後書きは、風だ──誰にも縛られない。
こんばんは、玉手箱つづらです。
M-1、ぺこぱめちゃめちゃ面白かったですね。「急に正面が変わったのか……?」は天才すぎんか。
ぺこぱに限らず、今回M-1が面白すぎて「この後にお笑い絡みの小説公開するのハードル高くね……?」派と「いや逆に今だろ!」派が、僕のなかで喧嘩してました。結果前者が圧勝したんですけど、小説は公開されました。生贄召喚ですね。(?)
先に後書きらしいことを書いておきます。
小説、お久しぶりになってしまいました。「降霊術の失敗」が8月半ばの公開なので、4ヶ月ちょいぶりですね。
いやー、まあちょっとリアルのよしなしごとがですね、ありまして、忙しさが増したせい半分……ネタ部分を書くのに異常に時間を食ったのが半分、です。
お笑い、詳しいとかじゃないけど好きなので、混ぜられたのはまあ、よかったなと、思ってはいるんですが。難しい。……うえにクッソ恥ずかしい。後書きで弱音は言わないぞ、みたいなとこあるんですが、恥ずかしい、までは許してくれ……。ネタだぞ、って見せるのほんと、メンタルの強さ要る、ほんと。なんならメンタルのために時間を使った……。
もう1つ後書きらしいことを。
今回公開した「電話の練習」は『通信と非通信のアルバム』という短編集の1つ、という形式を採ってます。
とは言っても、内容は繋がらないようにするつもりです。不連続短編集ってことですね。単品でも普通に完成品のつもりでお出ししてるんですが(短編ごとの感想とかも超大歓迎です)、無関係な話5つくらい集めたときに、ぼんやりとなんか見えるものがあったりなかったりする、みたいなのを目指す……のかな。正直よく分からないんですが、書き始めたときにそんな感じのことをぼんやり思ったので、その予定です。
お、オムニバス……とかいうのか、こういうの。わからん……(わからんこと多すぎるなこいつ)。
まあつまり、頑張りますってことですね。次はあんまり間を空けないように、はい。
というわけで……「北の国から」の話をしたいんですよ。あの。世に言う名ドラマの。
世に言うっていうか、僕も名ドラマだと思ってるんですけど。
皆さん、「北の国から」のこと、どれくらい知ってますか。
じゅ〜ん!ほたるぅ〜!と、それを言ってる田中邦衛さん、あたりまでは、たぶんご存知かと思うんですよ。モノマネとかでもよくやられるし。
なんか泥だらけの万札で泣けるらしいとか、子どもがまだ食べてる途中らしいとかも、なんとなく把握してるって方が多いかな、と思うんです。
で、意外と……実際に見たことはない。って人、結構いるんじゃないかな、って。
超当たり前のことを言いますが、仮に超名作だとしても見なきゃいかんことなんてないわけで、だから「北の国から」を見てないだとぉ……?見ろぉ!なんて言うつもりは毛頭ないんですよ。僕も数年前に1回、通しで見たってだけですし。
ただですね、結構面白かったんですよね。なんか、そこそこイメージと違ったりもしてね。これ、潜在的に好きな人結構いるよな、って気がしたんです。
だから、ちょっとザコなりのオススメみたいなの、しちゃおうかな、って。そういうことなんですね。
(※毎度のことで申し訳ないんですが、前述の通り初級者のザコです。初心者による初心者向けのやつだと思って、暖かく見守っていただけると幸いです。また、結構前の記憶だよりなので、なにか事実と違うことがあったらご教示ください……)
あれは、僕が大学ホニャ年生だった頃……そろそろモラトリアムにも亀裂が入りはじめ、「将来」みたいなものに向き合わなきゃいけねえな……ってなってた、頃……。
僕は思ったのです。「現実逃避してえ……」と。
そこで考えたのが「そうだ、『北の国から』を全部見よう」でした。
一見意味不明ですが、「北の国から」ならなんか許されそう感があったというか、人生に大切なことをたくさん教えてくれる人の道の教科書みたいなやつだろうから、これに時間を割いても浪費ってことにはならない=苦しくない、むしろこれからのためになる、豊かな人間になることはこれからの一歩一歩に彩りを、膨らみを加えるのだから、これはつまり攻撃技を繰り出す前にバフ技をかけておくみたいなもの、つるぎのまい、よってオーケー!みたいな、誰に向けてるんだかすら不明な弁解的理由が、一応、あってのチョイスでした。
こういうイメージ、あると思うんですよ。
つまりね、なんか、都会の喧騒を離れた緑豊かな北国で、朴訥とした父親とその子どもたちが、一見貧しい、しかし精神的に豊かであるような、スローライフ的な暮らしをし、見る者に「真の人間性」的なものを考えさせるタイプの、あ~あ~あああああ~ああ〜♪あ~あ~あああああ~♪んんんん〜んんんんん〜んん〜♪たらったたらったた〜♪なドラマ、だと。
僕が今日何をしたいかと言うと、このイメージだけは破壊して帰りたいのです。
要素要素で見たら、まあ、入ってるものも無くはないんですけど、なんかこう、そうじゃねえんだ。
あの、そこじゃないんだよ感というか……。
「北の国から」はもっとこう、ドロッ……と、モチョッ……としてて……そういう、湧き水みてえに爽やかな人間を描くドラマじゃねえんだ……!!
ってことがね、言いたいのです。
前振りなげえ……。ちょっと細かく見ていきます。
※ここから先は、ネタバレ有りゾーンになります。嫌な人はこの先読まないほうがいいです。
まず言いたいのは、「北の国から」は貧乏聖化のドラマじゃないんだってことです。
清貧のイメージってやっぱ強いと思うんですよ。経済ってやつによって苦々しい思いをさせられた経験って、まあ多かれ少なかれ皆あって(たぶん)、だから人類は貧乏キャラに「アンチ経済」の夢を見るわけですが(決めつけ)。
それとは、違う。
「北の国から」の貧乏は、ガチ。
ってことなんです。
確かにね、なんか木造の小屋みたいな家に住んでますしね、なんか風力発電みたいなの作ったりするエピソードもあるし、一見それっぽいのは分かるんですよ。
でも、そんなもんじゃないんだって……貧乏ってやつはよお……。
吾郎(田中邦衛さんです)は、東京に出稼ぎ?に来て、なんか出会いがあって、結婚してですね、その子どもがかの有名な純と蛍なんですけども。その、二人のお母さんが吾郎以外の男性と浮気しちゃいまして……結局離婚して、子どもたちを連れて吾郎は帰郷する──ってのが「北の国から」の始まりなんですね。
で、都会育ちでそこそこ小ズルく生きてきた純が、田舎に揉まれてなんやかんや、って話も、まああるわけなんですけども(そこも面白くはある)。
それはそれとして、母親がね、病気で死んじゃうんですよ。たぶん10話くらい?まあなんか、結構経ってからですね。
で、子どもたちは新幹線かなんかですぐ東京に向かうんです。で、葬儀だか通夜だかに出て。母親の浮気相手の男(伊丹十三さん)と純がちょっとした交流なんかしちゃったりしてね、これがまたちょっと癖のある人間で、面白いんですけど。
……ですけど。来ないんですよ。吾郎が。全然来ない。やっぱ浮気されて離婚にまでなったような相手の通夜なんて……ってことなんか?みたいな空気になって、なんかもう来ないんだろうな、って感じになった頃に、ようやく来る。
でね、まあなんやかんやした後に、誰かに聞かれるんですよ。なんでお前すぐ来ないんだ。子どもはすぐ来たじゃないか。って。
そしたら吾郎が答えるわけです。「考えちゃいます」と。
自分が向こうで1日働いて稼げるお金がこんくらいで、新幹線代はこんくらい。いっぽう船(だったはず。たぶん)で来たならこんくらいに抑えられる。子どもはすぐにでも送ってやるとして、自分は、ってなったとき……「考えちゃいます」、と。
僕はこのシーンほんと、うお、ってなったんですよね。
だって、元妻の葬式ですよ? ハッキリ言って、そこは金惜しまないだろって感覚が、まああるじゃないですか。怒りやら恨みやらからならともかく(それも全くなかったのかは分からんですが)、掛かるお金のために遅くなるって、なんていうか、そんなこと、あるんだ……って。
これが、このスケールなのが、「北の国から」における「貧乏」なんですよ。
確かにお金がなくても得られる豊かさってものはあって、そういうものを沢山手にしている人間たちが描かれもするんですが、しかしそれは「アンチ経済の夢」つまり、「経済的な苦しみから全く自由である」ことを意味しないんです。
稼ぎが少なくて、金がなくて、ってことは、不便なこと、苦しいこともあるし、惨めな思いをすることもあるし、時にはそれで心が荒れてしまうこともあるんだ、と。
吾郎が「考えちゃいます」と語る前に、純視点を通して、自分が離れてしまった都会の暮らしやら、まあ貧乏ってことはない伊丹さんとのやり取りやらを挟むので、余計に差が浮き彫りになるわけですよね。
貧乏は泥臭い……けどその泥はなんか爽やかだ、いい汗だ、なんでイメージで消化される話ではないんですね。泥は泥なんだ。いい気持ちで稼げてるわけじゃないんだ。
それを知ってるからこそ、純が上京するときに渡される、「土のついた一万円札」に泣けてしまうわけなんですよ……。
金と言えば、労働とは切っても切り離せないわけですけども、この労働もやっぱり、爽やかなイメージなんかでは描かれないんですよね。
好きなエピソードが2つあって。どっちも「北の国から」を人にススメる時には必ず挙げるものなんですが、1つ目は、あの有名な「子どもがまだ食べてる途中でしょうが!」…………と同じスペシャル回内のエピソードで(「北の国から」は連ドラの後に大量のスペシャルドラマがある)。
なんか、純がまだ小学生だった頃だと思うんですけど、なんか純の同級生の正吉だかなんだかいう奴の親が、どっか行っちゃうんですよね、たしか。そんで純の家に居候みたいになるんですけども、純と正吉がちょっとしたやらかしをしまして、家が燃えちゃうんですよ(やらかしで済むか)。
それで、まあなんか新しい小屋みたいな家みたいなのに住みながら、吾郎は必死で働いて必要な金を捻出するわけです。この新しい家が、また暗くてね。想い出こもった家を失った後の借家?かなんかって、やっぱ影があるんだよなって感じがすごくして……。
で、ある日の晩(たぶん)の食卓で、吾郎が叫ぶんですよ。
「父さんもうクタクタだぁ!」って。
じゅ〜ん!ほたるぅ! の、あの声で、こんな悲痛な叫びを……。ほんと好きなんですよね、ここ。
本当に疲れ切って、荒んで、余裕なんてとっくに失いながらそれでも働いて、っていう「クタクタ」の重みがほんと、こもってるんです。
この後、当スペシャル回の終盤に出てくるのが「子どもがまだ食べてる途中でしょうが!」で、あれはだから「子どものためなら温厚な吾郎だって怒鳴るんだよ」的なだけのシーンではなく、溜めに溜めたストレス、経済的動物として受ける抑圧、暗い現実等々に対する反抗の一撃としての側面を確かに持っていて、強いカタルシスがあって、だから鮮烈な印象を残しているわけなんですよね。
2つ目は純と恋人が別れるシーンです。どういうチョイスだよって話なんですけど、まあ聞いてくれ。
純は恋人遍歴まあまあ厚めの人生を送ってて、初恋は中学生の時なんですね。名前は忘れました。それで、この子とはまあまあいい感じになるんですけども、なんやかんやあって、なんか離れ離れになっちゃうんですよ。なんか引っ越しちゃうかなんかするんだよな、たしか。
でね、大人になってから再開するんです。そんでまあ、なんかいい感じになる、と。
純はその時ゴミ収集車に乗ってゴミをあれこれする仕事についてます。回収したゴミの中にまだ使える物を見つけてなんかそれっぽいことを言ってたりするわけです。
で、いい感じになって、これは結婚か?ってなりかけたんだけど、結局破局するんです。細かい理由は忘れました。
その彼女が、別れ際に純に言うんです。
「デートの時、香水つけすぎるのやめなさい。みっともないわ」
ハァーーーーーーーッ!!!?!?!???テメーまじで何様のつもりだこの野郎ふざけんじゃねえぞ!!!!!!!!!
純が香水をたくさん付けるのは、ゴミ収集で体についた臭いを気にしてのことなんですね。それは彼女も分かってるんです。臭うのがみっともないならまだ救いはあったんです。
でもこれは、つまり、そのコンプレックス自体をみっともないと言ってるわけですよ。
ゴミ収集業でまだ使えるゴミを見て社会を別角度から見る意義みたいなもんに思いを馳せて、ちょっとした誇りみたいな、職業意識みたいなもんをどうにかこうにか掴んで…………。そんな純を、こんな風に刺していいわけありますか? そんなん言われたら、本当に立っていられなくなる……。
中身が正しくても、言っちゃいけないことってあるだろうが……!
僕はこの彼女が本当に嫌いなんですけど、同時にこの台詞の鋭さは本当にすごいと思っていて。いや、だってこんな最悪な台詞あるか……?
感動で泣く以外にも、誰かがかわいそうで泣く、みたいなシーンがたまにあるんですが、これは間違いなくその1つですね。正吉のじいさんの話と並んで2大かわいそうで泣いたシーンです。(正吉のじいさんの話については割愛します。見てくれ)
まあ無限に長くなりそうなのでペース落とそうかと思うんですが、だから、「額に汗して働くことは美しい」みたいなかんじでもないってこと、なんです。
他にも、なんか農場経営絡みでね、なんかこう、人が壊れちゃうみたいな話もあったりして、結構マジで、稼いで生きる、ってことのつらさを描いてるドラマだと思います。
もう1個、ここまでの話の流れからはちょっと外れるけど、好きなシーンがあって。
純がですね、上の彼女とはまた別の女性と、まあなんやかんやあって、あって、妊娠させちゃったことがあって。でも、こう、産んで育てよう、とはならないんですね。
そんで、相手の父親のとこに謝りに行くんです。そしたら、東京なんですけど、吾郎も付き添いに来てくれて。で、純がこう、テンパってて。その純に吾郎が言うんです。
「謝っちゃお」
あの気が抜けるような声で言うんですよ。
「とりあえず謝っちゃお」
手にはなんか、スイカなんかぶら下げちゃってて。
いや……。え?
それで純がどんだけ救われたか知ってるよ。もうどうにもならなかったことだよ。なんかすごくしっくりくる気もするよ。わかってるよ。わかってんだよ。でもさ。
んん…………? それで、いいのか?
いまだに、なんかこう、心のなかのどこにしまっていいのか分からんような感情になるんですよね。無なんじゃなくて、結論が出なくて、どう思えばいいんだ……?って。
こういう「正しさのライン超えちゃってない……?」みたいな部分が結構メインのキャラにもあったりして、なんていうか、まあまあつまずくドラマだとも思います。悪堕ちとか、そういうのではなく、まともな人間がまともなまま超えるっていう、なんかこう……言えばチープになっちゃうんですけど、人間らしい違和感という……のか?わからん……。
うん。まあこんなかんじです。
僕が紹介したようなことってのは「北の国から」の1パーにも満たないというかね、もっともっと色んなもんが詰め込まれたドラマです。上に書いたような感想だって感想の一部というのもおこがましいくらい微細な一部です。色んな人が色んなことを思えるドラマだと思います。
最初の方で「北の国から」なら人間として為になる系ドラマだろうからセーフだと思った、みたいな供述をしてたと思うんですけど、実際どうだったのか、それは分かりません。人間性が豊かになったか、それも分かりません。
ただただ言えるのは、本当によく出来たドラマだ。いいドラマだ。ってことだけです。
名作〜〜〜ってかんじの語られ方から予想する面白さより、絶対面白い。だから見てくれ。
昭和のドラマでしょ?みたいに思う人もいるかもしれませぬが僕も平成生まれだし、古いドラマとか滅多に見ないです。安心してくれ。怖くないよ。
余談ですが、前々からやりたいと思っていた「北の国から」語りを、よっしゃ今回やるぞ!と踏み切れたのは、ユーチューブのオモコロチャンネルさんで見た「あたしンちプレゼン」の回がむちゃくちゃよかったからです。
そっちも見てくれ。ではでは。