このところ、気ぜわしい事が続き、なんだか心が疲弊しておりました。疲れたときは、美味しい物で自分の機嫌をとるのですが、心まで疲弊すると、自分が何を食べたいのかすら、分らなくなります。そんな時は、ただ、時が過ぎて、気持ちが落ち着くのを待つしかありません。
この週末、私はそれくらい、心も体も疲れておりました。けれど、土曜日に、ずっと前から行くと約束していた、知り合いが出演する音楽会がありました。曲目は、ベートーベンの交響曲第七番とチャイコフスキーの交響曲五番です。
ベートーベンの方は、以前、ドラマ『のだめカンタービレ』に出てきたのでうっすら知っていたし、チャイコフスキーは大好きな作曲家。でも場所が遠いのです。我が家から一時間半はかかります。う~ん。私は迷いました。
本音を言えば、今の心境としては、蒲団をかぶって人生をサボタージュしたい感じ。でも、ずっとアマチュアのオーケストラでフルートを吹いている、知り合いの演奏を、聞きたい気持ちもある。どうしよう。結局、行くことにしました。
行きは、電車に酔ったりして、ぼろぼろのよたよたでした。途中で帰ろうかと思ったくらい。でも、いざホールに着くと、独特の高揚感があって、私は何だか少しわくわくしました。
席に座って、始まるのを待っていると、舞台裏で練習する楽器の音が、漏れ聞こえてきました。緊張と戦いながら、最後のおさらいをしているのでしょうか。それから、団員たちが、バラバラに入ってきて席に着き(それがまた、アマチュアっぽくて、私は気に入りました)、最後に若い指揮者が入ってきて、演奏が始まりました。
正直に言いますと、先に演奏されたベートーベンは、途中で居眠りをしてしまいました。でもですねぇ。これがもう、気持ちよかったのですよ。優しい演奏に包まれて、薄暗い中、ゆったりとしたシートでこぐ船は、最高だったのです。とはいえ、失礼ですよね。ごめんなさい。
そして、15分の休憩の後、楽しみにしていたチャイコフスキーが始まりました。私の知り合いは、第一フルートです。重低音からおどろおどろしく始まる交響曲第五番。おどろおどろしいのに美しいその旋律に、私はたちまち心を持って行かれました。
そこから続く多彩な旋律は、すべてもの悲しくも美しく、チャイコフスキーって、なんでこんな素敵な旋律を思いつけるのだろうと、何度も思いました。そしてこの日は、知り合いのフルートが、もう最高だったのです。
分厚い弦楽器の後ろから、透明で明るいフルートが、雲の切れ間から差し込む日差しさながらに飛んでくる。これがまた、来てほしいところで存分に歌って、申し分がない。気がつくと、私は涙を堪えていました。
これまで、上手な演奏なら、何度か聞いたことがあります。でも、知り合いのそれは、上手を越えて、私の心に直接飛び込んでくるような、演奏だったのです。彼女のフルートにつられて、他の演奏者もどんどんテンションを上げているようにすら、感じました。
その素晴らしい音の渦の中で、上手く言葉に出来ませんが、そう、喜びを感じたのです。演奏が終わる頃には、(これだ! これだ!)と、心の中で連呼している自分がいました。このために生きている。このために小説を書いている。
演奏会の帰り道は、行きよりもずっと元気で、私の心のエネルギーは、満タンになっておりました。
感動こそが、生きるエネルギーなのだと、改めて思った夜でした。