瀬沢古戦場③
レパード車内。時計は午後三時を過ぎてる。
それでも焦る気持ちは現さず、
「次は九ツ塚へ行きます」と言った。
来たからにはやり遂げたかった。
狭い田舎道、とはいえ歴史ある
「市治ちゃん、あそこ寄ろう!」
と、興奮気味に言った。
市治は架橋のために応じた。
真っ先に車を降りる架橋。
「おやつー!」と騒いで、店の中に入った。
ここは地元のパン屋である。
架橋は唐揚げベーコンドッグ、
架橋は感謝し、食後、自分の朝食用にレーズンパンを買い足す。三人もつられて、家族用に食パンを買い求めた。
九ツ塚に着いた。場所は富士見町横吹。
「第二石碑はっけーん!」架橋、期待通りのかけ声に、三人は集まって見学する。
九ツ塚と刻まれた、目新しい小さな石柱と、字が読めないくらいに古い大きな石碑。そして、瀬沢合戦石碑の案内板と同じ形をしたそれがある。
創和は、今度は育美に言った。
「では
「ハッ、中将どのっ!」
育美は敬礼しても、ほんわかしてる。
育美はさっそく読んだ。
「九ツ塚……、瀬沢合戦……戦死者……葬……伝……マルっ」
「平仮名を読まんかーい!」
架橋は腹を抱えて笑う。
創和と育美はハイタッチする。
市治は、またかと思うも、愉快な人たちだと和んだ。
ここは瀬沢合戦もうひとつの激戦地である。逃げる諏方頼重の軍勢が石碑背後の
武智川も江戸時代までは、"武血川"と記されていたほどである。
架橋は橋の下を流れる川をみて言った。
「橋から川まで五メートルほどかな? ちょっと谷川っぽくなってるね。足軽さんたち、渡るの大変そうねー」
市治は地形を見渡しながら、現代治水の知識をかけ足して言った。
「いや、これは恐らく、戦後高度経済成長期の洪水対策で、わざと深く掘ったものですね。よくあることです。それ以前は地面近くで流れていたと思います」
「なるへそ」架橋は納得した。
架橋の脳裏から、伝承の様子が飛び出た。
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架橋はしゃがんだ。震え、鳥肌が浮かび、胸を抑え、涙が湧いていた。
育美は心配する。
「どうしたの、そらちゃん?」
「………、グロい……」
「えっ?」
「妄想怖い……」
「小机はできたのに?」
「なんででしょうね? 分かんないけど……」
創和は案内板を見ながら、なんとなく理解した。
「確かにグロいかも。いくさっていえば、正面と正面でガチンコするって印象だからな。しかしこれには、それがイメージできない」
育美は頷いた。
「なるほど、逃げる諏方の衆を背後から襲ったのかもしれないね。激戦というより、虐殺……」
市治は、妄想じみた感想でも共感する。
「武田信玄と言えば、およそ六分七分の勝ちがベストだという名言がありますけど、ここは、それらしくありませんね」
育美は、それに続く信玄の名言"九分十分は勝ち過ぎだから最悪だというのは、この反省からきたのかな?"と、想像した。
そもそも歴史認定されていない合戦だ。だから違うと思うけど、それでも名言に深みが湧いて、身に染みる。
創和は検索した。
「まだ怖い言い伝えあるみたいだよ。鎧武者の幽霊が出るとか……」
というと、市治が急にしゃがみ込み、頭を抱え、震えた。
育美が、また心配する。
「どうしたの、市治さん?」
市治は声を震わせ、答える。
「おばけ、こわい……」
「えっ?」育美は苦笑いした。
架橋はこれで我に返り、しゃがみながら市治に近づき、密着し、抱きついきながら笑って言う。
「おばけこわーい!」架橋は面白がる。
「きゃあぁぁぁ……」市治は震えた。
市治のか細い悲鳴が、かわいい。
創和はふと、思った。
「もしかして舞岡さん、小机城に行けない派?」
「……はい」
育美は「なんで?」と問うと、創和は「その界隈じゃ有名なスポットだから」と教えた。
怖いと言うと、創和は市治の、円山公園でのリアクションに不自然だったことを思い出し、訊ねた。
「もしかして、高いところもダメ?」
「はい。天守閣にも登れません……」
「それ、歴オタとして致命傷じゃん。でも、かわいいー!」と、しゃがんで抱きついた。
育美にも地下道で思い当たる節がある。
「暗いところも?」
「はい……」
「やだ、弱点多すぎ。かわいいー!」育美も抱きついた。
三人に密着された市治は、恥ずかしくて「かわいくないです……」としか言い返せなかった。
暮れてきた。敗走した諏方軍が集結したと伝わる
景色は良い。丸山公園以来、八ヶ岳が眺められる。
市治は「諏方ですか……」と、しんみりつぶやく。
育美「どうしたの?」と問う。
市治「いや、信濃四将といいながらも、出てくるのが諏方ばかりで……」
創和「そういえばそうだ」
育美「じつは武田と諏方のガチンコ勝負だったりして」
市治「さっき見た血ヶ原に小笠原長時が布陣したという話がありますが、それだけで、武田にやられたとかいう話がないのです。信濃四大将と甲陽軍鑑にあっても、誰が総大将かは記されていません」
創和「普通に考えたら小笠原長時だろ。守護なんだし。というか甲陽軍鑑、信玄伝説つくりたくて話を盛ったんじゃね?」
育美はしんみりと言う。
「あのさ、瀬沢の歴史がないってことは、信玄はもしかしたら、この戦いが悲惨すぎて隠したかったのかな?」
創和は半信半疑となる。
「なんかそれ、ご都合主義だね」
育美は認めながらも、
「じゃあ、歴史推理小説のネタにはなるかな?」
と、苦笑いした。
架橋は市治に問う。
「郷土史家的にはこのいくさ、どう思う?」
「私、富士見の専門ではありません」
「じゃあ、なんで武田信玄に詳しいの?」
「永禄十二年の疑惑を追求するには、武田信玄の人生の書籍を読み漁るのは当然です。ですから、ここ辿り着けたのです。無駄骨でしたが……」
「で、横浜の疑惑はどうだった?」
「情報が未だ一つも見つからないので、開店休業中です。もしかしたら永遠に出てこないのかもしれません」
市治は半分諦めていた。
育美が改めて、架橋の質問を投げた。
「市治さんは瀬沢の戦い、あった派? なかった派?」
市治はすこし考えて、答えた。
「あった派……、でしょうか」
「その心は?」
「なかったらつまんない」
「えっ?」
「諏方頼重はこのいくさがあった年の七月に、武田信玄に滅ぼされたのです。合戦に負けてから滅亡したほうが示しがつくではありませんか。小笠原も村上もそうだったのですから」
育美は意外と納得した。
「確かに負け戦さなしで滅んだらマヌケ感があるかも。真田幸村みたいな散り花が咲けないもん」
しかし創和は笑った。
「いやそれ必要?」
育美は苦笑いする。必要ないと分かっていても盛り上がれるストーリーがほしい。
市治は逆に、誇らしげだった。
「はい。だから私は偽物(郷土史家)なんです。本当は、ひとり歴史妄想でウェルビーイングしたいだけの器小さき女ですから」
ここで架橋が食いつく。
「私もウェルビーイング系!」
四人、声を揃えて笑った。
家々の灯りがつきはじめた。
これ以上の散策は、無理だ。
市治は予定がずれて謝る。
「家に帰るのは深夜になりますね。すみません」
架橋まったく気にしない。
「大丈夫ね。私、ひとり暮らしだし。明日は日曜日だし」
育美は満足している。
「旅の醍醐味は、時間とお金の無駄遣いっていうもんね。楽しかったから、市治さんに感謝だよ」
創和はタブレットを見せ、ならばと提案する。
「近くに温泉あるから、寄り道しよ!」
釜無川沿にある硫黄温泉だった。
市治は「今日中に帰れませんよ」とつぶやきながら、車のドアを開けた。
温泉が気持ち良すぎて、夜八時をすぎた。
四人みな、身も心も温まった。
車のドアを開けようとする市治に、架橋は提案する。
「私が運転してあげる。今日のお礼ね」
市治は不安で、顔に出る。
架橋は大丈夫だと促した。
「ちーちゃん、お風呂でうたた寝してた。一番疲れてるね」
市治の目が座り、赤面する。見られたのは恥ずかしい。あと、なにげに市治の呼び名が変わってる。
ーーこれからは、ここでは"ちーちゃん"か……。
と思うと、そんなあだ名も悪くはない。
架橋は「お願いします」と頭を下げ、架橋にカードキーとマスターキーを渡した。
「お願いされました!」
架橋の、月明かりに照らされたほほえみに、市治は不思議な安心感を覚えた。
「じゃあ、
「はいっ! 御大将どのっ!」架橋の敬礼が頼もしい。
でも、架橋はすぐにヘラヘラ笑った。
それは子供っぽい。
でも、市治はつられて笑った。
架橋がレパードのハンドルを握る。横浜を目指してアクセルを踏んだが、
地元産の黒毛和牛と高原野菜が、美味しくてたまらなかった。
架橋、今日いちばん感涙した。
結局は、食べ物である。
しかし架橋は、給料の一割もがこの地で失った……。
架橋、懐の痛手はげしく、涙目。
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