●平良のうんちく
在原業平の歌の詞書。
二条の后とは、藤原長良の二女・高子(たかいこ)のことで、清和天皇の皇后様です。
この歌を詠んだときは、東宮の御息所と呼ばれていて業平とは懇意の仲だったようです。
本編にもあったように、定家は『紅葉』を流人として選んでいるが、この歌は道真の縁えにしとは別の意味もあると言われています。
『伊勢物語』には、脚色が含まれていて、業平が夜陰に乗じ二条の后を誘拐し、逃げていくが、途中に雷にあい、后を蔵に隠したところ鬼に喰われてしまったという話があります。
しかし、実際は後註には、
これは、二条后の、いとこの女御の御許に仕うまつるやうにてゐ給えけるを、容のいとめでたくあはしければ、盗みて負いて出でたりけるを、御兄人堀川大臣<藤原基経>、太郎国経の大納言、まだ下﨟にて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人ありけるを聞きつけて、留めてとり返し給うてけり……と、あります。
業平が想いを抑え切れずに誘拐したけれど、兄とその長男によって無事保護されたって話ですね。
まあ、こんな事件があったんで、業平は『東くだり』に追い込まれたのでしょう。
同じ流人でも、マブダチの道真とは全く違う気がします。。。