https://kakuyomu.jp/works/822139840627558952わたしのホラーの知識は、皆川博子や赤江瀑の短編集で培われたものです。これといって勉強もしていないの。わからないのに書くのも何だな、とは思います。ただ、なぜかとても「書きやすい」のです。自分の中のレイヤーな世界とでも言うのか、あちら側との境界線というか……今の自分は他人に縛られている偽物で、本当の自分を出せるものに価値を感じるような、不思議な感じ。わたしの異世界転生はホラーかもしれないと思います。そしてまたまた恥ずかしいのですが、自分で読み返すことができません。自分で書いたのに「……来る」って感じるのです。精神的にやられたって、ゾクゾクします。何やっているんでしょうね、笑「鏡台」はイマドキ見ないもので、もしかしたらどんなものかわからない人もいるかも。わたしは田舎の育ちなので、鏡には必ず、布を掛けろと躾られました。ここ数年のYouTubeも心霊関係のジャンルに人気があります。わたしはそれが好きで良く見ます。すると笑っちゃうくらい自分の受けた教育と同じなの。鏡は蔽う。廃墟で「失礼します」と頭を下げ、敷居は踏まない。明治の爪痕、廃仏毀釈で首を折られた仏像など、うちの周辺は結構多いよ。首なし地増に意味を感じるユーチューバーを拝見して、ビビらなくても廃仏毀釈の跡だよ、など思う。そしてダムに沈んだ村、家の周りが全部墓、名が残るほどの高さがある橋、走り屋……全部あります。あまりにも地元と似ているので、懐かしい感じさえします。心霊の噂は多いけど、大抵が嘘ですね。心霊スポットにされて気持ちの良い地元民はいません。作家の猪俣弘が、とあるホラーの解説で、「プロレタリア文学はホラーとして読まれるべき」と書いていらっしゃった。その時は反抗心が沸いたけど、今になって、そうかもしれない、と思うようになりました。わたしは都会を知らないので、世界観を作ることができません。世の中から忘れられた、僻地のことはよくわかるの。だから「書きやすい」と感じるのでしょう。うちも、一族で拝んでいる「山の神」がありました。もう、道路などの建設で消えて無くなっています。田畑はソーラーパネル。空気は排気ガス。浪漫の欠片も無くなった今だから、プロレタリア文学的ホラーは意味を持つのかもしれませんね。