• 歴史・時代・伝奇

ルビ振る夜(半分終わった!)

こんばんは。

続三国志演義のルビ振りは七十回まで終わって折り返し地点です。
というか、やっているうちに基準が曖昧になってしまって。。。

固有名詞だけにしていたのですが、読みにくい言葉も多いですね。
それより語釈を付けた方がいいんでないの?という気も。

毀つ、訪う、諾う、肯んじる、日常生活では遣いませんよねえ。
漢文を読んでいると親しみがあるのですが、発話することはまあ
ないですし。

あと、読み直しというのは面白いもので、なんというか、自分で
書いたクセに人の文章を読むようでキモチ悪い部分があったり。

なんとなく手入れしているのですが、まだまだ冗長ですねえ。
もっとばっさり刈り込んでいきたいのですけど、貧乏性なのです。

年内にはルビ振りを終えたいなあ。

8件のコメント

  • お疲れ様です。

    以前、私がお話していた
    中村昂然=馬場信意の仮説、あれが事実であることが判明しました!

    https://twitter.com/mamesiba195/status/1069573905482833920

    もちろん、これからも詰めないといけないのですが、この成果なら博論どころか研究者の論文にも匹敵できるものにもなるかもしれません。

    電子書籍などは個人で出版できるので、河東さんのこの翻訳もいずれは私の手で出版できる日が来たらいいな、その時はご相談に乗っていただきたいと考えています。

    取り急ぎ失礼しました。また、これからもよろしくお願いします。
  • こんばんは。
    素晴らしい成果が得られたようでなによりでした。

    中村昂然=馬場信意は安永七年(1778)年の吉田一保「和漢軍書要覧」の頃までは知られていたものの、以降は忘れられてしまったのでしょうね。

    印と「和漢軍書要覧」の記述でほぼ確定としてしまって問題ないと思いますが、どうなのかなあ。

    発見された事実は論文などにまとめて発表してしまうのがよいと思いますが、分野的には国文学となりますかね。不調法な分野なのでお役には立たなさそうです。


    〉電子書籍などは個人で出版できる

    ほー、そうなんですね。
    サイトで公開しているものを電子書籍にしても、あまり変わらないイメージなのですが。。。やっぱり違いますかね?

    こちらも不調法なので、あまりよく分からないのでした。
  • >印と「和漢軍書要覧」の記述でほぼ確定としてしまって
    >問題ないと思いますが、どうなのかなあ。

    そうですね。ネット上の独説では、ほぼ確定で構いませんが、博論以上の論文となると馬場信意の事跡は調べられる限りは調べてということになるでしょう。時間がかかる上に、今までみたいに「勝手知ったる」というわけではないから、慌てずに取り掛かるべきでしょうね。

    調査は、通俗本や軍談関係の方が先の方がいいでしょう。

    >サイトで公開しているものを電子書籍にしても、
    >あまり変わらないイメージなのですが。。。
    >やっぱり違いますかね?

    私もまだ、よく分かっていませんが、
    ①サイトの公開はサイトのサービスが終了したら終わりです。Kindolなどはほぼ永続的に続くことが期待できます。
    ②ISBNコードも取得できるので、図書館に登録してもらうこともできるらしいです。とすると、自作のwikipediaや論文の出典としても成り立ち得るかもしれません。さすがに自分自身のものでないと、無名の人や会社のものは、怖くて出典にはできませんが。
    ③画像も添付できますし、編集も自分でかなり自由にできるようです。

    知っている限り、これだけの違いがあります。私としても今すぐというわけではないので、追加情報がありましたら、お知らせします。

    話は変わりますが、「通俗続後三国志」について、馬場信武の死後に後編が刊行しているという謎がありました。

    そこでお聞きしたいのですが、「通俗続後三国志・後編」の終盤あたりの文章が突如、変わっているということはあったのでしょうか?

    つまりは、馬場信武の死後に馬場信意か、弟子かが翻訳したのではないかという疑問を持っているわけです。

    お時間がある時で結構ですので、よろしければご確認いただければ幸いです。
  • こんばんは。

    〉博論以上の論文となると馬場信意の事跡は調べられる限りは調べてということになるでしょう。

    「博士以上」ですか。
    ちなみにですが、
    博士論文は実績のある研究者の方が既発の論文をまとめて提出する例が多いですから、質的に研究者の論文〉博士論文とゆー図式ではないです。そもそも研究者に博士号が必須かと言えば、実はそうでもないですしね。

    語弊がありますからその使い方はあまりされない方がよいと思われます。博論を出さないと研究者じゃない、みたく誤解されちゃいそうです。

    少なくとも私の中では、博士号の有無と研究の質はほとんど連動していないです。


    〉「通俗続後三国志」について、馬場信武の死後に後編が刊行しているという謎がありました。

    ふうむ。
    別に謎というほどでもなく、上梓のタイムラグもあって生前の翻訳を死後に出版したのかと思いますが、その可能性を除外せざるを得ない情報がありましたでしょうか?
    謎とすべきかどうかを先に検討すべきかと思いました。


    〉「通俗続後三国志・後編」の終盤あたりの文章が突如、変わっているということはあったのでしょうか?

    私見では顕著な相違や断絶は見られないと考えます。とはいえ、素読みしただけですから、翻訳を始めたなら相違に気づくかも知れません。
    現状ではそんな感じであります。

    何となく、結論を急がず、ゆるゆるやられるのがよいかと思いました。過去を掘り返す行為は、やはり手間がかかりますからねえ。
  • >少なくとも私の中では、
    >博士号の有無と研究の質はほとんど連動していないです。

    なるほど。そうだったのですね。了解です。失礼しました。

    >私見では顕著な相違や断絶は見られないと考えます。
    そうだったのですね。謎というほどではないのですな。こちらも了解しました。

    実は、「仲村昂然皐禽父序」については、「仲村昂然、皐禽 父への序」と読むと他の方からご教示いただいて、それを根拠にしていましたが、それは勘違いであり、用例から「皐禽」は「仲村昂然」の号であり、父は先生程度の意味で、仲村昂然は馬場信武の目上の人物ではないかというご指摘がありましたので、馬場信意=中村昂然説を唱えるのは撤回いたしました。

    私としては、ゆるゆると何十年もかけて調べるつもりであったにも関わらず、信頼した方に唐突に第三者に見える形で否定され、学者の世界の怖さを知りました。

    論文ではない段階で、そこまで要求されれば、全てを専攻されている先生に聞かなければ、ネットにもアップできないということになります。

    これについては、江戸時代の書誌学は不勉強なのもあって、もう近づきたくないです。せっかく、応援していただけたのに申し訳ありません。

    これからは、サイトでの三国志後伝の分かりやすい紹介に専念します。学問は趣味程度でいきたいです。
  • こんばんは。
    最近はルビ振り職人と化しております。

    〉「仲村昂然皐禽父序」

    なるほど。。。ぼやっとして気がつきませんでしたが、「父序」の用例はたしかにありますね。

    『直齋書録解題』を著した南宋の陳振孫、字は伯玉、号は直齋という方のことを調べたことがありまして、陳思という人が編纂した『寳刻叢編』という書籍に寄せた序は、末に「紹定辛卯直齋陳伯玉父」と記されていました。

    で。
    この父ですが、先生くらいの意味は然りなのですが、実際には自称とは考えにくいです。范増の亜父や呂尚の師尚父がそうですが、いずれも他者からの敬称なんですよね。

    だから、父の字を本人が書いたとは考えにくく、かつ、それがあるから著者より序を寄せた人が目上とは限らないんじゃないかなあ、と思います。

    父字を先生の意で解するなら、序を寄せた仲村昂然さんの自称と考えるのは違和感があります。書肆が序を寄せた人の値打ちを高めるために付したのかも知れませんね。


    〉ゆるゆると何十年もかけて調べるつもり

    調べることを楽しめるなら、それが一番よいと思います。よい趣味です。誰かに異論を出されても、それは当たり前というか、次の調べ物の素材ですからね。気にするほどのこともありませんよ。


    〉学者の世界の怖さ

    文化の違いです。学問をする人は異論を述べたり、他人の仮説を否定することを躊躇しませんから。しかし、指摘する側は気づいたから指摘しただけで、それが仕事ですしね。
    実際には何も考えてないと思いますよ。
    だから、まあそーゆー生き物がいるんだなー、と思って感心を持ち続けて頂ければいいんじゃないかと思います。

    続三国志演義も誤りの指摘がないかなーと思っていますが、なかなかそこまで時間を割いては頂けないみたいです。

    がっくり。
  • ご心配ありがとうございます。

    >だから、父の字を本人が書いたとは考えにくく、
    >かつ、それがあるから著者より序を寄せた人が
    >目上とは限らないんじゃないかなあ、と思います。

    なるほど。そうなのですよね。もちろん、日本での用例は違うかもですが、それをきちんと整理した研究も無しに、1~2時間調べただけで『違う』と断定されたら、調査することが成り立たないのです。『要確認』だけで終わらせないと。

    私も専門の先生が断言しないのなら、学者といえども信用できるものではありません。その旨は、すでに削除済みではありますが、ご本人にも伝えました。

    >誰かに異論を出されても、それは当たり前というか、
    >次の調べ物の素材ですからね。気にするほどのこともありませんよ。

    さすがに、今まで二人でメールで連絡して確認する仲の人が、突然に知らない人からの質問を受けるためのツイートに返信して、第三者から見える形で堂々と否定されると、かなりショックは大きいですね。調査を継続する気がいまだ起きません。

    >文化の違いです。学問をする人は異論を述べたり、
    >他人の仮説を否定することを躊躇しませんから。
    >しかし、指摘する側は気づいたから指摘しただけで、
    >それが仕事ですしね。
    >実際には何も考えてないと思いますよ。

    うーん。

    >続三国志演義も誤りの指摘がないかなーと思っていますが、なかなか>そこまで時間を割いては頂けないみたいです。

    >がっくり。

    twitterされれば、一応は可能かと。リスクが多くて、あまり薦めませんけど。

    私もそうかもしれませんが、twitterをやる人は初めはツイートやDMで理解しあえても、突然、理解できない発言をtwitter上でされるという経験が余りに多いです。「目立つ」というものに縛られてしまうのかもしれませんね。
  • こんにちは。
    twitterは知識がある人にリーチしやすくて便利そうですけど、断片的発言になりますから誤解や齟齬も多そうですね。使う理由もそれぞれに違いましょうし、自ら一線を引かないと面倒そうです。

    相変わらず、始めるつもりはないのですが。


    〉調査を継続する気がいまだ起きません。

    いずれ機会があればまたやる気が起きます
    でしょうし、原書の流転を明らかにされた
    成果だけでも十分だと思います。

    やりたい時にやるべきですから、やる気が
    起きない時にムリされる必要はありません。

    興味とやる気がある方を優先されるのがよいです。
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