こんにちは。
書店はなるべく毎日行くようにしておりますが、中国史にご興味ありな向きに朗報をば。
楊海英『逆転の大中国史』が文春文庫に入りました。これがねえ、メチャクチャ面白い。
噛み砕いた説明なので、予備知識ゼロでも読めますしね。
著者は内モンゴル出身のモンゴル系、北京で学んで日本に留学された方です。モンゴル名、漢名、日本に帰化されて日本名もお持ちです。
だから、北からの相対的視点で中国史を見られる。
梅棹忠夫や川勝平太の文化人類学的視点によって中国史を俯瞰して見直していますが、要するに、プロト漢人は黄巾の乱で人口激減し、以降は北方系が混じっていく、隋唐は鮮卑族だ!それ以降も北からの民族流入進みまくりという、一部の方には当たり前と言えば当たり前のお話。
そうなんだよなあ。
漢文化はハードを選ばないソフトだから、担い手の民族は問わないのですよね。
漢人とは民族じゃなくてインストールされた文化が共通する人のカタマリなわけで、それが漢文化の強みであり、誤解されやすさでもあります。
それだけに、漢民族より漢人という方が現実に即しているのでしょう。
また、都市国家から出発したために領域の理解も独特で、たとえば、五胡に江南に追われた東晋は淮水と長江の間の都市を幽州や青州としてしまう。
都の北にあるから、という理由で。
伸縮自在なの?
伸縮自在なんですよ、彼らは。
つまり、日本人のように地名はその地に固有のものと認識されず、漢人の地名は領域の範囲が変われば、国都からの位置関係で別の土地にもその地名があてられるわけです。
これ、地理をやる人間には八つ裂きにしても飽き足りないくらいに鬱陶しくて、「未練がましく箱庭みてーなことをしてんじゃねえよ!」と怒りを感じるのですが、文化的に漢人の支配地=天下だし、天下の北の果ては幽州だから必然的にそうなるんですよねえ。
著者の視点を借りて南北朝時代を考えると、文化が激変したのはウラル・アルタイ化した河北で、江南はプロト漢文化の環境適応プロセスなんだろうと思うのです。
あー、だから南朝には興味が薄いんだなあ、と勝手に納得。
その他、出土人骨の民族系統や言語を駆使した分析も面白く、難を言えばやはり北方民族からの視点に寄りすぎている点で、チベット系やタイ系の視点がもっとあるといいなあと思いました。
サブタイトルが「ユーラシアの視点から」だから仕方ないんですけどね。
あまり数が刷られているとは思えないので、ご興味の向きは積ん読でも今のうちにお買い上げされることがオススメです。
議論は規模がデカイほど楽しいですね。