皆様、こんばんは。
突然ですが、『みんなこわい話が大すき』に登場するシロさんこと志朗貞明の事務所は、いわゆる文教地区にあるマンションということに(現時点では)設定されています。
ということは同じマンションにはファミリー層が多く、志朗や黒木は浮くんじゃないか? 特に強面の黒木、不審人物だと思われてないか……? と思ったので、小噺を書きました。時系列は本編よりも前、黒木が志朗の事務所に雇われて間もない頃だと思います。
ホラー要素は一切ありません。よろしければ。
なお本編はこちら↓
https://kakuyomu.jp/works/16816927859508196052=============
初めてその人を見たとき心に浮かんだ「あの人何?」という言葉が含む感情は、何かと問われれば恐怖に一番近かった。
その男性はいつも黒っぽいスーツを着ている。ラグビー選手並の巨体に、仁王像もかくやという強面を持ち合わせている。二歳の次男を乗せたベビーカーを押していた私は、マンションのエントランスで初めて彼と出くわした際、思わず固まってしまった。すれ違う際、巨漢氏はペコッとお辞儀をし、私は慌てて頭を下げた。
それからというもの、その強面の巨漢は度々マンションで見かけられるようになった。私は夫と、同じ階に住む田中さんと、公園で会ったママ友たちと、同じ疑問を共有した。
「あの人、何者?」
それとなく管理人に尋ねてみたところ、彼はここの住人ではないらしい。マンション内に事務所があって、そこに通っているとのこと。
「あの大きいヤクザみたいな人、1004号室に通ってくるのよ」
ある日、十階に住むママ友が言った。「ほら、白杖の人住んでるじゃない」
「ああ、あの人」
と言ってはみたものの、謎は深まる一方だった。ここの十階に住んでいる、愛想のいい白杖をついた長髪のお兄さんのことを認識してはいたものの、彼もまた完全に謎の人物だったからだ。1004号室で何か商売をやっているらしく、しょっちゅうお客さんが出入りしているのだが、ではなんの仕事をしているのか? となるとまるで見当がつかない。まぁ管理人とも仲がよさそうだし、無害そうだからいいとして、問題は巨漢の方である。
他人のことをあれこれ詮索するのはよろしくないが、やはり小さな子どもを持つ身としては気がかりだ。何せあの、二、三人畳んで海に捨てていそうな見た目の――
などと思っていた頃、私はとんでもない光景を目にした。
次男を健診に連れて行った帰り、マンションのエントランスで管理人となにやら話している巨漢氏を見かけた――問題はそこではなく、小学一年生のうちの長男が、友達二人と一緒になって巨漢氏をぐいぐい押していることである。
「ちょっと! 何やってんの!?」
思わず大きな声が出た。
えっ、どうしよう。どう詫びればいいの? その前に次男を避難させなければ。頭の中で色んなことがぐるぐる回った。これは走馬灯というやつなのだろうか……そのとき長男がこっちを向いて「母ちゃん!」と声をあげた。巨漢氏もこちらを向く。どうする? 固まっているところに、長男が追い打ちをかけた。
「この兄ちゃん、押しても全然動かないよ!」
「は!? だから何やってんの!? すみません!!」
エントランスに私の「すみません」が、甲高く木霊した。
巨漢氏はホオジロザメのような顔でこちらを見ていた――が、「あっ、大丈夫ですよ」と言った声は、思いがけず穏やかだった。
「母ちゃん、これ、こういうゲームだから大丈夫だよ!」
「三対一でも全然動かせねぇ!」
「壁か!?」
小学生男子どもは口々にそう言いながら、なおも巨漢氏の腰あたりを押し続ける。どうやら彼を動かすことができたら、子どもたちの勝利というゲームらしい――バカなの? 絶対怒られるからやめろ……と念ずる私に、巨漢氏はこう言った。
「時々息子さんたちに構ってもらってるんですよ。ほんと、全然気になさらないでください」
「……いえ、こちらこそ……お手数おかけいたします……」
もはやポカンとするしかない私を後目に長男たちは巨漢氏を推し続け、巨漢氏はそれを全く無視して管理人となにやら話をした後、「はいここまで」と言いながら子どもたちの頭をポンポンポンとなでていった。
「くそー! いつか倒す!」
「はいはい、またね」
そして巨漢氏は、のしのしとエレベーターの方に去っていった。
その晩、私は夫と話をした。
「あのでっかいヤクザみたいな人、超いい人かもしれない」
夫は眉をひそめて「マジで?」と言った。
その後、謎の巨漢氏にはベビーカーが側溝にはまったところを助けてもらったり、小学生に混じった白杖のお兄さんに「全っ然動かん!」とか言われながら押されているところを見たりしたので、やっぱり見かけによらず優しい人であるらしいと思っている。ただ、何をしている人なのかは、やっぱり謎のままだ。
〈おしまい〉