ここは居酒屋『この世のおわり』。
世界が終わろうと営業してやるという心意気でつけた名前だが、さいわいそれなりに繁盛している。
四大災害が五大災害にでもならない限りは年中無休でPM5時~AM6時まで営業中だ。なお夜が更けるほどこの京白市場では客層がカスになっていくので、支払い能力ゼロの客未満やラリった動くゴミを蹴り出していく作業が増加する。よって正直深夜2時以降は酒を売るより油売ってる時間の方が多い。営業時間を見直そうか考え中だ。
しかし店をやっているといろいろな客が来る。
今日は開店直後に、アルミサッシの戸を開きながらいかにも女の尻にしかれてそうな顔の男が来た。喉元にゴーグルをさげた、けれど労働者風ではないカッターシャツ姿。
ぎりぎり十代か? 若そうに見えるが苦労が顔に刻まれている。
男はカウンター席を一瞥して(まあ狭い店なのでカウンターしかないのだが……)、他の客が二組しかいないのを見ると、予想通り指を二本立てた。
「大将。二人、いけますか?」
「あいよ。そこ座んな」
「ありがとう」
やっぱり女連れだ。長年客商売をやっているとこういうのもよくわかる。たぶん連れてくるのは眉が細いが角度のしっかりついた、性格のキツそうな女だろう。そういうのもわかる。
そう思いながらカウンター越しの厨房で作業する俺だが、連れの姿はいつまで経っても見えなかった。
……おや? あとから来るパターンだろうか。あるいはラリって連れの幻覚でも見てるのか。後者だったら蹴りださねばならないが、見たところそんな雰囲気はない。
いぶかしげに思いながらとりあえずお通しをひとつ出すと、高い声音で苦情が入った。
「この小皿、ゎたしの分はなぃのでしょぅか」
「え?」
どこから聞こえたのかと見まわし、それから、カウンターの向こうをひょいとのぞき見る。すると銀髪のつむじが見えた。
うちのカウンターは塀のように少々高くしてある(そうしないとカスの客が来たときにカウンター越しに胸倉つかまれやすい)のだが、背が低すぎてその向こうに隠れてしまっていたらしい。連れの女はそのくらい、めちゃくちゃ、ちいさかった。
いや、もはや『女』と言うのもはばかられる見た目だった。なんなら『女児』の方がまだ近い。身長は140にも満たないだろう。小麦を思わせる浅く焼けた肌と、銀に輝く髪のコントラスト。白い、なんらかの民族柄の衣服が似合ってはいるが……将来にご期待というか、まだ客は取れないトシだろう。そう値踏みしながら、俺は訊く。
「居たのに気づかず悪かった、お通しは出すが……酒は飲むかね?」
「飲むょうに見ぇますか?」
けんもほろろとはこのことだ。連れの性格がキツそうという読みは当たっていたことに、嬉しさを覚えると同時つっぱねられた不快が若干、ある。
すかさず男の方がフォローに入った。
「やめろ。すみません俺が二杯頼むので……焼酎水割りを」
「そうか。はいよ」
「あと鳥皮ポン酢、辛味噌冷や奴、千変艸日替わりの和え物」
「あいよ」
男の方は居酒屋のなんたるかを把握しているようだ。一方で女児はまあ、世間慣れしていない様子である。
とはいえ、どういう二人組なんだ? 兄妹ってツラでもない。知人の子か? 時間帯的に流民の知己が娼館で働くあいだ預かっている、とかならわからなくもない。
他の席で頼まれた料理をこしらえつつ、俺は気になったので二人の会話に耳を傾ける。
「ぉ通しとぃうのは必要なのですか」
「酒は早く出るから、それと合わせて飲んで待っててもらうためのもんだよ。居酒屋の風習だ」
「ではゎたしは飲まなぃので必要ぁりませんが。下げてもらっていぃのでは」
「いや……席料みたいな部分もあるんだ。下げろと言うのはカドが立つ」
「だからとぃって、べつだんぉ酒を好むゎけでなぃぁなたがその分二杯頼むのも、妙では?」
「んー……たとえば向こうから手紙の飛脚が歩いてきてよ、べつに避けない手もあるだろ? でもなんとなく避けるはずだ。それは世話になってる職種に対する、なんとなくの配慮……とかだと思う」
「言ぃたいことはゎかりますが、それとぉ通しのつながりは?」
「俺はここにメシ食いに来たかった、店主は味の提示とサービスのひとつとして品を出してくれた。だったら受け取るのは配慮じゃねぇかと、俺は思う」
いや、配慮で食われるのも俺としては嫌なんだが。お通しなんてウチに限って言えば「とりあえず食わせて空腹でめんどくなってる客のイラつきを抑えさせる」「歩留まりの悪い材料の端っこを余さず使う」ためのモンであってサービスとかじゃないし。
にしてもあの女児、細かいところを気にしすぎる。親のしつけがある意味でしっかりしているのか?
「ぁまり合理的とは思ぃませんが、土地ごとの風習のょうなものと受け取ってぉきます」
「そうしておいてくれ」
なんだかんだで食い下がることはなくまとまったな。この男の方の辛抱強さのおかげもありそうだが。
そこからは天ぷらを揚げて他の客に出して、注文入った酒を出し、あくせくしてしばらく二人から目を離した。男が焼酎片手になにやら言われたり、言い返したり、三倍にして言い返されたりしていたようだがあまり気になる様子ではなかった。
その後、ふいに目をやるとまた女児のほうが男にかみついているタイミングだった。狂犬だな。
「さっきのぉ通しは単品では頼めなぃのですか?」
まだお通しの話かよ。
「小鉢で出すから利益がなんとかなってる、とかの場合も多いからな……」
「では利益率の高ぃ商品とバーターで出してもらぅことはできなぃのでしょぅか」
バーターとかいうな。
「利益率って言うなら酒が一番利益率高いんだよ」
男の方も酔いが回ったのか物言いが直截的になってきたな。
「なるほど……物事はゎたしの存じなぃところでも、ぅまく回ってぃるものですね」
「納得できたか」
「ぇえ。では焼酎をもぅ少し頼めば、一緒にぉ通しを中皿で頼めるのでしょぅ?」
「俺の話聞いてた?」
俺もそう思う。いまのは完全に『そもそも、頼めない』の暗喩だったろうが。
だがやはり、そのあたりの機微をお子様に悟ってもらうというのは難しいのかもしれん。やんわりとおことわりしようと、俺は先んじてカウンター越しに声をかける。
「注文、焼酎と、あー……なにか言ってたかね」
「あ、すいません。焼酎だけでいいです」
「ぉ通し」
「スミレ、空気読んでくれ」
女児、ここはなぜか食い下がるんだな。なんなんだ。
悪いけどお通しはその日来るだろう客の分しか用意していなくてだな……と説明しようとしたところ、俺は見た。彼女の真ん前にお通しの小皿がふたつとも並んでおり、きれいに平らげてあるのを。
少し視線を上げる。
紫紺の瞳と目が合った。
……長年客商売をやっているとわかる。
この目はべつに、面倒を言って困らせようとか、そういうやつの目ではない。
「いいよ。お通し、多めにほしいんだろ」
俺はカウンターの下にある棚を開き、ひんやりした壺からお通しを取り出す。中皿に盛り付けて、彼女の前に出してやった。男が驚く。
「え、いいんですか」
「気に入ってくれたんなら、もう少しだけな」
クソ客カス客、いろいろ居るものだが。良い客というのもやはり居る。ひとつは酒を良く頼んでかつ吐いたり絡んだりせずさっさと帰る客。
もうひとつは、なんであれ俺の料理をうまそうに食ってくれる客。
「ぁりがとうござぃます」
今度は目を合わせることなかったが、彼女は軽く会釈する。そのままうつむいて皿に向き合いもぐもぐと箸で(よく使いこなせるな、ここの生まれじゃなさそうなのに)つまみはじめる。俺は笑って、他の客の相手に戻った。