平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「八十 翠令、都の人々に策を伝える(一)」を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927861303889947「六十六 翠令、失踪する」で翠令が円偉の目から隠れて行動するようになってから、翠令の京の都での拠点は佳卓の兄の邸宅です。
佳卓の兄の邸宅というか、この時点では妻の家に通っているので、佳卓の兄の妻の邸宅ですね。
佳卓の兄は左大臣家の嫡男であり、その正妻の住まいですから、彼女も都の中でも高級住宅街に住んでいるとイメージしています。
たびたび話題にしていますが、京都市の平安京創生館に平安京の詳しい復元模型があります(実物の1000分の1)。
平安建都1200記念事業として作られたものであり、皆さまの日本史の歴史資料集などで紹介されていることも多いアレです。
(平安京創生館
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/souseikan/)
「だいたいこんな感じだったよねー」という雰囲気で作られたものではなく、きちんと文献や考古資料によって考証されたものです。
書籍としては「よみがえる平安京」(淡交社)に詳しく掲載されています。
「この通りとこの通りの交差点の角には誰それの邸宅があった」と具体的です。
平安時代と一口に言っても期間が長いので、前期・中期・後期に別れて解説されています。
残念なのは、とても活字が小さいので、ちょっと読み取りづらいところ……。
拡大コピーをとるか、虫眼鏡を使うかした方がストレスなく読めそうな気がします……。
時代によって多少違いはあるものの、貴族が邸宅を北の大内裏近くに構えるのは当然のことです。職住近接の方がいいですもんね。それに帝のお住まいに近い方がステイタスもあるでしょう。
それに加え、西の方(右京)がさびれていくので、名のある貴族の邸宅は東北に分布が偏っているという印象を受けます。
この記事に「よみがえる平安京」の巻末にある、「平安京変遷図(中期)」の写真を掲載しておきます。
分布の偏りと、文字の小ささwがお分かりいただけるかと思います。
確か繫田信一さんの著作に、四条以北の土地の値段が高くて高級住宅地だったのだろうという解説があったかと思います(スミマセン、図書館で借りたご本のどれかだと思うのですが、直接コレという記憶が今ありませんで……)。
また、時代が下りますが、二条通を境に南北(上下)を区切る言い回しもあったようです。
(世界大百科事典内の二条通の言及
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8C%E6%9D%A1%E9%80%9A-10433129
拙作でも、左大臣家の嫡男が通っている妻の邸宅は「左京三条京極」としています。それなりの格式のある家だという設定です。(二条通以北だと歴史上実在する有名人の邸宅と場所が被ってしまうので、それは避けて、三条あたりだとしました)。
翠令が佳卓の奇策を持ち帰り、それを聞いた人々が実行に移すことで、拙作もクライマックスシーンに入っていきます。
あともう少し。
どうか最後までご愛読賜りますよう。