こんにちは~。
今回のノートは、真面目に自殺と罪悪感について語った後に、既存の私小説をカクヨムコンに出すお知らせなだけです。
あんまり楽しい内容ではないので、その旨ご理解いただいた方だけ読んでいただければ幸いです。
私の作品は完結後にPVが止まることが多いんですが、ほんの少しずつ読まれている作品があります。
『自殺』のワードがタグに含まれている作品です。反応はなくPVだけ動きます。
どんな方が読んでくれているのかなと思ったり、何かの役に立てただろうかと不安になったりしています。
何かしらの需要があるから読まれるのかなと。
『自殺』と『罪悪感』は私が自分自身でも答えを探しながら書いているテーマですが、昨夜解決策の一端が見つかりました。
16歳で性格変わる位に後悔して、そこからできることを探してきました。ただ、自分が生きられるのは自分の人生でしかないわけで、色んな形で悲劇は繰り返されます。
その都度、めっちゃ辛いです。
『こんな世界にいたくない』
『もう話すことなんかない』
『誰にも期待しない』
そんな風に言われた気がして寂しくなります。
その選択に何かの評価をくだす訳ではなく、ただただ私は悲しいです。
「何かできなかったか」とずっと私は後悔していました。痛みを消す方法を模索してきました。
でも昨夜、私自身はずっと後悔していたいなと思えたんです。
後悔しているってことは、その方がいないことに何かしらの感情を持っているということです。
罪悪感という傷が癒えるのとは別問題で、後悔はしてていいんじゃないかと。
ひたすら悲しくて、自分を責めて、記憶にフタをして、でも忘れられなくて、心の整理をするように書いて、やっぱり悲しい。
時を経て、感情も形と色を変えます。
自分さえものみ込んでしまう荒波のようなものから、静かに頭の片隅で揺れるようなものになったりします。
思い出がその方の生きた証なのだとしたら、私はずっと後悔していたいです。
『後悔してていいんだ』と思えたら、私は少し気持ちが穏やかになったので書いてみました。逆に苦しくなる方もいるかもなので、あくまで一意見と思っていただければ幸いです。
というわけで理由は色々ありますが、結構前に書いた私小説をカクヨムコンに出すことにしました。
現代ドラマからノンフィクションにジャンル変更していますが、内容は変わりません。
(一文だけ変えたけど特に重要じゃないとこ)
読者選考を通過する気はないので、気遣いはしなくて大丈夫ですよ~。
『褪せない記憶』あれから何年も経ったのに私はまだ後悔している
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https://kakuyomu.jp/works/1681713955707107089416歳のとき友達が自殺未遂をして2度と会えなくなったよ、という体験談です。
なお、この作品を含め私事を多く含むものは来年4月には非公開にする予定です。
(わからないようにしていますが相手がいるものなど)
役立つ内容があったか謎なノートを読んでいただきありがとうございました!
心のトゲがやわらかくなりますように★ミ
↓私の留学先です。広くて、自由で、みんな『自分』で生きている国です。