「まあ、昔の名人が今の初段くらいでしょう」こういった昭和の将棋棋士がいたが、棋譜などを私の拙い目で見ても、そのレベルの差は歴然だ。そして、その将棋棋士を凌ぐ棋士が、次々に誕生している。日常生活も同様ではないか。日夜進歩している社会で、昔よりレベルが上がっていてほしいと思うのが人情というものだろう。しかし、レベルが上がった分だけ、見える世界が増え、考え、迷い、疑いが増えた、とも言えそうだ。ある棋士が「一人の棋士がマスターできる定跡の量はとっくに超えている」と言っていた。将棋ですらそうなのだから、一人の人間がマスターしなければならない社会の常識や基礎知識の量がオーバーしていても、何ら不思議ではない。そんな社会で生きているのだから、迷い、戸惑い、憂い。こういったものに付きまとわれるのは、むしろ自然だと思う。