プロッターか、パンツァーか――。創作術のコラムを読むと、そんな議論をよく見かけます。プロットを書く派(プロッター)か、書かない派(パンツァー)か。以下は自分語りのチラシの裏です。
わたしはもともとパンツァーでした。設定は作り込みますが、プロットはほとんど考えず、執筆の海に飛び込んでいました。理由は「楽しいから」です。自分が作ったキャラクターが、好き勝手に喋ったり動き回ったりする感覚が楽しくて。話が思わぬ方向に流れても、逆にそれが面白い、みたいな。
もちろん、そんな書き方だとストーリーにどんどん矛盾が出てきます。そこはむりやり押さえ込んだり、放置したり、つじつま合わせのために後からシレっと修正したり……。
でも「賢いヒロイン」中編コンに敗退したとき、「このままではダメだ」と気づきました。あくまでも自分の場合ですけど。「パンツァーで楽しみながら書いていたら、作品の質は高まらない」と反省したのです。それでプロッターに切り替えました。
そこから書き上げたのが、最近の2作品。角川つばさ文庫向けの児童小説「クローバーノート」。それから、世界を変える運命の恋コン向け「半吸血鬼少女は倫敦を駆ける」です。
2作品とも課題は多いです。でも、書き方を変えて気づいたことも多くて。変えてよかったなと感じています。キャラクターが勝手に動き回る楽しさは半減しましたが、自分が作品をコントロールしている手応えは、プロッターの方が強いですね。
さて、カクヨムコンが近づいてきました。過去にパンツァーの手法で書き散らかして放置している未完作品を、プロッターの手法でリライトして終わらせたいという気持ちがあります。一方で、新たに書きたい作品のアイデアもあって、迷っています。