平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「三十二 翠令、白狼の噂を聞く(一)」を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860885722968さて。
今回は翠令が謹慎を命じられるわけですが。
平安時代には、高貴な人々の側仕えの女房はどこに暮らしていたのでしょうか。
平安時代と言えば「風俗博物館」という有名ミュージアムがあります。
時代考証バッチリのドールハウスですw
国語便覧や日本史の資料集などにも、こちらの人形展示の写真が掲載されているようですよ。
その風俗博物館の説明では、廂や渡殿を居場所にしていたようです。
https://www.iz2.or.jp/kizoku/index2.html”◆廂
母屋の四周を取り囲む、廊下を幅広くしたような細長いスペースで、場所によって南廂、東廂などと呼ぶ。この細長い場所を障子(襖)や棚で仕切り、畳を適宜に敷いて、部屋として使うこともあった。ちなみに、「女房」とはこの廂の間に部屋を与えられた女官という意味である。”
”◆渡殿(わたどの)
透渡殿(すきわたどの)と並んで北側にある通路で、梁間二間と幅が広く、そのうちの北側一間には局(つぼね)(部屋)が設けられる。 残る南側一間が通路となり、局と通路の間には格子(こうし)や枢戸(くるるど)がはめられた。局は主に女房などの日常の部屋に当てられた。”
何かの資料で、寝殿造り=大きなワンルームという説明を読んだことがあります。
同じ屋根の下で、簡単な仕切りだけしかない……ぶっちゃけ雑魚寝に近い暮らしではなかったかと思います。
私は国文学畑ではないので、枕草子や紫式部日記そのものをきちんと読みこなせていませんが。
清少納言にしろ、紫式部にしろ、他の女房との共同生活に神経をすり減らしていたことはよく指摘されていますね。
翠令も他の女房達と一緒に昭陽舎のワンルームのどこかに寝起きする場所があるという設定です。
翠令はあまり女房たちとの集団生活に気苦労をしないタイプです。
姫宮に集中していますし、他の女房達が「男装の麗人」の「翠令様」と慕っている雰囲気なんですw
今回の写真は、風俗博物館の展示からです。
母屋に邸宅の主人(男君と女君)がおり、その寝殿の廂で女房達が衣類に関わるお仕事をしている場面です。
第3部で、翠令は昭陽舎に同居する女房達に別れを告げねばならない場面も迎えます。
どうして翠令達は昭陽舎を去らねばならなくなるのか。そして、その後どうやって姫宮が凱旋することになるのか。
最後までご愛読いただけましたら幸いです。