瀬沢古戦場③

 レパード車内。時計は午後三時を過ぎてる。市治ちはるはこの時間には散策を終えて、帰路につくと考えていた。これなら横浜へは夜でも早い時間に帰れるからだ。だが、大幅に予定が遅れた。

 それでも焦る気持ちは現さず、

「次は九ツ塚へ行きます」と言った。

 来たからにはやり遂げたかった。

 狭い田舎道、とはいえ歴史ある旧甲州街道きゅうこうしゅうかいどうをゆっくり北へ走らせると、架橋かけはしが左側を指でさし、

「市治ちゃん、あそこ寄ろう!」

 と、興奮気味に言った。

 市治は架橋のために応じた。

 真っ先に車を降りる架橋。

「おやつー!」と騒いで、店の中に入った。

 ここは地元のパン屋である。

 架橋は唐揚げベーコンドッグ、創和はじめは生チョココロネ、育美いくみはカメメロンパン、市治は塩バターパンを買い、表のベンチに座って食し、手作りの優しい美味さを満悦した。

 架橋は感謝し、食後、自分の朝食用にレーズンパンを買い足す。三人もつられて、家族用に食パンを買い求めた。


 九ツ塚に着いた。場所は富士見町横吹。

「第二石碑はっけーん!」架橋、期待通りのかけ声に、三人は集まって見学する。

 九ツ塚と刻まれた、目新しい小さな石柱と、字が読めないくらいに古い大きな石碑。そして、瀬沢合戦石碑の案内板と同じ形をしたそれがある。

 創和は、今度は育美に言った。

「では寺家てらや軍曹、これを読みたまえ」

「ハッ、中将どのっ!」

 育美は敬礼しても、ほんわかしてる。

 育美はさっそく読んだ。

「九ツ塚……、瀬沢合戦……戦死者……葬……伝……マルっ」

「平仮名を読まんかーい!」

 架橋は腹を抱えて笑う。

 創和と育美はハイタッチする。

 市治は、またかと思うも、愉快な人たちだと和んだ。

 ここは瀬沢合戦もうひとつの激戦地である。逃げる諏方頼重の軍勢が石碑背後の武智たけち川を渡る途中、武田勢の追撃をうけ、多数の戦死者を出したと伝わる場所だ。その戦死者を九つの場所に分けて葬ったという言い伝えを、今に残している。

 武智川も江戸時代までは、"武川"と記されていたほどである。

 架橋は橋の下を流れる川をみて言った。

「橋から川まで五メートルほどかな? ちょっと谷川っぽくなってるね。足軽さんたち、渡るの大変そうねー」

 市治は地形を見渡しながら、現代治水の知識をかけ足して言った。

「いや、これは恐らく、戦後高度経済成長期の洪水対策で、わざと深く掘ったものですね。よくあることです。それ以前は地面近くで流れていたと思います」

「なるへそ」架橋は納得した。


 架橋の脳裏から、伝承の様子が飛び出た。


 ーーーーーーーー






 ーーーーーーーー


 架橋はしゃがんだ。震え、鳥肌が浮かび、胸を抑え、涙が湧いていた。

 育美は心配する。

「どうしたの、そらちゃん?」

「………、グロい……」

「えっ?」

「妄想怖い……」

「小机はできたのに?」

「なんででしょうね? 分かんないけど……」

 創和は案内板を見ながら、なんとなく理解した。

「確かにグロいかも。いくさっていえば、正面と正面でガチンコするって印象だからな。しかしこれには、それがイメージできない」

 育美は頷いた。

「なるほど、逃げる諏方の衆を背後から襲ったのかもしれないね。激戦というより、虐殺……」

 市治は、妄想じみた感想でも共感する。

「武田信玄と言えば、およそ六分七分の勝ちがベストだという名言がありますけど、ここは、それらしくありませんね」

 育美は、それに続く信玄の名言"九分十分は勝ち過ぎだから最悪だというのは、この反省からきたのかな?"と、想像した。

 そもそも歴史認定されていない合戦だ。だから違うと思うけど、それでも名言に深みが湧いて、身に染みる。

 創和は検索した。

「まだ怖い言い伝えあるみたいだよ。鎧武者の幽霊が出るとか……」

 というと、市治が急にしゃがみ込み、頭を抱え、震えた。

 育美が、また心配する。

「どうしたの、市治さん?」

 市治は声を震わせ、答える。

「おばけ、こわい……」

「えっ?」育美は苦笑いした。

 架橋はこれで我に返り、しゃがみながら市治に近づき、密着し、抱きついきながら笑って言う。

「おばけこわーい!」架橋は面白がる。

「きゃあぁぁぁ……」市治は震えた。

 市治のか細い悲鳴が、かわいい。

 創和はふと、思った。

「もしかして舞岡さん、小机城に行けない派?」

「……はい」

 育美は「なんで?」と問うと、創和は「その界隈じゃ有名なスポットだから」と教えた。

 怖いと言うと、創和は市治の、円山公園でのリアクションに不自然だったことを思い出し、訊ねた。

「もしかして、高いところもダメ?」

「はい。天守閣にも登れません……」

「それ、歴オタとして致命傷じゃん。でも、かわいいー!」と、しゃがんで抱きついた。

 育美にも地下道で思い当たる節がある。

「暗いところも?」

「はい……」

「やだ、弱点多すぎ。かわいいー!」育美も抱きついた。

 三人に密着された市治は、恥ずかしくて「かわいくないです……」としか言い返せなかった。


 暮れてきた。敗走した諏方軍が集結したと伝わるしろ尾根おね陣場は、九ツ塚から歩いて数分で着ける小高い場所だ。

 景色は良い。丸山公園以来、八ヶ岳が眺められる。

 市治は「諏方ですか……」と、しんみりつぶやく。

 育美「どうしたの?」と問う。

 市治「いや、信濃四将といいながらも、出てくるのが諏方ばかりで……」

 創和「そういえばそうだ」

 育美「じつは武田と諏方のガチンコ勝負だったりして」

 市治「さっき見た血ヶ原に小笠原長時が布陣したという話がありますが、それだけで、武田にやられたとかいう話がないのです。信濃四大将と甲陽軍鑑にあっても、誰が総大将かは記されていません」

 創和「普通に考えたら小笠原長時だろ。守護なんだし。というか甲陽軍鑑、信玄伝説つくりたくて話を盛ったんじゃね?」

 育美はしんみりと言う。

「あのさ、瀬沢の歴史がないってことは、信玄はもしかしたら、この戦いが悲惨すぎて隠したかったのかな?」

 創和は半信半疑となる。

「なんかそれ、ご都合主義だね」

 育美は認めながらも、

「じゃあ、歴史推理小説のネタにはなるかな?」

 と、苦笑いした。

 架橋は市治に問う。

「郷土史家的にはこのいくさ、どう思う?」

「私、富士見の専門ではありません」

「じゃあ、なんで武田信玄に詳しいの?」

「永禄十二年の疑惑を追求するには、武田信玄の人生の書籍を読み漁るのは当然です。ですから、ここ辿り着けたのです。無駄骨でしたが……」

「で、横浜の疑惑はどうだった?」

「情報が未だ一つも見つからないので、開店休業中です。もしかしたら永遠に出てこないのかもしれません」

 市治は半分諦めていた。

 育美が改めて、架橋の質問を投げた。

「市治さんは瀬沢の戦い、あった派? なかった派?」

 市治はすこし考えて、答えた。

「あった派……、でしょうか」

「その心は?」

「なかったらつまんない」

「えっ?」

「諏方頼重はこのいくさがあった年の七月に、武田信玄に滅ぼされたのです。合戦に負けてから滅亡したほうが示しがつくではありませんか。小笠原も村上もそうだったのですから」

 育美は意外と納得した。

「確かに負け戦さなしで滅んだらマヌケ感があるかも。真田幸村みたいな散り花が咲けないもん」

 しかし創和は笑った。

「いやそれ必要?」

 育美は苦笑いする。必要ないと分かっていても盛り上がれるストーリーがほしい。

 市治は逆に、誇らしげだった。

「はい。だから私は偽物(郷土史家)なんです。本当は、ひとり歴史妄想でウェルビーイングしたいだけの器小さき女ですから」

 ここで架橋が食いつく。

「私もウェルビーイング系!」

 四人、声を揃えて笑った。


 家々の灯りがつきはじめた。

 これ以上の散策は、無理だ。

 市治は予定がずれて謝る。

「家に帰るのは深夜になりますね。すみません」

 架橋まったく気にしない。

「大丈夫ね。私、ひとり暮らしだし。明日は日曜日だし」

 育美は満足している。

「旅の醍醐味は、時間とお金の無駄遣いっていうもんね。楽しかったから、市治さんに感謝だよ」

 創和はタブレットを見せ、ならばと提案する。

「近くに温泉あるから、寄り道しよ!」

 釜無川沿にある硫黄温泉だった。

 市治は「今日中に帰れませんよ」とつぶやきながら、車のドアを開けた。


 温泉が気持ち良すぎて、夜八時をすぎた。

 四人みな、身も心も温まった。

 車のドアを開けようとする市治に、架橋は提案する。

「私が運転してあげる。今日のお礼ね」

 市治は不安で、顔に出る。

 架橋は大丈夫だと促した。

「ちーちゃん、お風呂でうたた寝してた。一番疲れてるね」

 市治の目が座り、赤面する。見られたのは恥ずかしい。あと、なにげに市治の呼び名が変わってる。

ーーこれからは、ここでは"ちーちゃん"か……。

 と思うと、そんなあだ名も悪くはない。

 架橋は「お願いします」と頭を下げ、架橋にカードキーとマスターキーを渡した。

「お願いされました!」

 架橋の、月明かりに照らされたほほえみに、市治は不思議な安心感を覚えた。

「じゃあ、八王子はちおうじ(IC)までお願いします」

「はいっ! 御大将どのっ!」架橋の敬礼が頼もしい。

 でも、架橋はすぐにヘラヘラ笑った。

 それは子供っぽい。

 でも、市治はつられて笑った。

 架橋がレパードのハンドルを握る。横浜を目指してアクセルを踏んだが、小淵沢こぶちざわインターチェンジへ入らず、少し北進した所にある店で車を止め、遅い晩御飯とした。

 地元産の黒毛和牛と高原野菜が、美味しくてたまらなかった。

 架橋、今日いちばん感涙した。

 結局は、食べ物である。


 しかし架橋は、給料の一割もがこの地で失った……。

 架橋、懐の痛手はげしく、涙目。

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