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遣水は蹴散らせるか?―「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四十六」を投稿しました!

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四十六 白狼、佳卓に頭を下げる(一)」を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927861084916840 
今回、白狼は、姫君を追うために庭に飛び降ります。
本文は以下の通りです。

「白狼は階を降りる時間も惜しんで、その場から高欄を踏み越え庭に飛び降りた。そして、池に続く遣り水の浅い流れなど蹴散らして、西の竹林に向かう女を追う」

さて。
寝殿造の庭に遣水はつきものですが、それってどれくらいの幅と深さだったのでしょう?

京都は歴史ある街ですが、平安時代の邸宅がそのまま残っているわけではありません。
何度も大火事に見舞われていますし、歴史が蓄積されるにつれ街並みも変化してきました。

寝殿造りの伝統を受けついだ建築なら、後代に建てられたものとはいえ、京都御所や仁和寺、そして大覚寺などがあります。これらの建物はわりと平安時代の寝殿造に近いものだそうです。

その大覚寺の隣には「大沢の池」という池があり、その池からちょっと北に外れたところに「名古曽の滝」があります。
百人一首の藤原公任の「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れて尚聞こえけれ」で有名ですね(なお、この平安後期の頃には滝は枯れてしまっていました)。

大覚寺のウィキペディアによれば、「名古曽の滝は離宮嵯峨院にあった滝殿庭園内に設けられたものである」のだそうです。そして、滝から大沢の池までの流れが、庭園の遣り水の跡だとされています。

”(1981年から始まった発掘調査によって)滝から流れる豊富な水流が、その南方に開削された幅5-10mの蛇行溝(大部分が素堀)を通って大沢池へ注いでいたことが明らかになった。蛇行溝は自然の流れを模して造られた庭園の遣水施設であったと考えられる”
Wikipedia「大覚寺」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%9A%E5%AF%BA

その大覚寺の名古曽の滝から大沢の池までの遣り水の跡を写真に撮ってきましたので掲載しておきます。

本当に浅い流れですので、大柄な白狼なら簡単に蹴散らせるでしょう。

私が大覚寺に行ったのは2021年の秋、紅葉の頃でした。拙作のこの場面は書き終えた後だったので、自分が書いた場面と一致する事実を写真に収めて大変満足いたしましたw

大覚寺は先も書きましたように建物も寝殿造で優美なものです。その建物から大沢の池の水面を眺めるのも大変趣深い…それに加えて池を囲む紅葉の美しさといったら!

嵯峨野嵐山の観光ルートからやや外れますが、是非とも訪れたいところです。

拙作に話を戻しますと、白狼の心を佳卓が知ったことで、京の都の佳卓の近辺の事情と竹の宮での出来事が絡んでいきます。

幕間と第三部では少しこの二人から離れますが、もちろん物語の筋に大きくかかわってきます。

白狼と姫君はハッピーエンドを迎えることになっております。どうか最後までご愛読くださいますよう。

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