• 異世界ファンタジー
  • 創作論・評論

朱雀大路の現在――平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四十一」を投稿しました!

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四十一 白狼、己を語る」を投稿しました。

https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860994103792

本文中の白狼の台詞の中に「その先に希望があると信じて走れ」という文言が出てきます。

気に入った台詞で拙作のキャッチコピーにもしようと思ったのですが。
未だにカクヨムでどんなコピーをつければいいのか分からないのでそのままです。

五・七・七で語呂がいいんですよね。
もちろん内容も。希望があると信じて生きていくのは大切です。
竹の宮の姫君にとっても、2022年の現実世界を生きている私たちも。

拙作の第二部では、白狼の言葉に励まされて姫君の止まっていた時間も動き出します。

この竹の宮の姫君は先々帝の直宮です。
「帝位」とはなにか、「民」とかなにかといった大所高所から物を見ることができる立場です。

これからお話が進むにつれて、彼女の本来の「帝の直宮」だった視点が、話の展開に関わってきます。
その出発点として、今回の姫君の以下の台詞があります。

「白狼の周囲の人々にも会ってみたい。朱雀門の外に居る人々とわたくしは全く関係がないのだと思っていました。外に生きる人々とわたくしとでは不幸の性質も違うのだろう、と。でも、その人たちの悲嘆は、それぞれにわたくしの心とどこか重なり合っているように思う……。ただ全く同じでも無くて……。皆と同じで、そして自分だけの不幸を生きている」

姫君は内裏の昭陽舎から出たことはなく、同じ生活圏にいる人間だと認識できるのはせいぜい内裏で過ごす貴族や官人までだったのではないでしょうか。
この台詞にあるように「朱雀門の外」=大内裏の外の民までは想像することもなかったのでしょう。
それが、朱雀門の外の民も思い遣ることができるようになったのは、白狼とこのような心の交流があったからこそです。

さて。
朱雀門は大内裏の南の中央にある門です。そこから朱雀大路が南に延びています。
現在の京都市の千本通です。

先日、千本丸太町近辺に出かける用事があったので、「平安京の朱雀大路の写真を撮らねば!」と思って、横断歩道を渡っている間にカメラを構えて撮影しました。同行していた家族によれば、私が呑気に写真を撮影している間に青信号が点滅していたんだそうで、交通マナーを叱られてしまいましたw

平安京の朱雀大路は82mあったそうですが、現在の千本通は見ての通り4車線のどうってことのない車道ですw
この地点は平安京の朝堂院があった場所です。

朱雀門はここより南、この写真の最奥あたりでしょうか。

JRの二条駅の辺りで、近くに「平安京大内裏朱雀門址」の看板があるそうです。
で、近年、立命館大学が駅前にキャンパスを設置し、「朱雀キャンパス」と名付けています。

大内裏の外、場末の娼婦街で生まれ育った白狼と、貴人中の貴人、竹の宮の姫君が心を通わせたことが、終盤のドラマの底流を為します。

第三部までご愛読いただけましたら幸いです。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する