こんばんは。
1月は第二十二囘までが限界みたいですねー。とりあえず、李矩vs劉暢の河南攻防戦は終われそうで何より。やっぱり全体の20%くらいです。北漢滅亡まではだいたい半分くらい来ましたかね。
なんで、章題は斜陽→薄暮と段々に暗くなっております。殺戮のあたりでは真っ暗になる予定です。
以上、盛大にネタバレしてみました。
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翻訳はほぼ原文から訳す感じに切り替えました。ただ、『後傳』から『通俗』の間でかなり割愛されているので、それに従うために『通俗』を参照しています。かなりバッサリいってます、
つーか、割りと面白い余談が落ちていて、あららという感じもあったりします。余裕があれば原文にも触れてみて下さいって、そんなヒマな人はいませんね。
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そういえば、久々に五胡から南北朝あたりの論文をチラチラ読み直していますが、史書から読み取れる部分について、確度が高いところはだいたいが先達に押さえられているのですね。
だから、出土史料または別言語の史料によらないと大ネタの新説は難しそうです。やり尽くされた、とまでは言いませんが、先達に提示された枠組みの細部を詰めるか、大勢に影響しない社会学の方に向かうか、道が限られているみたいです。
キレキレの先達にガチで戦うには、史料的な制約がキツすぎます。下手すると全部に目を通せるくらいしか史料がない。。。なんで、今後、五胡南北朝あたりで新たに大学者が現れる可能性は極めて低そうです。
現れるとしたら、考古方面からなんだろうなあ。。。