誰であっても命の尊厳はあると思っている。
たとえどんな悪人であれ、その死には人としての尊厳があるものだと思うし、社会はそうなってもいるとも、まあ思うわけで。
しかし現実とはやはり、理想ではない。
悪人だっただろうか。
人によっては、まあそうだろう。自分も全てを肯定することはできない。
けれど、それでも、違うと思う。
やるべきことがあった。それをひっくるめて、生きるはずだった。
べきだったとは言わない。この世の人間は皆、生きるべきだと思うからだ。
誰かに知らせるという行為の狂気を感じる。もはや我々は、特定の誰かにのみ届けることは不可能だ。それを知ってほしい。理解して、人間として正しい行動をしてほしい。
命を軽んじたくはない。
私の創作もまた、命を扱う。けれどそこには一定の覚悟を持ちたい。その重さは人が思っているよりもはるかに重いと、そう思うから。
誰かの気持ちに寄り添ってほしいとそう願う。好奇心ではなく、誰のための行動なのか。適切な規制で、良心になってほしい。
制限がないからといって、なんでもやっていいというわけではない。それはここでも同じことだし、社会でもそうだ。ルールブックに書かれていることだけで生きられるほど、人間は器用じゃないし、強くないし、弱くもないのだ。
これで変わるのだろうか。それとも、変わらないのだろうか。
どちらにせよ、人間の真価が問われていることに変わりはない。
今一度、自分の行動というものを考えて欲しい。それは誰かのための行動であるのか、それとも、自分の欲望のための行動なのか、再考してほしい。
✳︎向き合いかたはそれぞれだ。距離を置くこともまた向き合うということであり、逃げることもときには救済である。