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掌編「座敷童」「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」

昨日、「木島別弥の超短編小説集第六期」の「座敷童」と「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」を書いて公開しました。
「座敷童」は七年間くらい考えていた東洋幻獣ものだけど、ようやく満足いく出来で書けました。
それで、このまま次の東洋幻獣ものを考えようとして、「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」(題名を「荒吐覇忌」から変更しました)を書きました。
荒吐覇忌(あらはばき)は、二十世紀で最も流行した幻獣である吸血鬼ドラキュラのような幻獣を東洋を素材に考え出せないだろうかと思って考えていたところで思いついたものでした。
異国の侵略に勝利したヴラド三世のような物語が、大和朝廷に抵抗したエミシの荒吐覇忌を題材とすれば書けるのではないかと考えました。
しかし、実際に書き始めてみると、吸血鬼ドラキュラに対抗するような発想はあまり浮かんでこなかったです。その代わり、外国を題材に戦争を論じたのでは怒られるようなことが、祖国であるこの国の戦争を題材にすることで、私の戦争についての思想を書くことができました。この国は戦争をした回数が少ないので、戦争を書くのに題材が限られているという問題があります。荒吐覇忌はその数少ない戦争の題材です。そのため、吸血鬼ドラキュラのような東洋幻獣ものを書くという目的には至らなかったが、公開することにしました。
私の戦争についての思想が、ファンタジーを書く時に少しずつ現れてくるのを感じています。
私は軍国主義者ではなく、反戦思想家です。自分の反戦思想については、一度はちゃんと書きておきたい。しかし、戦争について書くのに、何を書いたらよいか自分では発想が浮かんでこないです。戦争について、一度はじっくりそれを題材に書いてみるべきなのかどうかは悩みます。戦争のような激しく強い欲望の押し付け合いを題材に上手に文章を書ける自信がありません。
そんなわけで、たまたま偶然に「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」を書いている時に戦争についての思想がひとつ書けました。
しかし、気になることがあります。それは、荒吐覇忌(あらはばき)というこの国の歴史でも屈指の格好良い名前をこんな作品に使い捨ててしまってよいのかという問題です。荒吐覇忌は、吸血鬼ドラキュラに対抗できるくらいの名作にしたい。だから、いつか、再び、荒吐覇忌について書くかもしれません。それに備えて、題名を「荒吐覇忌」から「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」に変えておきました。いつか書かれる荒吐覇忌は、昨日公開した「荒吐覇忌をきっかけに戦争について」とまったく関係ない小説になる可能性は高いです。
昨日書いた小説についてこんなことを思っていました。
それでは、昨日書いた小説についての解説はこれくらいにしておきます。どうぞ、今後ともよろしくお願いします。

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