美しい波と書いて美波。
それが彼女の名前だ。中学と高校を女子校で育ち、やりたいことのために共学の大学へと進み、卒業した。
そうして、今、目の前には彼女の心を乱して止まぬ男が座っている。
「こんにちは。その、ご無沙汰してます」
「おう」
男は軽く手をあげて席を立ち上がった。二人のいる場所はささやかな喫茶店だ。
男は美波の大学の先輩であった。別の先輩の友人として紹介されたのが、男である。
二人は語らった。
近況のこと。
二人の母校のこと。
共通の趣味のバスケのこと。
「今日、いっぱいピアスつけてますね」
「全盛期ほどではねぇよ?」
「知ってますよ。だけど、このところ、ピアスの穴が減っていた気がしていたから。少なくとも5個はあったような?」
「よく覚えてんなホント。つけすぎててもつまらないだろ。それに、会社では悪目立ちをしてしまう」
そうかもしれない、と彼女は心の中で思った。
「お願いがあるんですけど」
「ん? なんだよ」
「イヤーカフを一緒に選んでほしいんです」
「なんで? お前ピアスとかイヤリングとか、そういうの嫌いだと思ってたんだけど」
嗚呼、とても恥ずかしい。付き合いがそこそこだからこそ、か。
けれども。しっかり言わなければ、伝わるものも伝わらないのだ。
「耳につけてみたいって思ったんです。イヤーカフはシンプルなのに見た目がかわいくて!そういう理由からです」
「なんだかピアス全般を馬鹿にされてる気しかしてないんだけど。そもそも選ぶのに、俺いるか?」
「す、すみません……」
指摘されると返す言葉は見つからない。確かに、男が言う通りにただ利用するだけして、自己満足に繋げたいだけなのかもしれない。
それでも。
男は静かに息を吐いた。
諦めなのか、思考を整理したかったのか。後者であって欲しいけれど、もう止まることはできない。
「別にいいけど。やっぱ穴空けてると変に心配されるし。そういうものだって思ってるけどさ」
「あの、貴方みたいに……つ、つけてみたくて」
「ごめん、聞こえなかった。なんて?」
「お揃いみたいにつけてみたいんですよ! 貴方の好きなものを私も共有してみたい。勿論自分で候補はきちんと絞ってあります。もしかすると、もう候補が決まっているかもしれない 」
「卑怯だな。これがいいだろって言う権利がない訳か」
「卑怯でも構いません。貴方と一緒がいいのです」
一息ついて、美波はじっと男の瞳を見つめる。男が話し始めるのを待っている。
一方で男は、視線を上下に彷徨わせたり、頬杖をついてみたり、座っていたテーブルへ向けて俯いてみたり。
やがて、二人の目線は交わり、男の方から逸らされた。
「わかった。今から店にいくか」
「え? いいのですか。というか、これからいきなり?」
「行きたくねぇなら別に俺は構わないが」
「ああそんな! いきます! いきますから! いかせてください! 」
「店だからもう少し静かにしてくれ……」
「ああ、そうでした。……では、もう少し声を抑えねば」
ああ嬉しい、と自分の世界に入りかけている美波を一瞥して、大概甘いなと男は自嘲する。
美しい波。砂浜に水平線上の太陽。
振り回すのは御互い様。