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否定から入る剥製




しょーじきなところ、詩とか純文学とかアートってオナニーだと思うんですよ。自分がよければそれでいい一方的な生産性の欠けらも無いものが、それら。
およそ他人には理解出来ないもの、普通高尚と分類されるもの、よくわからん比喩を使いまくるもの、ルビで特別な読ませ方をする漢字、そういうのって大概独りよがり。ただ自分が気持ちいい。

「俺ってこういうものが書けるんだぜかっこよくね?」
「俺ってこういうのが理解出来ちゃうんだよね〜」

厨二病、みたいな。反吐が出そう。
はっきり言って反吐が出る。吐く。無理。自分に酔ってるとしか思えない。もう何が言いたいかって言うと気持ち悪い。なんで普通の枠に収まってらんないの?自分は理解出来てますからっていう態度なんて、ただ痛々しいだけですけど?それがなんで分からないのかなぁ。
しかもそういうのが認められるのって天才だけだから。天才以外はただの変人だから。頭いっちゃってる可哀想な人、もしくは厨二病。いい歳して。可哀想。














だけど万人受けとか知らないし、理解する気もない。別に理解しなくてもいいものだ。普通の枠?普通なんて生きてる人間の数だけあるんだ。そう思えば別に問題ない。よくわからん比喩だって、感じだって、当てはまるんだからしょうがないだろう。詩歌だってアートだって、そう表現したかったんだからしょうがないじゃんか。

なんで否定されんだろ。
なんで認めてくれないのかなぁ。
なんでわけわかんないって笑われなきゃいけないんだろう。

それは私たちが天才じゃないから?なんでかなぁ。こんなにも身を削って書いてるのにね。


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