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私にとっての京都アニメーション


 19年7月18日に発生した、京都府京都市伏見区に構える京都アニメーション第1スタジオでの放火殺人事件について、まずは亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしますとともに、負傷された方へ心からお見舞い申し上げます。







 事件当日である木曜日の夕方、仕事終わりにネットニュースを見て事件を知り、たいへんショックを受けました。死者も出てしまったあまりの惨事にその日は心の整理がつかず食事も喉を通らず、まさに茫然自失のまま一日が終わりました。翌日も失意のまま仕事をこなすも集中することができず、必要最低限の直近の案件だけを片付け、半日で仕事を切り上げて帰宅しました。気を紛らわせるため小説を読んだりアニメを見たりしましたが内容が全く入ってこず、結局事件の最新情報を追いかけていました。

 そうして事件発生から二日が経過した今、少しずつ出来事を飲み込んでいって多少なりとも心の整理をつけることができました。しかし未だにショックから立ち直ることができていませんし、立ち直るにはもっと時間が必要だと思われます。



 自分の中の混乱を咀嚼してある程度落ち着きを取り戻したため、一度感情を文章化することで整理をしようと考え、こうして思いを書き始めました。








 私が初めて京都アニメーション(以降京アニ)作品に触れたのは高校生のときで、作品は『涼宮ハルヒの憂鬱』でした。当時の私は軽い気持ちでベースを始め、学校では楽器を嗜んでいる友人や音楽好きの友人たちとつるんでいました。最もバンドを組んだりといったことはなく、ただ昼休みに音楽室にたむろして、教材として置かれている弦が錆びたアコースティックギターを囲んで盛り上がっていた程度でした。

 転機となったのは、動画サイトにアップロードされていたアニメのワンシーンを発見したことでした。それがまさに京アニ制作のテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の第12話『ライブアライブ』のライブシーン、『God knows...』でした。当時スマートフォンなんてない時代でしたので、友人たちとともに一つのパソコンを取り囲んで動画を再生して、「ヤベェなコレ……」「マジかよ……」といった具合に衝撃を受けていました。その後音楽室のギターで『God knows...』に挑戦してみるものの「アコギでは無理だ!」という結論に至り、結局『God knows...』のコードだけを検索して調べ、ただギターコードを掻き鳴らして盛り上がっていました。格安のストラトキャスターを買ってきて『God knows...』を練習してみるものの、まずイントロが理解できず早々に挫折したのは思い出として残っています。

 確かその後、『涼宮ハルヒの憂鬱』のDVDを持っているクラスメイトの噂を聞き、頼み込んで借りたことを記憶しています。『涼宮ハルヒの憂鬱』は当時時系列をシャッフルして放送していたようで、クラスメイトにその話を聞いたうえで私は時系列順で一気見して、そして見事にハマったことを覚えています。加えて絵師繋がりとして『灼眼のシャナ』(アニメーション制作:J.C.STAFF)も勧められ、音楽の格好よさに感銘を受けこちらもハマりました。

 また時期的にニコニコ動画が全盛期であり、歌ってみた演奏してみたのカテゴリーにて『God knows...』であったりその他アニソンのコピー動画が多く投稿され、音楽好き楽器好きとして熱中していきました。こうして私は『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにアニメファンとして目覚めました。仲間内でも、友「長門は俺の嫁」私「やっぱ朝比奈さんかなー」友「いやいやハルヒだろ」友「朝倉に責められたい……」といった会話で盛り上がり、音楽室にたむろしているものの最早ギターなんて誰も演奏していませんでした。



 高校を卒業し進学した後もアニメを視聴する毎日を送っていました。最初のうちはリアルタイムで放送されているものを追いかけていましたが、徐々に過去の名作を漁り始め、それによりアルバイトも辞め、身の回りのこともおざなりになり、「ヤッベェ洗濯してねぇから学校に着ていく服がない」といった事態になり「じゃあ休んでアニメ見よう」という具合に腐れ学生生活を送っていました。そんなときに放送が始まったのが京アニ制作のテレビアニメ『けいおん!』でした。通っている学校でも話題になっていましたし、なにより高校時代の音楽仲間たちも見ていて、友「唯ちゃんだろ」友「いや澪だね」私「なぜけいおんにロリ巨乳キャラがいないんだ!」友「むしろあずにゃんにペロペロされたい……」といった連絡をし合っていました。通っている学校内外で『けいおん!』の話題以外にも『らき☆すた』や『CLANNAD』などといった京アニ作品を中心にアニメ作品を語り合いました。



 学校を卒業した後は、元々楽器好きもあって楽器業界で働き始めました。当時の楽器業界はまさにけいおんブームであり、放送が終了していても熱が冷めていなくて、ギブソンやフェンダーが飛ぶように売れたという話を聞き、実際に当時もまだ売れ行きがよかったです。また職場にてあずにゃんモデルの商品化秘話も聞き、まだ原作漫画しか登場していないムスタングの色は何色かと、いい大人が真剣に注目していて、アニメで登場したらしたでメーカーがノリノリで作り始めたらしいという噂を聞いて私は爆笑していました(あくまで人伝の噂として聞いたので真偽は確かではありません)。それだけ業界として『けいおん!』の影響を思い知り、そして『けいおん!』がもたらした経済効果を近い距離で実感しました。

 仕事で接した方と雑談すと「アニソンバンドやってます」とか「アニソンばっか聞いてます」といったことを頻繁に聞き、掘り下げていくと原点が『けいおん!』であったり、はたまた私と同じく『涼宮ハルヒの憂鬱』といった京アニ作品に行きつくのでした。さらに楽器店で店頭に立っている方からは、女子高生がリアルで『けいおん!』の話をしていたとか、昔バンドを組んでいたおじさんなんかも『けいおん!』で音楽の熱が蘇ったといった話を伺い、『けいおん!』をきっかけに楽器を始める方が非常に多かった印象です。ちなみに現在では『バンドリ!』の影響が楽器業界にありますけど、この近年のバンドリブームもどこかけいおんブームを彷彿とさせるものがあり、アニメから音楽といった流れはしっかり受け継がれているように思えますし、その流れを生み出した『けいおん!』は偉大な作品であると感じています。関係ないですけど自分は『バンドリ!』だと市ヶ谷有咲が好きです。


 このけいおんブーム後のテレビアニメですと、『魔法少女まどか☆マギカ』や『STEINS;GATE』、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『Fate/Zero』とか、あと『ガールズ&パンツァー』とか『ジョジョの奇妙な冒険』も放送されていましたかね。京アニ作品だと『日常』とか『氷菓』などといった傑作を発表していたかと記憶しています。私は『PSYCHO-PASS』と『新世界より』がお気に入りでした。あと『UN-GO』も好きです。個人的に2010年代前半はテレビアニメの黄金期だと認識しています。

 そんなアニメ黄金期だからこそ、アニメ界隈に限らず至るところでアニメの話題を耳にする機会があり、それだけアニメという媒体が一般化したのだという印象を受けました。そしてそのアニメ黄金期の一翼を担っていたのが、まさに「京アニクオリティー」と称されるほど卓絶した技術を持っていた京アニではないでしょうか。このアニメ黄金期においても、京アニの映像クオリティは飛び抜けていたと思います。


 この2010年代前半のアニメ黄金期のときに私は何をしていたかといえば、アニメの影響で物語を書くようになっていました。仕事から帰ってくると録画したアニメを見て、そして遅く寝たり早く起きたりして睡眠時間を削りながら、見様見真似で小説を書いていました。そしていくつかの習作を経て京都アニメーション大賞の小説部門に応募したことがありますけど、まあ当然の如く一次審査で落選しました。しかし小説を書く楽しさ、物語を創作する面白さというものに気がつき、たとえ拙作が落選したとしても趣味として物語を書き続け、今ではこうして小説投稿サイトに登録して自由に書いたものを発信しています。物語と出会わなければこういったサイトに登録して活動することもなかったでしょう。


 仕事でもプライベートでも、私の人生の何割かはアニメが占めていて、その中でも京アニ作品の割合が多いです。そんな今現在の私はアニメがあったおかげで存在しているといっても過言ではなく、その原点となった『涼宮ハルヒの憂鬱』を制作した京アニにリスペクトを感じています。物語という媒体で人生を豊かとなるきっかけをくれた京アニには感謝してもしきれないものがあります。

 そのためこの度の放火殺人事件において強い憤りと悲しみを覚えました。物語による夢と希望を与えてくれたものが燃焼して消失してしまったこと、そしてなによりそれらを生み出してくれたクリエイターの皆様が被害に遭われたことに、とても大きなショックを受けました。


 この事件によって、容疑者へ厳罰を求める声や、支援金を募る動きがあるのは承知しております。それは当然のことだと思います。しかしいくら容疑者が極刑になろうと、莫大な支援金が集まろうと、今回亡くなられた方が戻ってくることはありません。刑罰やお金でどうにかなるものではなく、失ってしまったものがいかに偉大であったのか痛感させられ、虚しさに苛まれます。

 ですがそれらが無意味であるとは思っていません。私とて容疑者を憎む気持ちもあります。アニメイトの店頭で募金箱が設置されていると伺っていますので、私も支援としてお金を入れたいと考えており、献花にも赴きたいとも思っています。ただ現状あまりにも突然のことで動揺しており、容易に京都へ行ける距離でもなく、アニメイトすら近場にない私としては何一つ哀悼の意を示すことができていなく、いちアニメファンとして忸怩たる思いにかられています。いずれしっかり時間を確保して、京都への献花と募金が設置されている場所へ向かいたいです。また募金箱がどの程度の大きさかは把握していませんが、より大きな金額の支援金を募る仕組みができれば、そちらの方にも参加したいと考えております。


 私は実に無力な人間です。そんな私が今できることは何かということを、事件発生からずっと考え続けていました。そして至った考えが、「物語に向き合い続ける」というものです。

 今回失ったものはあまりにも大きいです。それでも京アニは多方面からの支援を得つつこの困難から立ち上がってくれると信じています。設備や資料を復旧し、亡くなられた才能あるクリエイターに並ぶ新しい人材を育成して、いつの日かかつての京アニのような活気を再建してくれることでしょう。

 そのときには受け止めるファンの存在が不可欠です。再建したとしても受け入れ歓迎する土壌がなければ意味がありません。そしてアニメファンとしてその土壌となるには、アニメを、ひいては物語を愛し続けることにあると思います。京アニが再建するその日まで、日進月歩愛を持って受け止める環境を維持し続けることにあると考えています。そのためには日々物語に触れてファンであり続けるといった、小さなことを積み上げていくしかないと思います。

 今回の事件でたいへんショックを受け、小説は読めなくなりアニメも見ることができない状態となりました。ですが悲しみのあまり立ち止まったままではいけないのです。再建した京アニを迎え入れるために、私はアニメファンであり続けなければなりません。立ち止まっているのではなく進むのです。止まるんじゃねぇぞ……。

 とりあえずこれを書ききったら、事件以降視聴できずに溜まってしまった夏アニメを一気に視聴しようと思います。読みかけの小説も読んでいきます。新海誠監督作品『天気の子』を見に行けていないので、時間作って映画館に行きます。今後京都アニメーション大賞が執り行われるのであれば、アマチュア作家として二度目の挑戦をしてみようかと思います。


 物語に触れ続けて、物語の愛好家であり続けます。


 また京都アニメーションの作品を楽しめるときを待っています。





 最後に改めて、事件によって亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。






 2019年 7月20日 杉浦遊季




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