1 「読みやすい」という感想は喜ばれない場合があるとか。
2 「幽霊の寿命は400年」とか。
1に関して、こんな感想なら喜ばれるのでは?みたいな例文がツイートでまわってきていて、へえ、と思った。コピペしてみるけれども
・文に淀みが無い
・リズム(テンポ)が良い
・流れるような文
・頭にすっと入ってくる
・頁をめくる手が止まらない
・徹夜で読破した
・気付いたら終わってた
・何回も読み返しました
激賞じゃないですか?これ?感想文じゃないレベルでべた褒めじゃないですか?感想文ってこんなに高度なレベルじゃないと送っちゃだめなのか?というぐらい、正直ちょっと胸が痛い。
最新の自分のレビューを見返すと
「死にまくりw
死にまくるわ膝に矢を受けてしまうわゾンビになるわ聖剣抜くたびに落ちるわでもうさんざんですwおもしろかった。ありがとうございました!」
おもしろかった。ありがとうございました!以外に何を言えというのか。いちいちどこがどのように面白かったのかを具体的にうつくしく羅列せよと。
上のレビューはにゃべさんちのゲームブックに対するレビューであるから、内容がどうとか文章がどうとかの評価ではなく、楽しんだ時間に対するお礼であるから、この場合の例としてはそんなにはふさわしくない。むしろ何回もゾンビになりまくった自分のアホさかげんにむかつくぐらい遊びまくった、ということを、では、
死にまくりw
何回もゾンビになりまくった自分のアホさかげんにむかつきましたw
っていうレビューにしてしまったら、もしかしたら、面白くなかったのかもしれない、みたいに逆に行間やら言葉の裏やらをとらえてしまうセンシティブな作者さんがいる、ということなのだろうか。何回もゾンビになるぐらいチャレンジして楽しんだのだ、ということが抜けているせいで。書いてる内容以外の意図をくみすぎる?ということだろうか。(と思いつつ冷静に見直すとあまり良い言葉ではない。けなしてるように見えるな。というか喧嘩売ってんのか、あぁ?みたいに読める。うん、これはたしかによろしくない、ことばたらずなレビューになってる、アホっていう言葉は西日本ではもーあかんやんーまったくもー、みたいな肯定の言葉で使ってもゆるされるけども、これはたしかにあかん。反省しよう。なので上のレビューは
幾度となくゾンビにされながらも何とか無事クリアできました!
にしておくと無難でいいし言葉もきれいだ。無難でいいけど、これはわたしの本心ではない。)
繊細なのはうらやましい。わたしは社交辞令はそのままで受け取るタイプだ。面白かったといわれればよっしゃ!と思う。言葉をことばのまま受け取る空気よめない人間だからである。「作者はこのとき、どのように思ってこの文章を書いたのか?10文字以内で抜き出せ」みたいな。抜き出すべき元の文章がなければ正解しない。
感想とレビューと書評と評価は違う。わたしは評価はしない。自分が他人を評価するに値しない人間だと思ってるからである。
レビューは「他の人も読んでくれるとうれしいな」とか「星が増えて告知になってランキングもあがるだろうから作者さんがよろこんでくれるとうれしいな」いう気持ちで書く。
書評はプロがステマダイマとして書くべき作品だからノータッチ。
感想はわたしのものだ。わたしが何をどのように思うかはわたしの自由である。だから感想を送ることはしない。しないほうが自分のためって気がしてきた。わたしは空気を読まないが空気を読む学習はしていきたい。そのためには外を向いて呼吸してはだめなのだ。人を殴りながら「痛い?」と聞いてはだめなのだ。まずは自分で自分を殴ってみて「痛い?」と自問自答するのがいい。