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やっちまいました。。。24話目が「第二十二回」になります。

こんばんは。
「『続三国志演義Ⅲ』もようやく四分の一を完了です」とか調子に乗っていたのですが、、、本日更新の「第二十四回 韓璞は上邽に陳安を破る」でなぜか話数が23なんですよねえ。

「第二十二回」はどこに行ったのかな?
死ね!

うわー、失敗したあ。
李矩の河南攻防戦、もう一話残ってる!
サイテー。。。

明日はなぜか24話目に「第二十二回」がアップされます。
あーあ。誠に申し訳ありませんでした。



ひっそりと現在の計画では、次の三十章で晋漢を扱った本編は完結とする予定です。
で、以降は三十一章に続けず、余録一、二、、、という形で切り分けます。続きモノにしたら中途断絶感満載になりますからねえ。

7件のコメント

  • お疲れ様です。( ^^) _U~~

    なんか、「違和感があるな」と思っていましたが、そのせいでしたか(;^ω^)

    >ひっそりと現在の計画では、次の三十章で晋漢を扱った本編は完結とする予定です。

    おお、私のアイデアを採用いただけたのですね。そこで切り分けるのが、一番だと思います。レビューでも書くつもりですが、それが三国志演義での蜀漢の滅亡を悔しく思った人々の最後の鎮魂なのです・・。

    もし、三国志後伝の後半が見つかって、劉裕が司馬氏を滅ぼす展開が明らかになっても、三国志後伝では司馬睿はあくまでも牛金の子供なので、別に因果応報になり得ません。完全に蛇足です。劉裕は漢を名乗らないし、もう、蜀漢への思いを投影できる相手ではありません。

    ところで最近、気づいたのですが、三国志平話と三国志後伝では劉淵の世代が違いますね。ずっと、同じかと勘違いしていましたが、三国志平話では、劉淵は劉禅の外孫となっていました。三国志後伝は劉淵はご存じの通り、劉備の孫です。世代的には平話の方が納得できますね。

    史実をきっちり学んでいる酉陽野史なら、そんなわざわざ不自然なことをするとは思えないので、やっぱり初期はどこかの講談の設定を借りてきた、そんな感じがします。


  • こんばんは。
    二十二回は翻訳してあげ忘れてました。ドンマイ。

    〉私のアイデアを採用いただけたのですね。

    ざっと通読してみましたが、これ以降にはうまく切れる場所がないのですよね。後はオマケにするしかないということで、同じ結論に至りました。


    〉劉裕が司馬氏を滅ぼす展開

    この展開は悪くはないけどよくもないですね。何より、世代が離れすぎていますからバカっぽくなりそうです。劉裕&諸葛長民をうまく使いたかった気持ちは分かりますが。。。ネタ的な意味で。


    〉三国志平話では、劉淵は劉禅の外孫となっていました。

    そうですか。
    平話の人物をまとめたリストでは劉備の外孫になっていました。読み違えていますかね。こちらは不調法なので、よく分かりません。170頁に劉淵の項目があります。

    https://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=120678

    劉禅207-271、劉淵251?-310とすると、劉禅44才の時に劉淵が誕生、孫世代の方がしっくりきます。講談は勢い重視なので、この辺は気にしないでしょうね。
  • >平話の人物をまとめたリストでは劉備の外孫になっていました。

    なるほど。そうなっていますね。おそらく、私の勘違いもネットの情報ではなく、専門書を読んだ上での勘違いだと思われます。

    ですが、三国志平話では、
    『晉王使鄧艾,鐘會入川伐漢,漢元帥姜維征西涼國,以此鄧艾軍疾入川。漢帝欲降,有宰相劉諶諫帝曰:「當使父子君臣背城一戰,同死社稷,以見先帝,奈何降乎?」帝不聽,劉諶致祭,哭漢昭烈廟,先殺妻子,後自刎。漢帝敕諸邊將皆降。姜維得詔,及眾將怒,以刀斲石,不得已而降。晉王封漢帝為扶風郡王。走了漢帝外孫劉淵,投北去了。』

    となっています。
    https://zh.wikisource.org/wiki/%e5%85%a8%e7%9b%b8%e5%b9%b3%e8%a9%b1/16

    勘違いはここで生まれたと思うのですが、ここでの『漢帝』は、晋王に封じられていることが分かる通り、劉備でなく、劉禅です。

    三国志後伝では、劉曜を劉諶の子にしたかったための改変でしょう。

    ただ、話としては少年・劉淵を斉万年や蜀漢の功臣子孫が補佐して、各地を流浪して仲間を集めていく話の方が面白かったかもですね。
  • こんばんは。
    劉備の外孫なら昭烈外孫と記すでしょうから、読み間違えていますね。

    リストの誤りでしたか。いやはや。
  • 河東さん、早速ですが、すみません。

    三国志後伝の第二回の最後の方ですが、

    https://zh.wikisource.org/wiki/%e4%b8%89%e5%9c%8b%e5%bf%97%e5%be%8c%e5%82%b3/%e5%8d%b7%e4%b8%80

    『且說魏之監軍衛瓘,乘便宜以收鐘會,又追斬鄧艾父子,遂欲擅威福以製服蜀臣,事亦前衍義備詳。』のうち、

    『遂欲擅威福以製服蜀臣,事亦前衍義備詳。』はどのように訳すのでしょうか?
    文脈から見て衛瓘が蜀の臣を害そうとしていることは分かるのですが。

    よろしければご教示お願いします。
  • こんばんは。
    あー、これは。。。この問題がありましたか。。。気づきませんでした。そうなると、無責任に原文読みはオススメできなかったなあ。
    うーん。

    ご説明しますね。

    遂欲擅威福以製服蜀臣,事亦前衍義備詳。

    これ、漢文じゃなくて用字の問題です。そのままでは読めなくて当たり前なんです。字義や音に従って置き換えなくては読めません。

    遂欲擅威福以「制」服蜀臣,事亦前「演」義備詳。

    二箇所、同じ音の別の字に置き換えました。たぶんこれなら意味をとれますよね。
    こういう字句の置き換えは、難易度が高いです。正史や通鑑をある程度は読めるようになった、さらに先の話なんです。。。まれに▼に残した原文の校正をしないといけないのです。

    そう考えると、通鑑や正史のが読みやすいです。テキストが正確ですから。繁体字の『後傳』のテキストは状態がよくないのです。

    うーん。。。しまったなあ。。。
  • ありがとうございます。

    今後は分からない時は簡体字版も読んで確認してから、また、お尋ねします。別版で四冊も持っていますので活用しなければ(笑)

    といいつつ、『事亦前演義備詳』と言われても、「毛宗崗本」しか分からない我らとしてはかえって困りますね(笑)『三国志後伝』がベースにした演義が「李卓吾本」かどうかも確信はないし。

    本格的な研究は別にして、ネットの記事ならある程度は推測で行っていくしかないですな。
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