●灼のうんちく
作中の『風よ吹け~公爵令妹の短い生涯~』は実在しない映画です。
ただし内容は浅見雅男著:『公爵家の娘 岩倉靖子とある時代』を原作している体(てい)で参考にさせて頂きました。
源平時代の話をしてきたのに、急に昭和初期に起きた事件の話になって戸惑った人もいたかと思うわ。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
「サンデー毎日」昭和九年<1934>1月7日号には、兄・具栄(ともひで)が生前の靖子について語ってます。
『靖子はまるで世間を知らず、人夫などの汗水たらして労働している姿を見て帰っては、かわいそうだと涙ぐみ、同族や富豪の贅沢ぶりを見ては、どうしてこうも世の中には等差(差別)がひどいのだろうと思いに沈むし……。そうした単純な疑惑からつい赤に染まっただけに、どうしても“心”を変えない(文春オンライン抜粋)』
兄から見た靖子は何処までも純粋だったのでしょう。父の放蕩ぶりを聞き、母と兄の苦労を目の当たりにし、自分に何ができるのか愚直に悩む真面目な女性だったのだろうと思います。
昭和八年<1933>7月18日付の国民新聞(現東京新聞)では、靖子が共産主義者として検挙された際、兄・具栄(ともひで)は『お家再興』のため、身を粉にして働いていた宮内省帝室林野局を辞職しています。同僚の多くが同情を寄せる中で、『この際、何も申し上げられない。ただただ母に気の毒です』と語ったとあります。
靖子は市ヶ谷刑務所に収監されるわ。収監中に共産主義と決別し、12月上旬に釈放される。そして昭和八年<1933>12月21日早朝、靖子は自室で頸動脈を切り自殺するの。新聞によって『自刃』やら『自裁』やらと表現の違いはあったらしいけど、浅見雅男さんによると靖子が自殺した日に華族に対する処分を決める宗秩寮審議会が開かれたことを指摘しているわ。つまり死をもって『岩倉家』に類が及ばないようにしたのだと思います。ここでも兄・具栄(ともひで)は涙を流しながら語ったといいます。
「我が家は謹慎中の身。なにも申し上げる言葉はありません。ただ世間にも他の華族にもご迷惑をお掛けして顔向けが出来ない中、靖子はよくやったと褒めてやりたいです。でもこのためにご同情はご遠慮申し上げます」
あたしは当時の思想弾圧が惨いとか、自由への侵害とか、そういうのは語りたくないし語るつもりはないわ。歴史を語るとき、現代日本に住むあたしたちの価値観を物差しにしたくはないし、してはいけないと思っている。その時代に住む人々の思いを汲み、社会背景を考察し、時の移ろいを観察する……。それがあたしと平良が学ぶ『歴史』なの。
重たいお話で申し訳ないです。。。。
次回もお楽しみ頂ければ嬉しいです。