●高階結衣のうんちく
皆様、お久さしゅうございますぅ~……と言っても、忘れてはるお人もおますやろうけど。
県立東葛山高校三年で超絶美少女で有名な平良君の先輩どす。自分で超絶美少女とか頭おかしんちゃう? とか思わんといてな。。。。あと、千葉県生まれの千葉県育ちなのに、なんで変な京都弁なん? とかいうツッコミも勘弁や。。。って、仕方ないやんッ! 台本にそう書いてあんねんッ!
……さて、気を取り直して、今回は『建春門院中納言日記』より八条院御所についてお話ししたいと思います。
『建春門院中納言日記』はもともと決まった表題はついておらず、『健寿御前日記』や『たまきはる』などと言われてます。作者は藤原俊成の娘で同母弟に藤原定家がいます。成立の動機は鎌倉時代となり、もはや平安宮中の優美な儀式や服飾などが完全に薄れてしまった時代。若い女房達が華やかだった頃の昔話を聞きたがるので、その口述を養女の春華門院右衛門督がまとめ、さらに弟の定家が加えたものだと伝わっています。
本文から作者の性格は勝ち気で上昇志向の強い人だったようです。『出来るキャリアウーマン』平滋子に憧れを持ち、日記の前半は滋子はこんなにも素晴らしい女性なんだぞと褒めちぎってます。
『……朝夕の御ことぐさに「女はただ、心から、ともかくもなるべきものなり。親の思ひ掟(お)きて、人のもてなすにもよらじ。我が心をつつしみて、身を思ひ腐(くた)さねば、おのづから、身にすぐる幸ひもあるものぞ」と、おほせられし御いさめに……』
……滋子の口癖(くちぐせ)である「女はただ心掛け一つでどうにでもなるものです。親の言付けや周りの人が助けてくれるからではない。自分の才や美貌に慢心せず、また心の中で腐らず、自分を卑下(ひげ)したりしなければ、自然と自分自身が満足できる幸せに巡り合えるものですよ」を教訓として……
現在にも通じる言葉ですね。。。もし会社にこんな素敵な女性の上司がいたら、ウチもきっと憧れてしまいますッ!
それだけに八条院御所で働き始めた建春門院中納言は、何事もキチンとしていた建春門院の職場と比べてギャップが激しかったようですよ。
『……昔見し世には違ひて、ただありよくやすき事の外の事なくて、人の服飾(なり)も何を着よといふ事もなかりしかば……<中略>……後にぞ所々の請文(うけぶみ)などいひて見えしかど……吾が心にしたきままにて、褻晴(けはれ)もなし。……<中略>……御所の中、殿上、中門、透渡殿(すきわたどの)などは、さし参る人の足も堪え難きまで塵(ちり)積もりたれど、あれ掃(は)け拭(ぬぐ)へなどいふ人もなければ、我がいかになど云えど、賢(さか)しととがむる人もなし。その折ばかり、こはいかになど云ひて掃く。』
散々ですね。。。。コーディネートも滅茶苦茶で、普段着と外出着の区別なく、姫宮も昼夜関係なく、いつも同じ服装で誰も頓着しない。大事な所領からの報告書も見つからず、御所のあちらこちらで塵が積もり放しで気にもしないので、作者がブツブツ言いながら掃除している様子が目に浮かびます。
滋子には「人よりもおいらかに物づつみして<誰よりも素直で控え目>」と褒(ほ)められていた作者が八条院では、何事にも出しゃばって口を出すようになったのも納得できる話ですね。
その後、平家に対抗するため、五条局や三位局といった古参女房、頼盛の妻である女房と共に『八条院中納言』として小侍従に協力していくのです。