いを感想として外に出すことができず、ぜーんぶ自分の“小説”の方に行ってしまう、ワンクッションおいた形でしか表現できないので、すごいなあ…と思って見ています。
    表に出せないので「マジ? ちゃんと読んでる? どう理解した?」と聞かれたら…表現できなくはないけれど、無礼な評論文みたいになるおそれあり(笑)

    どうでもいいのですが、「せずにはいられない切迫感」って、「書かずにはいられない」という意味の方で、「ヤらずにはいられない」という意味ではないですよね?(下ネタ)
    いや、否定はしませんけれども…。


  •  あんな長ったらしい駄文を読んでまたお返事くださるなんて……! 読むならいってくださいよ、もっと文章書くの頑張ったもん(笑)!
     先生からなら嬉しいので、私信なんぼでも残していってください。でも、おっしゃるとおり「インターネットでは誰に読まれるかわからない」ので、作家のお立場もあるでしょうし、いただくコメントに尻尾ぶんぶん振っていないで、なるべく控えめに「待ってます」と返しておかないと、ですかね?(笑)

     さて、フォロー、通知、ですか。初歩的なことで頭ひねっていて、その、おふとんかぶって寝たい気分です。変なこと聞いてすみませんでした。寝ます!
     積読が趣味でして、Web小説でも気になったら積むのに、積んだ本が「更新したよ」と話しかけてきたら「今お前の気分じゃねえ!」と怒鳴りだす性悪な人間なのでだいぶ前に通知OFFにした気が……たぶんそれでよくわかっていないことばかりなのかもしれないです。寝ます!

     さて本題(?)のほう、

     お言葉ですが、嬉しいです。嬉しいですそりゃ、めちゃくちゃ。だけど、嬉しいですが、嬉しいですが!(大事なことは何度でも言う)、嬉しいのですが、何かやはり勘違いをされているのでは……と、恐縮ながら……。
     読みに来ている婆ですよ。だいぶ下心も下品にバリバリですが。スマホで小説読めるとか毎日お手軽即売会気分!ここにいるひとみんな読むの書くの好きなひと!いえーい入場!みたいな感じで(汗) 最近カクヨム内ごく一部には幻滅していますが。

     脱皮して「書くほう」にまわることはおそらくないです。読専って最高の立場ですよ! 読み放題、やり放題(←コラ!)、好き勝手いってられるのも読専の特権です。しばらく手放したくないです。
     とある某小説読んで、おっしゃ俺が本気でWeb小説サイトに自分名義の謎の小説あげられてしまった男の話書いたろか?ほんまもんのJUNEくらわせたろか?って喧嘩腰であやうく書き始めそうになりましたが平和を愛する善良な性格なのでブレーキは踏めるんですよ(笑)

     文章の、ですが、小説ではないのですが、ほんの少し何かに手を染めていた時期があったので、書くほうの気持ちがほんの少しくらいなら、わかるのか?も?しれない?ですが、「文章のセンス」って……あの、わ、わからん、そうなのか、としか……いや、というか、本当に真面目な性格なのだなあと、思います。
     匿名のコメント、そんなにまるで研究でもするがごとく、じっくり読むものなのでしょうか、他の作家さんもそうなのかな。やっぱり真面目というか、文章に対する執念と感受性がすごいというか。神慈悲もそうですが、だいぶしっかり驚異的に作り込みされているのはその性格もあるせいでしょうか。一歩一歩、一文字一文字、慎重に時間をかけて書かれている印象を受けます。
     ――が、それでも、『チラシの裏~』で拝読、否、チラ読みした文章は慎重派ラフで(ラフではあるけどやっぱり慎重な感じするんですよぅ)、あまり重さを感じない(テンポが速いというか)、なんかもう、そこらへんのストリートピアノでさくっと一曲即興しました、みたいな感じで、謎、としか(笑)
     作品ごとの色調にあわせて文体を変えつつも、芯の部分はしっかり一歩一歩着実に進んでいく。だから終わりのほうにガッとやれられるわけで(一歩一歩着実に積み重ねて来るぶん終わりがちゃんと重みを増す)、もしかしたら、作風としてあの堅実性は勝手にかもしでちゃうところなのかな、と、意識してやっているわけではないのかな、と、いま勝手に考察(?)始めていますが、もしかして山羊座ですか(←オイコラ)。

     成人向けのやつはですねぇ、まじで頭狂っていたとしか。
     BL愛好家が濡れ場が書けないのは恥ずかしい、書けて書かないのと、書けないから書かないのでは大違いだから書けるようにならなくては、という謎の脅迫観念に負けてエッッッを書いたんです。
     Web上に公開したら変な層に受けてしまって。苦手なことやりたくないことをむりやり書いているうちにすさんでいって息絶えました。書きたくないことは書かないほうがいいです。しなくてはならなくなったときは、我でない我でない……と自己暗示していかないと。もしくはそういうのが得意な自分じゃない自分にかわってもらうとか、別の名前で発表するとか。もう別人だと思ってやり過ごすしかないですし、やり過ごしたあと、気がついたらもうひとりの自分が勝手にひとりで歩きだしちゃうんです、本当につらかった……(笑)。

     ――と、いうのもあって、もともと創作に必要なものを持ち合わせていないのは明白なので、まあ向いてないんですよ。本を積むのには向いている性格だと自己分析しておりますが。

     ただ、私生活というか、生身の肉体(!)のほうで、そうこういっていられる状況ではなくなってきていて、とにかく外に排泄しないと前に進めないものに気がついてしまったので、そいつをどうにかしなくては、という壁に全身でぶつかっていて頭痛いです、肉体的(!)に残された時間もすくなすぎるし。
     だから、最後のあがき祭りに薄い何かをつくるはめになるのだなぁとは思うんですが(嘘。そんな甘い考えでつくれるほど薄い何かは甘くない、本気でぶつからなかったらただの紙ごみです)、時期的にも肉体的(!)にも、これが最後かもしれないので、今、ほんと~~に殺気立っていて。かける(←あえて漢字をひらいて)状態じゃないところをむりやりそっちにもっていかなくちゃいけないから、こっちはヒリヒリしているのに、一部界隈に「てめーら、マジなめてんのかよ、甘ったれてんじゃねえ、小説におんぶにだっこされてんじゃねえよ、許せん~~!」が爆発しちゃった。
     すべてが終わったら「タイミングが悪かった、ごめんな」っていって和解したい(笑)。平和的な瞬間湯沸かし器なので。

     ぼかして書いたけれど、ぼかしている理由、たぶんわかってくれるんじゃないかなぁと思います。器がせまいのはどっちだよってブーメランきそう。でも、本当に先生がいるほう側には行けなんです。カクとヨムの間の一線を越えられない。
     (ところで個人的にあまりこのネーミング好きじゃないです。なんでカクが先にきてヨムなんでしょうね。ヨムカクのほうが好きなんだよなぁ。読むことが書くことを支える土台なんだから、順序が違うぞ、と思うのですが)


    (さて、ダイジな話!)

    「せずにはいられない切迫感」って、「書かずにはいられない」という意味の方ですよ(笑)!

    (大事な話、終了! 以下、世迷い事!)

     そうは言っても「ヤらずにはいられない」も含まれているかも!(笑)

     だって、ヤるにするにしても、相手がいなくちゃ、ねぇ~(笑) 究極の共同作業だし(笑) 読み手のことも考えて小説書けるようになれたらそれはいいセッッッみたいなものだし!
     ジィという意味でのヤるにしても、ひとりで自分の快楽を追求するという意味で、自分のために、自分を癒すために書く小説も必要になると思いますし。でもそれを面倒くさいからわかってもらうための手を一切加えずそのまま表にだして「誰にも読んでもらえないぃぃ」とブースカ垂れてるやつにはゲンコツくらわせますけれど(今殺気たっているので)。

     一番いい理想の「ヤる」はひとりで思いっきりシて、それを誰かにわかってもらいたい、誰かと共有したいと思ったら、誰かに良さを分かってもらえるように相手のことも考えてうま~くこちらが主導権を握り、こっそり相手にそのヘキを体験してもらって、一緒に楽しめる状態に、それとな~く誘導できるよう、軍師になって作戦を練る、のが、一番かと思うんですが! 受け身が好きっていうひともいますが、受け身になりつつそれとなぁく、誘導するんですよ!(なんの話だ……)
    「民衆に迎合するなんてなんて浅はかな」みたいなひともいますが、迎合もなにも、一番最初に自分の究極形態をかいてるんですぅ(たいてい実力と技術不足でかけた試しないけど足元見られると言いくるめられそうなのでそれは伏せといて)、あとはみんなと同じ言語に翻訳して共有できるように血のにじむ努力してるだけなんですぅ、って顔面パンチしてやれますしね!

     って、ほんと、何の話だ?
  • いえ、ムッツリスケベの相が出ている乙女座です(笑)

    冗談はさておき、文章のセンスとは、まさしくその「ストリートピアノで一曲」のような比喩表現です。これも多読、読み専のなせるわざなのでしょうか…とはいえ「お前はいつも他の奴らとは違うところで笑う」と英語教師に言われた私の感性ですので、褒め言葉になっているのかどうか…。捨て置いて下さい。

    無限ラリーみたいになってしまうのは本意ではないので(その前に、第三者がここ見たらドン引きかもでしょうし…)、以降は「2024/5/29の」近況ノートにはカキコミ自粛します。もし返信頂いたら、“読み”はしますが“書く”はガマン。

    なので、ホント最後に。

    あれだけ熱量あるコメントを頂いたらそりゃあ読みますよ! しかも、貰い手は変な所でツボって笑っていますし(笑)

    ネット社会のいいところは、こうして見ず知らずの方でも双方向コミュニケーションがとれる(場合もある)ことと、それによって自分の創作スイッチも入ることだと思っています。
    先日も〈チラシの裏〜〉がきっかけで、フォローしている方が1エピソード書いてくださって、もう望外の喜びというか…! 私パクられても全然気にしませんし。むしろやってくれというか。

    なので、ここでの話もどこかで実を結ぶといいなと思います。どちらが“書く”、“読む”にせよ。

    ではまた。
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