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戦国最強むすめ、つが

了信和尚とつがの親子が掘った場所の現在の写真です。
こんな壮大な無理ゲーを二人で始めたのですから、この辺りを散策すると身震いします。
やはり村人や支配者の力は必要です。
もしこれが後北条支配のなかで行われていたら、確実に史料に残り、伝説ではなく歴史として扱われ、女性が大活躍した史実として、日本中から大絶賛の嵐となるメジャー事業になるのではないかと思いました。
だもんでここでの折本村は、扇谷支配となってます。
横浜市民ですら、地元以外は知らないドマイナーですからね。
つまりこのときの小机城は、横浜市域支配の城ではなく茅ヶ崎城を睨んだ境目の城設定となります。
てことは北条氏綱は大永4年1月、茅ヶ崎城を無視して江戸城を取ったことになりますね。
江戸城の孤立を防ぐため、小机城は復活したのかな?
扇谷と後北条、横浜市域の領地支配はいびつだったのかな?
てか、茅ヶ崎城が扇谷領ってありえねー。
まあそうなんですけど、この当時、北条が鶴見川より北側の都筑郡辺りを支配していた記録もないのですよん。
少なくとも天文6年7月23日までは……。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648053262912/episodes/16817330650437270154

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