『ロスト・フェアリー』が完結!!
読んでくれた人は……おっと0人だ。現在のところ、最後まで読んだ人は0人。
じゃあ、これも誰にも読まれないだろうな。
それでもいいや。
自分に向けたメッセージのつもりで残すから。
ブログやツイッターなんかに書いたように、『ロスト・フェアリー』はもともとRPGのシナリオだった。遡ると……正確にいつだったかはわからないけど、たぶんもう15年くらい前になるのかな。
私はRPGが好きで、いろんなRPGを通ってきたけど、その過程で、「オリジナルのRPGを作りたい」と思うように至った。そこには単に「RPG好き」というだけではなく、当時のRPGに対する不満や、「自分ならこうするのに」という思いが強くあったからだ。
当時はゲーム機の進歩により、より優れたグラフィックが出せるようになり、特にゲーム中のムービーは映画にも劣らない優れたもの……ともてはやされていた。
確かにグラフィックもサウンドもどんどん豪華になっていったけれども、しかし私は不満だった。思ったほど面白くない。なぜなら、構造的なところでゲームは何も変わってなかったから。構造的なゲームは、スーパーファミコンあたりから歩みを止めて、ただただ側が豪華になっただけにしか思えなかった。側だけが豪華になったがゆえに、むしろ構造の単調さが際立ち、作品そのものを陳腐なものに感じさせてしまっているように思えた。
あのゲームとこのゲーム、どう違うの?
見た目と、個々の固有名詞と、後はボタン配置が違うだけ。中身だいたい一緒なのに、中途半端にボタン配置が違うので、なんか面倒くさい。
その後のゲームといえば、ただただ上へ上へと盛りつけていくだけ。色んなナントカ要素をつまんでてんこ盛りにして、「豪華にしました!」という感じ。いわゆるやり込み要素なんて、同じステージをひたすら繰り返させ、アイテム収集させるだけだもの。つまんねーよ。
ゲームはきちんと構造への自己分析も批判もせず、あたかもそこは聖域であるかのように扱い、見た目だけを豪華にして誤魔化してきた……。
と、ユーザーの目線からそう見えていたわけで。
だから、あえてジャンルとしてのRPGを作ろう……と考えた場合、その構造的なものをどのように読み変えていくか、をテーマにしよう、と。ハードはセガサターン当たりでも可能な内容で。というのもセガサターン・プレイステーションあたりからただ豪華にするだけでゲームの進歩は停滞した、というのが私の考えだから、あのあたりからゲームをやり直そう、というのもテーマだった。
それが『ロスト・フェアリー』の始まりだった。
『ロスト・フェアリー』のテーマは、まったくのゼロから新しいゲームを構想するのではなく、当時から思っていたRPGの「?」をどう読み変えていくのか? が主題だった。
例えば、
なんで4人パーティでなければならないの?
スタート地点のモンスターが弱く、武器も弱いのはなぜ?
街とフィールド、戦闘とフィールドくっきり別れている理由は?(構想当時、まだシームレスという言葉はなかった)
敵1グループと敵全体攻撃の違いはなに?
たまにフィールド上にぽつんとある一軒家はどうしてモンスターに襲われないの? あの一人暮らしのおばあちゃんは実は元レンジャーか?
なんで魔王討伐の旅を、軍団ではなくたった1人の若者に任命して、しかもその旅費が300ゴールド?
魔王の軍団があんなに多種多様である理由は?
魔王の軍団が主人公達を認識しつつ、追い詰めたのにも関わらず、「今は捨て置け」なんて優しさを見せる理由は?
魔王って、無尽蔵の魔物の軍団を持っているけど、本気で人類滅ぼすつもりあるの? 滅ぼしてそれからどうするつもりなの?
そういうRPGにありがちな「?」を一つ一つを検証し、どのように読み変えていけば「ああ納得!」になるかを考えるのが、このゲームの本旨だった。
実際、どんなゲームを作るつもりだったのかは、AmazonKindle版のオマケに書こうかな……と思ってます。いつ出せるかわからないけど。
今や全てのゲームがTPS/FPS化、すべてのゲームがアクションアドベンチャー化していく中で、こういうアプローチはもはや時代遅れでしかないんだけど。
「え? 今さらそんな話するの?」みたいな感じでしょ、もう?
RPGの構造的な「?」を見直しつつ、同時にストーリーの「?」を見直そう、というのがシナリオ『ロスト・フェアリー』だった。RPGの「?」を見直しつつ、なおかつRPGのお約束はきちんと全部踏もう……と。だから「伝説の剣と魔王」の2要素は絶対に外さなかった。
かつてのスタンダードを見直し、新しいスタンダードを模索する……という挑戦もあった。
いま若い世代が好んで読んでいるファンタジーは、要するに「RPGで描かれてきたファンタジー」に対するパロディだから、視点は近いところにあるかも知れないけど、パロディではなくあくまでも王道として描くこと。それがスタンダードなき時代に対するアンチテーゼのつもりであった。
しかし結局のところ、ゲーム『ロスト・フェアリー』は完成しなかった。私がプログラムを習得できなかったからだ。
そもそもパソコンの基本操作もろくにわかってないポンコツが、一足飛びでプログラムに挑戦しようというのが間違いだった。
「プログラム基礎」みたいなサイトを熱心に読んだけど、最初の1行目からわからない……。コンピューター用語がさっぱりわからない。それで、ゲーム作りは頓挫した。
もしも理解できたとしても、1人でこのスケールのゲームは完成させられるはずもなく、どちらにしても諦めるしかなかった。
「じゃあRPGツクールで作ればいいじゃん」
と思われるかも知れないが、『ロスト・フェアリー』のテーマは「いわゆるRPG」をどう読み変えるかだから、既存のシステムに絵柄を変えるだけの「RPGツクール」では制作のしようがなかった。
仕方ないからシナリオだけでも完成させようか……。
そうやってできたのが『ロスト・フェアリー』だった。
途中から「ゲーム用のシナリオ」ということを忘れちゃったけど。
物語の前半部分はゲーム制作を意識していて、例えばミルディからオークと名前が変わるのは、RPGによくある名前を入力するシーンのつもりだった。
『ロスト・フェアリー』は書き上げた後、誰かに見せることもなく、パソコンのハードディスクの奥の奥に封印された。
発表の予定もなければ、発表の場所もない。わかってて書いたシナリオだから、封印は仕方ない状態だった。
それで、漫画『ProjectMOE』の連載がスタートした時に、連載の空白期間を埋める作品として『ロスト・フェアリー』を出そう……とそう思ったわけだ。
(『ProjectMOE』読んでいる人いる?)
そこそこに長い作品だから、間を埋める作品としてはちょうどよかろう……と思って。
そういう理由で久し振りに『ロスト・フェアリー』を読み直してみて、率直に「冒険と伝説の剣と魔王との戦い」の物語って面白いな……。冒険に憧れる少年の気持ちがふっと呼び覚まされたわけだけども。
一方で、ああ失敗したな、と思うところもあって。
当時、個人的に「王と民のリアリティ」というテーマを持っていた。要するに、王様と民では、国というものに対する考え方が違うんじゃないか……という推測だ。
王様がどんなに国を守る戦いをやっていても、民には理解されない。
民は民という視点でしか物事を見ることができないからだ。魔王の軍団による脅威が背後に迫ってきている現状なんて誰もが知っているのに、なぜかそれを忘却して、「王が悪い!」「国政が悪い!」とエゴを振りまき、しまいには明らかに駄目な人を王に祭りあげようとすらしてしまう……。
王と民の意識のすれ違いって、そういうものなんじゃないか……というのが当時の推測だった。
『ロスト・フェアリー』を書き終えてからしばらく経って、2009年の民主党が選挙で大勝したのを見て、「ああやっぱりそうか」と思った。
で、「失敗したな」と思ったのはまさにそこ。
「王と民のリアリティ」というテーマを前面に持ってきたせいで、「人対人」の構図が大きくなりすぎ、魔王の存在がかすんでしまった。これでは「勇者対魔王」の構図がロマンチックに見えない。
登場人物もちっとも魅力的ではない。当時は、「RPGのシナリオだから」と周辺人物の描写は役名の付いているNPCの扱いで、「色を付けすぎないように」と考えていた。
RPGだから……と思っての配慮だったけど、物語としての魅力に欠けるし、よくよく考えてみたらゲームとしても魅力に欠ける。最近のゲームはNPCでもガチガチに設定を作り込むものだ。
さらに問題なのが、後半にぞろぞろと出てきたイタリア人達。いかにもカテゴライズされた悪役です、という感じで薄っぺらい。奥行きに欠ける。面白味に欠ける。この詰まらない描き方のせいで、後半の勢いが萎んでしまった。
こんなつまらない悪役との戦いを長々と描いてしまったせいで、やはり「魔王との戦い」という本来作品の中心にしなければならないテーマが後ろへ引っ込んでしまった。最後の最後で思い出したかのようにふらっと魔王との戦いが描かれるけど、その描写があまりにも拍子抜けでずっこけてしまう。あのガッカリ感はちょっと酷い。
誰だこんなクソシナリオ書いた奴! 出てこい! 俺だバカヤロー!
シナリオがクソだから、後半読者が0人なんだよ!
もしも、もう一度ファンタジーを描くとしたら?
その時は、「勇者対魔王」の戦いをきちんと描きたい。「勇者対魔王」の決闘物語を中心に置いて書きたい。
そんなチャンスが再び巡ってくるとしたら、大きな課題を1つ掲げたい。
「魔王とは何者なのか?」
というのも、ファンタジーでは、勇者がこの世に生まれてくるずっとずっと前から、魔王は魔王として君臨している。戦いの歴史がずっとあって、戦いに関わってきた人達がいて、勇者が現れた時にはすでに魔王を撃破するためのアイテムが何者かの手で用意されている……という感じ。
勇者は魔王の歴史の末端で、ふっと現れただけの存在。勇者は歴史に引導を渡す人……ならそれはそれでいいんだけど。
じゃあ、魔王とはいったい何者なのか? 100年前からいたんじゃなくて、「今まさに生まれました」という感じにできないだろうか。
よくよく考えてみれば、「魔王はなんで魔王になったのか?」という話はあまり誰も描いてきていないように思える。「魔王だから魔王」という禅問答ではなく、魔王と認定される理由とは? なんで魑魅魍魎たる魔族を一纏めに引き連れることができるのか。というか、魔族ってなんでああも種族バラバラなのに、あんなに結束力高いんだ?
もちろん、安易なパロディをやる気はない。「魔王なのに超絶美少女」なんて描き方はしない。それは「魔王と何か?」という考えを放棄し、知っていることを前提で作るパロディだ。視点は近いかも知れないけど、あくまでも王道で。旧来の王道を見直し、新しい王道を作る、という目標を再び掲げて描くことはできないだろうか。その上で、「勇者対魔王」の物語を描けないだろうか。
といっても、今は漫画制作で忙しく、手数が足りないというか、脳みその数も足りない。あれもこれも考えなければならないことがたくさんありすぎて……。
いつか描けたらいいな……という「実現し得ない構想」の1つになりそうだ。
書いても読んでくれる人が現れるかどうか……。『ロスト・フェアリー』も読者0人だったものね。