紙屋ふじさき記念館、の春霞の小箱を読んでいる。
この作者さんの小説を読むと、小説というものはそんなにドラマティックでなくても、過激でなくても面白くなるものなのだよな、と思う。
ごく普通の人のささいな話でも、読ませる小説はある。それには心の小さなさざ波を写し取る力が必要だ。
その繊細な描写は今回出てきた墨流しとも似ている気がする。そこに自然に存在するようなキャラクターと物語を写し取っているかのよう。
逆に人死にがあるような話もまた、うまく書けないとお涙頂戴や茶番劇になる可能性もある。
どちらの物語にも筆力が必要なのは間違いない。
ロクでなし講師と禁忌経典のようにライトノベルでも、バトル描写が多くても、そこに人の成長や弱点の克服、技の心理的駆け引きなどの意味を持たせるうまさもある。
ウェブ発の作品で俺ツエ―系でも、下手すると嫌われる主人公になる可能性もある。かといって聖人君子な主人公でもキャラクターの深みがでない。
小説とは奥深いものなのだなと今更ながら実感する私なのであった。