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『歴めろ。』第四十七話のうんちくコーナー

●灼のうんちく

 菅原孝標については、行成の日記『権記』にしばしば出てきます。
正暦四年正月九日条、行成は従四位下に叙位された喜びと一緒に、因幡掾孝標が東宮殿上を許されたことを記しています。
 蔵人頭になった行成は積極的に勤める孝標をよく記しています。頑張りすぎたかどうか。。。。
長保二年五月八日条、右衛門督・藤原公任が行成のところへ来て、
 「孝標が勅命を伝えに来まして『風紀を取り締まる新しい法令を出したのに、まだまだ弛んでいる。それは検非違使庁がしっかり施行してないからだ』とのことでした。さらに贅沢禁止令を出しているのに中宮の女房が絹の立派な袴を履いていたらしいという噂がお上の耳に届いてます、と言うのです」
 行成は驚き、慌てふためいて左大臣(藤原道長)に会い、そのことを話します。道長も動転して色々とおっしゃるが、行成も同様で全く内容が頭に入りません。とにかく内裏に上がって帝にお伺いを立てると、
 「わたしはそんなことは言ってない。その話は本当なのか?」
と、ますますややこしくなって、行成は再び道長のところへ言い訳に行ったそうです。。。。
 特に行成は孝標に対して批判を記してませんが、明らかに孝標のミスですね。上司である行成の苦労がわかります。。。。

 後、二人のマブダチのエピソードとして、
長保二年七月二十七日条、行成は帝のお召しで参内したところ、内裏で孝標に会います。何故か孝標は衣冠の下襲を脱いでます。行成が聞くと帝から「立派過ぎる」と怒られたとのことでした。しかも、行成に耳打ちします。「今、お上は機嫌が悪いので気をつけろ」と。
 行成は慌てて、いったん屋敷に戻り、普段着の古い下襲に着替えたと記されてます。。。。

かなりの意訳が入ってますが、微笑ましい二人のエピソードですね。。。。

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