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京の都の微妙な坂道―「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「七十一」を投稿しました!

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「七十一 翠令、苦しい道のりを行く」を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927861203747762

今回から翠令は東国を目指して歩いていきます。
そして、海辺の街・錦濤で育った彼女はほとんど坂らしい坂を歩いたことがないために疲労に苛まれることになります。

まず、平安京について坂の有無を述べますと……。
平安京の朱雀大路は今の千本通です。ここから平安京の東西の端まで、京都盆地の中にすっぽり入っているため概ね平らです。少なくとも歩いている人が「坂道」と感じられるような坂道はありません。
それどころか、平安京の西半分は低地で湿気が高く、ゆえに都が遷って来ても栄えることなく寂れていったとされているほどです。

日本大百科全書(ニッポニカ)「平安京」の解説によれば(https://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BA%AC-128777 最後のパラグラフ)「桂川に近く低湿であった右京が衰退し、左京のみが発達するようになった」とあります。

厳密に言えば、南北に高低差はあります。
京都は北から南に扇状地が広がる盆地ですので、ゆるやかな傾斜にはなっています。

私が京都で暮らすことになり物件を探していた時、不動産屋さんが車の中で教えてくれた話では、京都駅近辺と北大路通とでは京都タワー分の標高差があるのだとか。
しかしながら、ごくごく緩やかなものですので、坂の上に住んでいると感じている京都人はいないだろうと思います。

坂道が現れるのは、東山(銀閣寺、南禅寺、清水寺など)や、北山(金閣寺など)京都盆地を囲む山の近くに行く時くらいですね。

私は坂の街の神戸育ちなので、急峻な坂道なんかへっちゃらで育ってきました。そして大人になって京都で暮らし始めて平坦な街だなあと思い、そして東山や北山あたりに行くときも大した坂じゃないと思っていたんです……ちょっと前まではw

ところが。
そんな私も結構なオバはんになり。ちょっとした傾斜にも敏感になりました。
若い頃なら平気でママチャリを漕いでいたのに、今はしんどく感じるのです。
北山や東山については、若い人や変速ギアがついた自転車ならいけても、年配の人がママチャリで超えるのはしんどい……そんな坂道だとお考え下さい。

そして拙作の翠令は海辺の港町で生まれ育った人間です。。
大坂の南の方の平野部は見渡す限りずーっと平地です。滅多に行かないのですが、たまに行くとびっくりします。

こういった場所で生まれ育った翠令は、京都の東山程度でちょっとした登山に感じられます。そして無事に東山を超えたことで「あ、これなら自分の足でも行けるかも」と楽観的な気分になるのです。

しかしながら、東山は一番有名な大文字山でも標高は500メートルもありません。
街道はもちろんもっと低い場所を通ります。
調べて見ると三条から蹴上を通って山科を結ぶルートでは、国土地理院の地図で見ても標高100メートルくらいです。(http://maps.gsi.go.jp/#18/34.995179/135.797136/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
また、GoogleMAPのルート検索で徒歩を選ぶと高低差も表示されますが、三条京阪と日ノ岡夷谷町あたり(国土地理院の地図で標高が一番高いと思われた場所)で高低差が130mほどです。

地下鉄蹴上駅付近で撮影した写真をこの記事に掲載しておきます。
急峻という訳では決してないけれど、ずっと登っていると体力を消耗する程度の勾配の坂道です。

もちろん、山科からずっと先、東国まで歩いていこうとすれば、もっともっと急な山道が延々と続きます。
今までろくに坂道らしい坂道を歩いたこともなく、京都の東山程度でも「登山」だと感じてしまう翠令にとっては体力的に厳しい道のりが続きます。

果たして彼女は佳卓に無事会えるかどうか……。
佳卓から策を得るために苦闘が続きます。
ちょっと読んでてしんどいかもしれませんが、この小説はハッピーエンドですので、どうか最後までご愛読賜りますよう……。

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