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「ブログ主の読んだ本のジャンル別冊数」に主流文学を追加

「何もわからないブログ」に「ブログ主の読んだ本のジャンル別冊数」を投稿しましたが、その他の数が多すぎたため、主流文学を読んだ冊数を集計して追加しました。おれの読書人生に興味のある人は、ぜひ、もう一度、ご確認ください。
主流文学を定義するのはかなり難しく、ブログ主の個人的な定義によって集計しましたが、統計を取るにはこうするしかなかったことを許してください。翻訳小説のある本が外国で純文学なのか、一般文芸なのかなんて、わかるわけないのです。現代文学と古典文学に分けようとしても、いつの時代から古典文学になるのか判断するのは極めて難しいのです。同じように、古典文学が主流文学なのか、傍流文学なのかも、判断するのは極めて難しいです。
主流文学の数は、主に、恋愛と人生を描いたものを中心に数えましたが、かなり大きな冊数を読んでいたことがわかりましたので、興味のある人は、もう一度、「ブログ主の読んだ本のジャンル別冊数」に目を通していただくと、感謝の念に堪えません。

追記:ここに書いたことは、「ブログ主の読んだ本のジャンル別冊数」の本文に追加して修正しました。

3件のコメント

  • あと、古典文学と幻想文学を区別するのもかなり難しいです。「オイディプス王」にはスフィンクスが出てくるし、「ガリバー旅行記」は幻想文学です。「ハムレット」にも幽霊が出てくる。「不思議な国のアリス」は幻想文学なのか、古典文学なのか。そういうわけで、古典文学に幻想文学を含めることにしました。すると、現代幻想文学も主流文学に分類すべきだと考えました。
    そして、翻訳ものの主流文学と、古典文学の区別も難しいです。日本で近代文学が始まったのは、明治時代の「小説神髄」と「浮雲」からだと聞いています。十九世紀のディケンズは古典文学だろうとおれは考えます。この辺りに現代文学と古典文学の境界線がありそうですが、1945年に出版された本でも古典文学になりそうな国もあるとおれは考えるため、現代文学と古典文学の区別を付けることができませんでした。だから、現代文学と古典文学を、主流文学というひとつの区切りで集計したことを書いておきます。
  • 「竹取物語」が幻想文学なのか、古典文学なのかもわかりません。
  • プルーストの「失われた時を求めて」が現代文学になるのか、古典文学になるのか、それもわかりません。この時点で、二十世紀以降の文学が現代文学で、十九世紀までの文学が古典文学になるという分類を選択することはできませんでした。
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