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『歴めろ。』第八十六話のうんちくコーナー

●平良のうんちく

 今回は迂遠な内容で申し訳ございません。
この院政時代は色々な勢力が絡み合い、単純に敵味方に分かれないところがややこしくしてますね。特にキーパーソンの後白河院がとにかく掻き乱すので始末に負えません。。。。。

 後白河院は簡単にいうと『大企業の御曹司ですが、経営者向きではないので芸能人を目指します』……そんな人です。
 大治二年<1127>に鳥羽上皇の第四皇子として生まれます。親王宣下を受けて『雅仁(まさひと)』と命名され、父・鳥羽上皇を挟んで二人の兄である崇徳上皇と近衛天皇が政争を繰り返してる中、全く無縁で気楽な生活を送っています。『愚管抄』には今様に明け暮れる毎日を送り、鳥羽上皇も天皇の器ではないと見放していたようです。

 実際、本文にも書いた通り、政治家としては全く暗愚ですが、アーティストとしては秀逸でした。
 後年、後白河院が記した『梁塵秘抄口伝集』には、
 『……そのかみ十余歳の時より今に至るまで、今様を好みて怠ることなし。……<中略>……四季につけて折を嫌はず、晝(ひる)はひねもす唄ひ暮らし、夜はよもすがら唄ひ明かさぬ夜はなかりき。……<中略>……声を割ること三ヶ度なり。二度は法(のり)の如く唄ひかはして声の出るまで唄ひ出したりき。あまりせめしかば、喉腫れて湯水通ひしもすぢなかりしかど、かまえてうたひ出しき……』

 ……十歳を過ぎた頃から今まで今様が好きで、怠けたことがない。……時節を問わず、昼は一日中歌い暮らし、夜を徹して歌い明かさぬ日はなかった。……声を潰したことが三度ある。二度は、誦経のように歌い続けて、声が出るまで歌いまくった。あまりムチャをしたので、喉ががらがらになって、湯水を飲むにも苦労したが、しっかり声を出して歌った……

 大まかな意訳で申し訳ございません。しかし、現在のアーティストもビックリするくらいの執心ぶりですね。しかも、何処かに秘伝の歌があると言えば取り寄せ、何処かに唄い上手があれば身分関係なく呼び寄せたそうです。やがて近臣の中にも今様を習い歌うようになって夜な夜な大合唱をしてたそうですよ。

 後白河院は作詞はもちろん、催馬楽や管楽も研究し、作曲までしているのです。

 現在に生きていたら、数多くのヒット曲を世に出していたかも知れませんね。

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