第6話:効果

本を片手に

 五月晴れ、給料日を四日後の木曜日に控えた日曜日のひととき。厳しい節約生活のストレスから解放されたい架橋かけはしは、アパートでお菓子を食べながら市治のイラスト本を眺めていると、

「そうだ。現場に行けばいいんだ!」

 とひらめく。

 架橋は「ここから一番近いところは?」と調べたら、まずは篠原城跡があがる。

「じゃあ、二番目は?」と探せば小机城合戦。

「さ、三番目っ!」とページをめくったら、"早苗さなえ地蔵じぞう"がでてきた。






 架橋は新横浜駅から横浜市営バス96系統に乗って"折本町おりもとちょう"で降りる。ちなみにこの途中に、小机城合戦由来の字をとった"矢の根"バス停がある。

 手前に大きなカーショップがある。そのすぐ、折本おりもと町の交差点を北に折れ、ショッピングセンター街を横切り、緑のある丘を目指して五分くらい歩くと、狭い切り通しが見えた。今はどう坂とよばれている。田舎道にしては交通量がそこそこ多く、左右の崖はコンクリートで固められていた。

 

 これが戦国時代の天文てんぶん年間初期、堂坂は折本の谷戸へ繋がる水路として作られたと推定されている。水路はもうないが、大正時代の古写真では水路が確認され、昭和三十二年の地図までそれは存在したらしい。

 海抜二十メートル幅二百メートルほどある丘を、人力のみで掘っている。その高低差は六メートルほどの堀割りである。

 しかも当初は、親子のみで工事を始めている。

 何故か?

 水路を掘った親のほう、了信りょうしん和尚は安芸あき国(広島県西部)で起きたとある戦乱に負けて、愛娘を連れ逃走する。常陸ひたち国(茨城県)の親類のもとへ向かうはずが、この折本で力つき、倒れた。

 この親子は本来、ここで飢え死にするはずだった。

 だが、村の民に助けられた。

 そのため折本村は、二人にとっては命の恩人達が暮らすかけがえのない新天地となった。

 了信はその恩に報いたかったのだ!

 村を見渡すと、水が乏しく作物が育たず飢饉が絶えない。

 しかし、丘の向こうは支流が多く水量豊かな鶴見川と、水田が広がる豊かな地が沢山ある。

 了信はそこに肥沃の源があると見抜き、近くに水源がある支流の谷戸川を、鶴見川ではなく折本村の大熊おおくま川に繋げ変えようと考えた。

 そのためには、豊かな村々と貧しき折本村を遮る丘を切るしかなかった。

 谷戸川沿いの村は、反対するどころか快諾してくれた。この川がなくとも水は得られるからという。

 しかし丘の全てを堀割にするのだ。かなりの難事業である。

 了信はそれでも実行した。

 折本村の民は、絶対に無理だと最初から決めつけ、了信親子の様子を眺めていただけだった。バカにもした。だが、それでも二人の諦めない姿に心が動かされ、日を重ねるごとに協力してくれる村人が増えていく。しまいには老若男女百四十五人ほどが協力してくれた。

 この水路は二度の崖崩れ被害と、了信の志し半ばでの死を乗り越えて完成させたものである。

 重機のない時代、すべてが手作業である。


 架橋は切通しを見上げ、それを思うと、鳥肌がたつほどすごいと実感する。

ーー瀬沢で見たのよりも大っきい……。

 架橋は車に気をつけながら、切通しの向こう側まで歩いた。

 行きつけば谷戸が広がる。住宅も多いが畑もたくさん残っている。手前を流れる大熊川は、

ーーこれも戦後、掘ったやつかな?

 と、武智川のそれとよく似ていた。

 全国的によく見かける工法だが……。

 後ろを向けば、丘へ上がる坂道がある。

 登ってすこし経ったところに、目当ての早苗地蔵があった。狭い場所に、ひっそりとある。これは了信とつがをモデルとした地蔵で、江戸時代、二人への感謝と豊作祈願のために作られたものである。

 架橋は地蔵に手を合わせ、その後、自撮りし、市治ちはるにメールした。

 早苗地蔵から谷戸へ少し戻ったところに、陸橋がある。人間しか使えない狭い橋だ。

 架橋は市治の本を広げ、イラストと実際の風景を見比べた。






ーーーーーーーー


 天文八(一五三九)年の折本村。現実と同じ快晴。道端には赤マンマの花が咲きはじめていた。谷を流れる大熊川の水量は乏しく、家もボロばかり。そんな極貧の村の人々は薄汚れたボロボロの小袖をまとってる者が多く、子供は全裸の者も珍しくない。ゆえに表情は暗かったが、これからは違う。皆、明るい。

 なぜなら宿願である用水路が完成したがらだ。

 子供達がワクワクしている。

 その一人が、話しかけた。

「つがねーちゃん、お水、いつくるの?」

「もうすぐだねー。あ、きたきた!」

 架橋がなりきってるつがは、十三歳の少女。

 丘を真っ二つに割って出来た水路に、水が勢いよく真っ直ぐに進む。

「わーい!」子供たちは両手をあげて喜んだ。

 崖の左右では、大人たちが歓喜をだす。位牌を持つ未亡人や老婆もいて、嬉し涙が止まらない。

 鶴見川北岸沿いの村人たちも見に来てくれた。鶴見川からこの切通しまでの水路作りに協力してくれたからだ。かれらの着物につぎはぎはない。家も傾いてない。田んぼには既に水が張っていた。

 その水は大熊川に合流し、そこから村人たちの水田に流れ込む。水量が増えた分の勢いがあり、それぞれの水田にそれだけ早く水が届く。

 そんな水田の中でも、所有する者が家族ぐるみで小躍りする。

 水田は、眩しいほど反射した。

 子供のひとりが、つがに言う。

「長かったね」

 つがは、子供の頭を撫でながら返した。

「キミが生まれる前から作ってたからね。もう九年になるかな。天文の初年に始めたから、そこは分かりやすいね」

 つがも位牌をだし、喜ぶ村人たちに向ける。

ーーみんな喜んでる。おとうちゃんが一番見たかったものだよ。私ら、お役に立てたんだよ。ほんとうによかった!

 つがは泣いた。ぐちゃくぢゃになるほど。

 父が口癖のように語ったこと。

「村の役に立ちたい」

 が、つがの脳裏から何度も響いてきた。

 子供達は、つがの号泣ぶりが面白くて最初は笑ったが、みんな知っている。

 了信和尚は一度目の崖崩れの犠牲者だったことを。




 七年前、梅雨上がりの曇ったとき、一度目の崖崩れが起きた。その後、村人は水路作りを諦めた。先祖代々極貧が当たり前だという卑屈ぶりが、いとも簡単に諦めさせた。

 報告を受けた茅ヶ崎ちがさき城の役人も、惨状に絶句した。

「ええい、了信の騙り者め。出来る出来ると言っておきながら、やっぱりこうなった」

 と怒った。この村は豊かになれない。しかし税金は、それでも他の村々と同じ比率で取る。為政者としては当然の発想でもある。

 身内を失ったとある村人は、つがを責めて泣かせた。余所者が天罰を持ってきたとも罵った。

 それでも幼いつがはたった一人、父の葬儀のあと、喪に服さず、崩れた崖を取り払った。

 雨の日でも、暗い夜でも、闇雲に続けた。

 危ないし、出来もしないし、親不孝だ。

 それでもつがは、父の死を悲しみながらも、水路作りを諦めなかった。

「村のお役に立ちたい」

 そればかり唱え、毎日、土砂を取り除いた。

 作業がはかどらない日々が過ぎていく。


 小雨ちらつくある日、ボロボロになって働くつがの小さな背中を、河越から出張帰りする茅ヶ崎城主が偶然見かけた。竹に二羽飛び雀の羽織が猛々しかった。

 城主は感動し、部下に命じた。

「城の蔵から食べ物と着る物を与えなさい」

 部下は「嘘つき坊主の娘ですぞ」と渋ったが、城主は聞かなかった。

「鶴見川対岸の余所者は土地 盗人ぬすっとだ。しかしあの余所者の子は真逆ではないか。あの子を支えることが我らの復権に繋がるのだぞ!」

 と説得し、部下に領民を守り、領地を豊かにする誇りを躾けた。

 理解ある城主は、つがを応援したい。

ーーワシは今、兄上の悲願たる江戸城奪還のため、ここに戻るのも難しいほど忙しい。故に細やかな支援しか出来ないが、頑張れ。もし成し遂げたら、子孫末代まで語り継がせるほど大きな褒美を与えようぞ。

 と、心に誓った。

 雲間からひとつだけ、日差しが現れた。


 村人は、また問われてしまった。

 たった一人の家族を失った幼子が、諦めず、また、小さな手で毎日土まみれになっているのだ。

 遊びたいはずだ。花飾りを作って綺麗になりたいはずだ。子供の当たり前を全て捨てている。

 極貧極貧と馴れ合っていても、結局、村一番の極貧はあの子ではないか!

 なのに、大の大人が諦めてどうする!

 村人は皆、奮い立って工事を再開した。

 つがを責めた村人は、謝った。

「ごめんねつがちゃん。手伝わせて」

 つがは感涙して許した。

「わたしのほうこそごめんなさい」

 つがは家族のように、村人は娘のように抱きあった。


 二度目の崖崩れは、三年前にあった。

 その時の村人は、諦めなかった。

「こうなったらとことん戦ってやる!」

「この丘め、人様の力を舐めるなよ!」

 など、犠牲者に悲しみながらも奮い立った。

 つがの想いは、村の固い想いとなっていた。




 だから子供たちも、もらい泣きした。

 汗と煙臭い薄汚れた大人たちが、つがの元に来て感謝する。

「これで、米がたんまり作れるだー」

「狩と野焼きの生活もおさらばだー」

「家も直せる。着物も買える。体も洗える。年貢もお役人様に叱られずに、ちゃんと収められるだー」

 などなど、尽きない。

 つがは村人みんなのおかげだと返した。

 しかしつがは、そう思ってない。

「いいえ。みんなの力です。でも、これからが本番です。だから頑張りましょう。この水路が作れたのですから、これからずっと豊作間違いないやねー」

 秋の収穫がとても楽しみだ。大熊川の水が枯れる度に、不作確定と諦めた毎年とは違う。水田は黄金色に輝き、面白いように米が取れるだろう。

 村の慢性的飢饉は、これで終わる。

 確実に終わるはずだ!

 つがは恩返しの夢を叶えた。

 みんな喜んでる。様々な想いの笑みが咲いてる。

 これでもう、充分だった。


 しかし、つがを支援してくれた茅ヶ崎城の殿様は、もう、いない。

 そこに現れた役人は、かつての役人と違う。

 雲行き怪しい対岸から来た三ツ鱗である。


 ーーーーーーーー





 

 市治の、早苗地蔵のイラストは二つある。

 春の晴れの日、完成して水が流れてみんなが感激しながら喜ぶ絵と、雨の中、一度目の崖崩れでもつがが一人、涙目で再開するも、不安がる村人が引き留める絵。

 相対してる。

 妄想から覚めた架橋は、泣いていた。

「はっ!」と涙を拭く。

 頭が変な人だと思われたくなかった。だが、見渡す限り人はいないのでホッとする。

 なにげない静かな郊外に壮大な歴史が、いや、伝承がある。

 それだけでもブルッときた。

 貴重な想いに浸れた架橋は、

「……お腹がすいた〜」

 と、自分に呆れて笑った。

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