昼に買い物に行った時、車を運転しながら「小説における透明感って何だろう」って考えてたんですよ。
そしたら先ほどXで相互さんが「◯◯さんの作品の透明感と語彙力が云々」というような発言をしていて、また「透明感」について考え始めてしまいました。
ちなみに相互さんは
・言葉の響きの良さ
・余白
・作者さん自身の強い感情による瑞々しさ
というような要素を挙げていました。
私は、一つの例として
・濁点の有無
を挙げました。
そこで実験をしてみようかなと思い立ちまして。
普通の文章、気の利かない文章、透明感のある文章で写真を描写したいのですが……
(ここでは感情は入れないようにします)
うまくできるかな。れっつとらい。
[普通の文章]
鈍色の空に枝を広げる桜の木には、花が満開になっている。本来の薄紅色を惜しむかのようにただの薄灰色を人の目に映す花びらは、何かに怯えているようにも見える。春にしては強い雨にいつ散るやもしれぬと、その身を嘆いているのだろうか。見る人の心に残らず、ひっそりと散ることができるように。
[気の利かない文章]
雲の多い空のこちら側に植えられている桜は満開になっている。本当は花びらはピンク色のはずなのにただのライトグレーに見えるのはなぜなのか。強すぎる春雨が花びらを散らしてしまうことを、桜は恐れているのだろうか。ひっそりと散るために、見る人がきれいな桜を心に残さないように。
[透明感のある文章]
鈍色の空の下、しなやかに枝を伸ばす桜の木は、満開の花を咲かせている。本来の桜色を隠し、人の目には薄鈍色にしか映らない花びらは何かに慄いているようにも見える。春驟雨に散らされてしまうことを憂慮しているのだろうか。人の心に遺らないように。
ど、どーでしたかね……?
ちなみに春驟雨は「はるしゅうう」と読みます。
「驟雨」だけだと夏の強いにわか雨を指しますが、「春」を付けることによって春の季語になります。
透明感のある文章は、できるだけ濁点を使わずに書きました。「遺る」はわざとです。
「遺る」だと余白ができる気がしません?
そのおかげで文字数減りましたよね。
……あまり変わらないかな……?
うーん、ここまでやっといて何ですが、自分じゃわからないですね!
みなさまもれっつとらいw
ではでは。ごきげんよう。