第二話 主に乞い願う
玄関の外には鮮やかな赤毛の少女が立っていた。モフ耳が頭に乗っかっているから獣人狼族だろう。彼女は毛布で包まれたものを持っていた。表情を見ると、目が地走り、息も荒く、何もできない焦りと助けて欲しいとの懇願、そして行き先のない怒りが見て取れた。
「どういたしました?」
私が尋ねると、彼女は私に詰め寄ってくる。
「家に帰ったら、こいつが、ぐったりしていで床にうずくまっいで動かないんです。ああ、こいつシュリンていうんで。すぐに近くを回って他の子らに事情を聞き回ったら、どうやら、門のところで衛士に思いっきり腹を蹴られたって、そして家まではなんとか帰ったけど、すぐに崩れ落ちるように座り込んで動かなくなっちまったって」
余程のことなのか彼女は早口で怒涛と如く、捲し立てて話してくる。
「えっ⁉︎ シュリンちゃん」
私の、この子を知っている。知っているの何も昼間に会話をした獣人狼族の子のことだよ。
急ぎ、彼女が胸に抱き抱えた布を解き、中を見るとシュリンは瞼が白く蝋のようになりわずかに空いた口から見れる歯茎は青黒くなっている。微かにあいた口から細い呼気が感じられる。まずいなあ、手遅れになるかな。
「これは酷いな。いつ心臓が止まってもおかしくないや。瀕死の状態だよ」
「あんた聖女でしょ、シュリンを助けて」
堪らず、彼女が叫ぶ。
しかし私の後ろから、声が掛かる。いつの間に後ろにいたんだか、
「聖女の癒しにはそれなりの寄進をしなければならん。貴女にそれを用立てる事は出来るのかの?」
神父様が告げてきた。物々しい事態に、玄関まで様子を見にきたのだろう。
「神父様、こんな時に寄付の話ではないでしょう」
退っ引きならない時に、金の話なんぞ言わなくても良いでしょうに、私は神父様に抗議をした。
「いっ、今はないけど、あと少しで給金が出るんだ。だから、頼むよ。いや、お願いします。シュリンを助けて」
既に動くことも無くなったシュリンを抱えて彼女が懇願する。
「聖教会の慣りだ。トゥーリも分かるな」
そんな事を私に言わないでください。やるせ無くなるじゃありませんか。
「ですが神父様」
すると
「私の目が届くところでするな。くれぐれも頼むよ」
神父様は私にウインクすると、クルリと背を向け奥に歩いていった。
え? 神父様!
しかし、それを見て人狼族の少女は歯を剥き出し、
「なっ! 腐れ神父がぁ。一昨日きやがれってんだ。シュリンがどうなってもいいっていうのかよあ」
怒りを露わにする。神父様に飛びかかろうとするかのように腰を落として身構た。
でもね、違うんだよ。
「良いから外へ出ましょう」
わたしは、シュリンを包んだ布を彼女から取り上げて玄関を開けて外に出る。更に彼女の手を取り建屋の横の路地を奥に進んでいく。
「どこに行くつもりなんだ? シュリンをどうするんだよぉ」
喚き散らす彼女を無視して奥へ引っ張っていく。往来から見えないほど進むと歩みを止めて彼女を見る。
「まずは、ここにしましょう」
腕の中にある毛布を抱え直す。聖女であるならば、衆生のために奇跡を祈るもの。でも、私は、折角知り合った、この子を是非とも助けたい一心だった。私情で主に奇跡を懇願するんだ。これから、しっかりとお勤めします。朝、夕の礼拝はしっかりとやります
。祭壇に捧げられたお菓子はつまみ食いしません。だからシュリンちゃんを助けて。心か主にな願う。下っ腹に力を込めて、ふんっと気合をいれた。そして覚悟を決める。
私は両手を組み、主に乞い願う。
「フォセレ・ヴェレ」
次に手で印を結び、奇跡を願う。
「サナ・メ・ドミィニ<ランベェーゴ>」
そして言霊を送る。
「レスレクティ<ゲヘナ>」
主へ私の渾身の願いが届いたのか、私の周りを文様のような光が乱舞し始めていく。そこから紫色の光が私の腕の中にある布に集まり注がれる。しばらくして私の腕に包まれたシュリンちゃんの口の中の色が黒から紫へ色が変わる。そして段々と赤みを帯びてきた。更に肩から胸も動き始め、息もはっきりしだした。
反対に私の額が火傷したようにジリジリしてくる。爛れの範囲も広がっているのがわかってしまう。
「ふう、なんとか間に合ったかな。それにしても、あのツンデレ神父、素直じゃないなあ」
「えっええっ、助けてくれたの? あいつはやらないって」
「目を瞑ってくれたんだよ。シュリンちゃんは私や神父に、元気な挨拶をいつもしてくれるから気に入っているんだよ。でも、決まりは決まり。だから見なかったことにしてくれたんだ。 ’生きるものに遍く愛を。隣人からの友愛には友愛を' 教義の中にあるしね」
「ありがとう、ありがとう。絶対に奉納は、うっうー」
彼女は涙を流しながら膝を着くと地面に手をつけて首を垂れた。
「顔を上げて、ほら受け取って。寝てるからそっとね」
私の腕の中で息も落ち着き、寝息を立てているシュリンちゃんをそっと渡す。彼女はシュリンを受け取り、慈しむようにギュッと抱える。
「ダメですよ。そんなに力を込めちゃ。起きちゃうじゃない」
「あ、ごめん。シュリン」
そして顔を上げて私を見てきた。微かに畏怖の念を滲ませながら、
「あんたは……ちがっ あなたが仮面の聖女様だろ。噂に聞いてるよ」
「正聖女ではないけどね。まだ見習いなんだよね。でも、シュリンちゃんは大丈夫だからね。ちゃんとできました」
正式に認められた聖女の着る服は藍色の生地が使われている。でも、見習いは汚れの目立たない頑丈一辺倒のアンバー色の生地だったりする。
「あっ、仮面の縁から見える皮が爛れてる。なんか広がってない? 痛くないのかよ?」
わかっちゃうなぁ。実は施術をすると爛れが広がるんだよね。この仮面自体は聖遺物で、その力で爛れが広がらないようにしてるのだけれど、かける御力の大きさで抑えきれなくなるのよね。実をいうと奇跡 'レスレクティ' は教会の上級聖人が国の貴人に施す高位の施術なのね。かなり聖力を使ってしまう。本当は見習いになんて使えないのだけれど、私は扱うことができる訳。いい? 内緒なんですよ。仮面の下の私の秘密、何ですよ。もうひとつ、誰にも言えないことが仮面の下にあるの。まあ、言っても信じられないだろうから黙っているしかないの。
「心配してくれてありがとう。我慢できないほどではないから大丈夫よ。でもね、自分ではこの爛れは癒せないのよね。こんなんだから見習いなの」
「でもよぅ、シュリンは………」
「それは、誰にも内緒でお願い。言わないで」
彼女の口を指で押さえて黙らせた。いろいろとあるのよね、お願い、察して。
「シュリンちゃんのことをお願いするね。体力をかなり使ってるから寝かせて、しっかり休ませてね。そうして、目が覚めたら沢山食べさせて。後はあなたがぎゅっと抱きしめてあげれば、もう大丈夫。きっとら良くなるよ」
「聖女様。シュリンを治してもらって、なんて言って良いか、わからないよ」
彼女の目から涙が流れ出す。
「良いの、私、シュリンちゃんの笑顔が好きなの。元気が出たら、また来てねと伝えてもらえる。でも、なんでシュリンちゃんは、こんなことになったの?」
私に訳をを聞かれた途端、彼女は、歯を剥き出して怒りを粗にする。
「あいつらだよ。門番の衛士の奴らだ。奴ら、昼間から酒飲んでて、近くで遊んでたシュリンらを憂さ晴らしに蹴っ飛ばしてきたんだって。シュリンは下働きで城壁内に入ってた私たちの帰りをを待ってただけなんだよ」
あぁ、あの人たちね。確かに兵士にしては柄が悪く見えたもんね。シュリンちゃんも大変な奴らに絡まれたわね。
「ガラの悪いのは部屋住の下級爵位持ちの次男 三男がほとんど。自分たちの家でも部屋住みで行き場がないから不満溜まってる。気をつけないと」
「シュリンは悪いことは何もしてない! 私たちだって憂さ晴らしの相手なんかじゃない。でもな、貴族相手じゃ、下っ端でもなんもやり返すとできないんだよ。クソォ」
実際のところ、城壁の外の住人には市民権は認められていない。勝手に住み着いている獣と同じとして見られている。野良犬や野良猫扱いだったりする。
「怒りたくなるのもわかるけど、落ち着いてね。先ずはシュリンを元気にすること。この子には笑顔見せてあげるのが1番なんだからね。そんな殺気立ってはだめよ」
門番たちの所行には怒りを覚えるけど、かと言って拳を振り上げたとしても碌な結果は出ないんだ。今は、兎に角シュリンちゃんのことを考えないといけない。安心させないといけないんだ。
「え〜と、あなた、名は?」
そういえば、また聞いていなかったっけ。
「セリアンっ。シュリンの姉だよ。こいつをこんな目に合わせた奴らなんか許さねえ」
「まだ、そんな事言うの! 家族の笑顔がシュリンちゃんを治すのには1番の薬なの。わかって」
ダメかも、まだ、彼女の言葉から怒りが抜けているようには感じられない。
「でもよぅ」
「主にお願いして、治していただいたのだから、今は、私に免じて落ち着いて」
「そうは言ってもなぁ」
「セリアン。主の奇跡を信じなさい」
「わっ、わかったさぁ」
彼女は納得してない様子で渋々シュリンを大事に抱えて往来に戻っていった。
ここにおいても、あいつら、あいつらと怨嗟を込めて呟いているのが聞き取れる。
「サナ・メ・ドゥミィに」
私は手を組み、何事もなくシュリンが快方に向かうことを祈った。
翌日の朝に玄関の掃除をしているとシュリンちゃんが仲間の子たちと教会へ来てくれた。その子らの笑い声も聴けるから無事に癒ったのだろう。よかったなあ。
やはり、主は寛容なりし。
『グラディアス・ドゥミィニイ』
私は手で韻を結び、主へ感謝を送る。
嬉しいことに、
「お姉ちゃんから『ありがとう』て言ってこいって、だから」
あの、シュリンの姉にお願いしたことが伝わっているよう。彼女は怒りも押さえてくれたんだ。
私は掃除道具を放り出し教会の奥へ駆け込んだ。
「神父様 シュリンちゃん きたよー」
「おおっ元気かな」
それを聞きつけて奥から神父様がニコニコしながら出てくる。
「「おはようございます。そして、ありがとうございます」」
シュリンと、それに吊られて仲間の子たちが挨拶してくれた。
私も神父様も顔の笑みが深くなったのはいうまでもなかった。
「シュリンちゃん、お姉ちゃんは? 一緒じゃないの?」
「お姉ちゃんね、朝から出かけた。なんか怖い顔してたの」
シュリンちゃんは小さな額に指を乗せて押し下げ皺を作り顰めっ面を作っている。
「そっかぁ。なんか機嫌悪そうだね。でもね帰る頃には治ってるからシュリンちゃん、笑って迎えてあげてね」
「うん、そうする。ギュってしてあげるんだ」
そうして、こちらに手を振りながら、家がある方へ帰っていった。
私は手を組み平穏とセリアンの無事を祈る。
「このまま、何も起こさないと良いのだけれど」
ありがとうございました