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十二単っていつ出来た?―「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四」を投稿しました!

平安ファンタジー小説「錦濤宮物語 女武人ノ宮仕え或ハ近衛大将ノ大詐術」の「四 翠令、清涼殿に上がりそこねる」を投稿しました!

https://kakuyomu.jp/works/16816927860647624393/episodes/16816927860699270940


いよいよ錦濤の姫宮一行が京の御所に到着します。御所に上がった翠令達は、錦濤で着ていた大陸風の衣装といわゆる十二単との違いに吃驚することになります。
今回は後述の風俗博物館の、奈良時代から平安時代への装束の変化を解説したパネルの写真を掲載します。

(↑3月20日追記 すみません、十二単に驚く場面が出てくるのは次回だということに気づきました……。次回でそのような場面が出てきます……)

羅城門跡の写真を掲載しようかとも思っていたのですが……。
現在、羅城門のあったところに児童公園の中に石碑が立っています。子どもが小学生の時史跡巡りで行ったことあります。
同じ京都市内に住んでいるとはいえ、バスか地下鉄を利用しないと我が家からは行けません。新型コロナの感染を考えると、その写真を撮るだけの目的で外出するのは、うーーん。

コロナが収束し、私も自由に外出が出来、皆さまも京都観光を気兼ねなくできるようになられましたら、
JRの新幹線と在来線の京都駅の南、東寺(教王護国寺)から徒歩圏内ですので、東寺参観のついでに行かれてもいいかと思います。

なお、京都駅の東北には羅城門の復元模型があります。

さて、羅城門を抜けて、錦濤の姫宮は朱雀大路を北上します。

朱雀大路は幅が84mもあります。私が持っている資料「よみがえる平安京」という本には以下のように説明されています(18頁)。

「道路というよりも広場といったほうがふさわしい。(中略)この広い大路の風景はまったく寒々としたものだった。それは、この道路には人のにぎわいが欠けていたからである。離宮や官庁といえどもこの大路に門を開くことは禁じられていたから。道路の左右にはただ築地塀がつらなるだけである。わずかに彩をそえるのは、街路樹として植えられた柳の並木と、東西の古寺へと開かれた門(坊門)だけにすぎない。延々と伸びる殺風景な道路を通るのは、王朝の人々にとってもあまり心地よいものではなかっただろう」(「よみがえる平安京」 編集・村井康彦 18頁)

↑これが、猥雑な商業都市錦濤からやってきた翠令が、取り澄ました京の都の冷ややかさに馴染めないと感じる描写の根拠です。
(翠令はこれからも何話かの間、都に馴染めない…という疎外感を覚えながら過ごします)。

姫宮が乗る牛車がとても豪華だという描写として、拙作では「車輪にまで蒔絵が施されている」と書いております。
京都市内の「京都府文化博物館」の「年中行事絵巻」の解説で、高位貴族の牛車の華麗さを示すものとして指摘されていたので、拙作でも用いました。

もっとも、この「年中行事絵巻」の解説だと、京都の民衆は物見高く、偉い人の牛車の周りにもわらわら集まってくる感じなんですが。
上述のとおり、翠令が都風に馴染めないというストーリー展開なので、私の小説では朱雀大路はあまり活気がなくて見物客も遠巻きに大人しく眺めているだけとしています。翠令の心象風景を語りたいという、物語の都合ですw

羅城門から朱雀大路を北上し、朱雀門をくぐると大内裏。
拙作では「甍の波は降り注ぐ陽光を静かに吸い込むだけ」と書いています。平安京創生館(京都市)や文化博物館(京都府)の解説によれば、緑釉の瓦が使われていたのはごく一部だけだろうとのことでした(あまり出土しないので)。
ですから、拙作では、今の私たちが日本の街並みで見かける濃い灰色の瓦(今の京都御所でも使われているような瓦)をイメージしております。

内裏については、2021年の秋、新型コロナウィルスの感染の第5波とオミクロン株の第6波の合間に、ちょうど京都御所が特別展示をしていたので参考にしました。
我が家から自転車で行けますので2日間訪問し、撮影した写真は200枚以上!

現存している京都御所は江戸時代に再建されたものですし、立っている場所も平安京の内裏とは別です。ただ、この江戸時代の再建時に平安時代をできるだけ再現しようとしたそうなので、平安時代の御所の雰囲気はだいぶ近いんじゃないかと思います。

宮内庁の京都御所案内ページに動画があります。動画の中盤辺りに清涼殿の説明があります。
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

「あさきゆめみし」の作者様、大和和紀さんも見学なさってましたよ!

さて。小説内では姫宮と翠令、そして梨の典侍がそれぞれの服装の違いに驚きます。

奈良時代から平安時代の女性の服装の変化。奈良時代の中国風の衣服(高松塚古墳壁画みたいな)から平安時代のいわゆる十二単への変化はどうであったのか。前々からすっごく興味があったんです。

ただ、今もこれというプロセスは明らかになっていないようですね……。
京都に平安時代の衣装ならここ!という博物館「風俗博物館」があり、奈良時代から平安時代への衣装の移り変わりを図示して下さっていますが、やっぱり奈良時代風と平安時代風とで飛躍があるような……。
下の写真をご覧になってみてください↓

平安時代の菅原道真を扱った漫画「応天の門」では、大陸風の衣装の女性と、十二単姿の女性と両方が登場します。
この「錦濤宮物語」でも、「応天の門」のような感じをイメージしています。

錦濤の姫宮や翠令は、燕(大陸の王朝)からの船がやってくる港街で過ごしているので大陸風です。梨の典侍など京都の御所で過ごす女性は国風文化の影響を受けた十二単です。

拙作の「燕風の衣装と御所風の衣装がある」という設定。単に私がこの辺の変化する時代に興味があるので取り上げた面もありますが、今後の話の展開で登場人物の「動きやすさ」が重要なポイントともなってきます。

ともあれ、衣装の違いも含めて、錦濤育ちの女武人翠令が御所の暮らしに戸惑う話がちょっと続きます。

どうか今後ともご愛読くださいますよう。

羅城門跡(京都市公式京都観光Navi)
https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=8&tourism_id=906

https://t.co/YiNC2DRqoX

京都府文化博物館
https://www.bunpaku.or.jp/

平安京創生館
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/asny1/souseikan/index.html 

京都御所(参観ルートの動画あり)
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

風俗博物館
https://www.iz2.or.jp/

灰原薬「応天の門」
https://www.comicbunch.com/manga/bunch/outen/

2件のコメント

  • 風俗博物館! 懐かしいです!
    私、大好きで京都を訪れるたびに行ってました。ビルの上にあるんですよね。
    今はどうか知りませんが、当時は袿(だったと思う)を羽織れるコーナーがあって写真を撮っていたような。
    始めて来た時には「本当にここかい?!」って思いました。

    すごく詳しく調べていらっしゃいますね。だからこそのあの描写。あらためて、すごいなと。
  • お読み下さりありがとうございます!
    風俗博物館、私は最近まで知らずじまいでした! 今は残念ながら装束を羽織るコーナーはありません。昔あったというツイートを複数見かけたことはあり、その度に残念に思っていました。その当時からご存知だとは、すなさとさま、お目が高い!

    調べることについては京都に住んでいるので気軽に行けるという地の利がありまして……(ほとんどの場所にママチャリで乗りつけてるんですよw)。
    大きな声で言えないんですが、実は大学日本史専攻だったはずなのに知らないことが多くてお恥ずかしいです(あまり人さまにも言っていないですw)。
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