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2022年のはなし

メリクリ。今年もなんとか乗り切りました。というわけで今年の振り返りをちゃっちゃと済ませてしまいましょう。


【FF14】

最初は近況ノートのメインコンテンツから。ロドストでやれ。

暁月のメインは実装から4日ぐらいで踏破しちゃったので、そこには触れません。

去年は零式にばかりかまけていましたが、後述するリアル環境がアレだったりエデンモーン武器全部揃えてぶっちゃけ飽きたせいでまったくやらなくなりました。

エリクトニオス君だけはハチャメチャ楽だったので毎週カツアゲしに行ってましたが……

2022年のFF14で大きなイベントは3つありました。

1つ目はLハウスを購入したことです。お値段5000万ギルする高額物件でしたが、上手い事パッチの節目で儲けたりリーヴ消化をきっちりやっていれば手に入らない金額ではありません。

問題は、今まで先にハウスボードへタッチした奴が勝ちだったのが抽選制になったことです。完全運ゲーの中、土地を1つだけ指定して祈るしかなかったんです。

サーバー内だと個人宅は12区画×3土地しかないので枠は36しかないんです。私はエンピ30/60狙いだったんで実質12だったんですが、どうせ抽選なので誤差です。

まあ、当選した時はもうフィーバーしてましたね。よかった……ってずっとVC繋ぎっぱなしで言ってましたからね。

そのせっかく買ったLハウス、130体超のアルファチャンぬいぐるみを敷き詰めたせいでそんな飾りつけ出来てないんですけどね。それを特色と見るか。

2つ目はカンパニークラフトです。これについては
https://kakuyomu.jp/users/winkosan/news/16817330647894852033
を読んでいただければ苦労の程が分かるかと。

確かに2月から始め10月には決着をつけ、あとは換金用素材を掘るだけだったんですが……

何をトチ狂ったのか、12月に新しい潜水艦パーツ作りやがったんですよ私。効率悪いからとか言って。アホか。確かに効率上がったけど。

今年は本当にカンパニークラフト年でしたね。来年からは隠居します。

そして3つ目。オーケストラコンサートへの参加です。これも
https://kakuyomu.jp/users/winkosan/news/16817330650859145116
読めば分かります。

正直コロナかからないか心配だったんですが、なんとか無事でした。元気が一番です。はい。


【他ゲーム】

ほぼFF14やって寝るみたいな生活していましたが、その合間にいろいろやってました。

まずは2月にエルデンリング、4月末から幻想少女大戦、クロノクロスリマスターに付属していたラジカルドリーマーズ、LIVEALIVEリメイク。これが前半戦ですね。割とやってた。

一番プレイ時間長かったのはスプラトゥーン3でしたね。ポケモン出るまではほぼ毎日LSの人らとやってたんじゃなかろうか。あ、ポケモンはやってません。みんながポケモンバトルやってる間、ランスクエストとランス10で女の子モンスター捕獲してました。

……で、何をトチ狂ったのか12月からメイプルストーリーを10ウン年ぶりに始めまして。以下がその記事です。
https://kakuyomu.jp/users/winkosan/news/16817330650614329324

記事書いた後、1レベル上がったら追加で2レベル上がるキャンペーンが開催してしまったので、育成計画を全て放り出してメインキャラの作成に取り掛かるようになりました。今も取り掛かっています。

レベル200から、レベリング難度の次元が違います。デイリークエストをこなしてアーケインシンボル集めて、ボスを毎日殴りに行って……あれ?この業態もしやソシャゲでは?


【車】

1月だったか2月だったか、愛車を側溝に落としてしまいました。かなしい。


【実生活】

今回のメインコンテンツです。

去年の12月に施設を新築して怒涛の引っ越しを行い、ユニットケア頑張るぞー!ってなってました。はい。

暁月のフィナーレでフィーバーしていたからか、それとも新築の施設に感動していたのか知りませんが、とにかく最初の方はハッピーでした。

2月ごろからちょっと状況が怪しくなってきました。酒の飲み過ぎで休んだ部下が精神疾患で辞めたり、度重なる会議で残業が激増したり、上司が退勤の度に話をもちかけてくるせいで拘束されたり。

とにかくなんかヤバいって肌で感じていたんです。それでもなんとか乗り切ろうと思って頑張っていたんです。

7月だったか、部下同士が小競り合いを起こしたため、その問題解決に奔走していました。なので7月の終わりごろにようやく解決の目途がつくようになりました。

……と思った次の日、いきなり施設長とコンサルタントに呼ばれいろいろ責められました。っていうか施設長はまったく口を出しませんでした。コンサルタントが一方的に私を責め立ててきました。

散々好き勝手言った後、辞めるか事務職になるかの選択肢を突き付けられました。

正直、こんな職場辞めてやると思いました。人格否定をしまくるコンサルタント任せで何も言わない。というかそんな人を雇っていること自体に腹が立ちました。いや「俺に一切相談しなかった」とか言われても相談したくないんですよ。人格否定を平気でするような輩には。

ただ、他の人に散々引き留められたんです。特に現在の直属の上司に。という言い草から分かるかと思いますが、結局事務課へ転属ってことで決着がついたんですね。

そうなるまではもう辞めてやる!ってなっててその話の翌日に施設長へ辞めるって言ってシフトを作って帰る!ってやってたら元部下から散々引き留められ、くだらない話で散々人を拘束してきた当時の直属の上司にも引き留められ、現在の上司にもまた引き留められ……

あれ?私って必要とされている?僕はここにいていいんだ!おめでとう!ってなっちゃって施設長に頭下げて8月頭から事務課に配置換えとなったわけです。チョロすぎんか私は。

そんなわけで今は悠々自適な事務課ライフを送っています。夜勤はないし土日祝休み。有給も取りやすいし定時帰りは余裕。時折上司から挟まるケアマネージャー勉強がかなり難しい以外は業務も楽しいです。コンサルや介護課時代の上司への愚痴が聞けて「やっぱ私、間違ってなかったのでは?」と思ってます。

ただ、デメリットはもちろんあります。ウチの介護職員って処遇改善加算とか業務手当とか資格手当とか役職手当とか諸々ついていたんでお給料がありえん良かったんですよ。

その手当、丸ごとなくなりました。責任がなくなった代償として給料も下がります。それは覚悟していたことです。

あとシフトで動いていた介護職から平日出勤の事務職になって、平日気軽に休めなくなったことがライフスタイル的に痛手でした。

平日に休みがあると銀行や役所にホイホイ行けたし、人混み嫌いの私にとって平日のお店って空いてて幸せだったんですよ。今後は土日に店行くスタイルに戻さないといけませんね。やだなー。


【母】

1月の頭だったか、母がステージⅣの膵臓がんになりました。

もはや転移が進んでおり、単純な外科手術ではどうすることも出来ない。延命するにしても抗がん剤治療になるだろうと。

その抗がん剤でも3年間の生存確率は極めて低い。そう、がんに罹患した本人に言われました。3月ごろの退院だったはず。

当初はもう今年中に死ぬぞというムードだったので、いかにして資産を使い切って相続税を発生させないかって話をしてました。やれ車買うだ家建てるだって。でも固定資産に残るとダメだから旅行でパーッと使おうって。

抗がん剤治療を始めた当初の母はそんな感じの事を言っていましたし、我々家族も楽観視していました。甘かったです。

まず、抗がん剤を打つとロクに動けません。ロクに食べられません。頭髪もガンガン抜けていきます。打ってから1週間すると症状は和らぐものの、3週間に1度は打たなければならないので無事な期間は極めて短いです。

そんなこんなで死の受容が出来ていなくてイライラしてた母と、職場の環境が悪くてイライラしていた私は事あるごとにくだらないことで喧嘩していました。お互い落ち着いてからは仲直りしたんですが。

退院直後はもう余命短いから好きなことやってもらおうと思って母に帯同していました。「せっかくもうすぐ死ぬんだから贅沢なものを食べたい、しかし抗がん剤で食欲が無いから食べられない。なら息子に食わせよう」というわけですね。

要するに、2022年の私は食事を代わりに食べる系のレンタルおじさんをやっていたわけです。動きのある介護から動きのない事務に移った事もあり、かなり太りました。

あと最初は髪がほぼない状態になっていましたが、弱い抗がん剤に切り替えてからはだんだん髪が元に戻ってきました。それでも外出する時はカツラをつけていますが……

そんな状況を職場の人達に伝えたところ、親孝行してやんなという空気が出来上がりました。つまり母が生存している間は有給取り放題って算段です。と言ってもほぼ母のために有給取ってんですけど。

母は、というか祖母が旅行大好きだったんでその影響を受けた母と私も旅行大好きなんです。母も私と同じく人混み大嫌いなんで、平日に旅行行きたがるんですよね。なので母の旅行に帯同する場合は必ず有給取ります。取れなかったら親父に任せています。

個人的に2022年で一番大きかったのは母の癌だったんじゃないかなって述懐しています。昨日兄貴が「今年中生きていられて良かった」って母に言っていましたが、全くもってその通りだと思います。本当に生きていて良かった。

来年以降どうなるかは分かりませんが、これからも母の趣味に付き合って行こうと思う所存でございます。本気でヤバくなったら料理作ってくれとも言われてるし、なんとかします。

正直、母にいなくなられると困る。親父のクッソくだらん話を聞く人がいなくなってこっちにしわ寄せが来ますので。親父が死にそうになったら考えは変わるのでしょうが。それでは、よいお年を。

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