こんにちは~。
昨日、『傾聴』をテーマに書こうとして断念したtonariです。文字を通して、読み手の話を傾聴しようとしたんですが、もう1-2個要素を足さないと成り立たない感じでした。
そして今日、ふと思ったんです。文字の限界はどこだろう? と。
文字は自分で読まないと読めません。
読んで、言葉を理解して、想像して楽しむ。
読書は好きですが、創作物の中では私にとってハードルが高いものではあります。
読解力、語彙力、想像力がないのです。
心に余裕がないとき
目が痛いとき
疲れてるとき
理由は何であれ、素直に楽しめないとき
そんなときは私は読めません。
ジャンルにもよりますが、『100%楽しめるときに読む』ことが、私なりの作品や作家さんに対する敬意の表し方だからです。
(読者選考ありのコンテストは、期日みて調整してますよ~)
何がいいたいかというと、文字だけの創作物はそれだけ読み手に委ねられるものということです。
アニメは視覚と聴覚情報もあるので、イメージが固定されていて観ている側としては楽です。主題歌が耳に残ったりもします。
漫画やアニメを、私は受動的にみます。
小説は、能動的に読みます。
これは人によって様々ですね。
【自分】という媒体を経由する分、小説って面白いのです。固定された情報が少ない分、自分の頭の中で世界が広がります。
【自分】は、そのときの気分や人生経験でも変わっていくものです。昔は何とも思わなかった作品が急に心に響くこともあります。
そのときの自分に必要な物語や言葉と出会えたらいいですよね。私も何作か心に残っている作品があります。
さて、そのことを踏まえた上で、文字の限界はどこでしょう?
文字から音が聞こえてくることもありますし、目の前に光景が広がることもあります。
じゃあ、対話することは? 多分それが私が昨日やろうとしたことですね。
最近、執筆に対するワクワク感が薄れていましたが、「限界はどこだろう?」と考えていたら少し楽しかったです。
皆さんは文字でどこまでできると思いますか? 良かったら教えてくださいな。
結論がなくて申し訳ありません。ふとした疑問を共有したくなっただけなのです。
※へっぽこエッセイにも同内容を載せています。二重で読んで下さった方すみません。そしてありがとうございます。
★おまけ★
物語を読むこと自体は『自分との対話』ではあるかなと思います。
傾聴の目的は、心の整理をして納得いく結論を出すこと、信頼関係を築くことです。
読み手の心の整う文章をいつか書けたらいいなぁと思います(*´-`)♡
↓この写真どうでしょう。
キス待ち顔なのか、それともご飯を求めているのか、ただグッスリ寝ているのか。
ただの写真でも見え方が異なる。どんな人でも世界は自分でできているのです。(意味わかんないですかね苦笑)
長くなってしまいました……。すみません。
読んでいただきありがとうございますヽ(o´3`o)ノ♪
【追記】挑戦だけしてみました( ´-ω-) こころな556字ですw
『Listen to』こころを整理整頓した先には何が見えるのだろう→
https://kakuyomu.jp/users/tonari0407/works