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ひたすら読む日々。

こんばんは。
ご無沙汰しております。

ご承知の通り?『続三国志演義』のリライトを放ったらかしにし、今は新しい山に挑んでおります。
『通俗續後三國志後編』、ではなく。
800ページとか1000ページとかの研究書です。しかも、清代。

悦般国はどうなった感じですかね?
あれは松田壽男先生の著作を読んで、詰めきれないと見て諦めました。関連書籍が楽しかったので満足。六鎮の乱を考える上でも視野を広げられました。
しかし、アルタイ山付近にエフタルと音が近いヤフタルと呼ばれる部族が現存すると言われましてもなあ。。。見に行くわけにもいきませんし。



目前の山は、今堀誠二先生。

広島大学の御大、戦時中に北京から包頭くんだりまで出向いて地方のギルド=同業集団の調査を行った方でございます。
当然、先駆者は北京のギルドを同様に調査された仁井田陞先生でありまして、そのモデルを地方に拡張されたわけであります。

いずれも近代史の範疇に入ります。

その労作は、『中国封建社会の機構』『中国封建社会の構造』『中国封建社会の構成』の3部作にまとめられておりまして、最後は華僑にまでたどり着く視野の広さです。

「テメーは隋唐以前しか分からんといいながら随分なこっちゃのう」という向きもあろうかと思いますが、さにあらず。
およそ、社会の上層は近代化のような変化の影響をイチ早く受けますが、下層には前近代的な因襲が残るものでございます。
ですから、近代社会の下層には史料的な限界から汲み取れぬ前近代社会の残滓があり、そこから古代社会のありようが読み取れるやも知れぬ、という期待があるのです。

すなわち、正史からは読み取れない社会階層、商工業者やジャーニーマンと呼ばれる行商人、土地に縛りつけられた農夫とは異なる階層ですが、その有り様を明らかにするにはなかなか骨が折れます。

それらの実態調査は史料的に唐代まで降らないと難しく、しかも長安など国都が中心にならざるを得ないように思います。
宋代に入れば地方志による研究もできるのかな。しかし、やる気と能力がありません。つーか、地方志叢書を今から買い集めるとか、わりと確実に死ねます。色々な意味で。

そういう事情と限界から、最後の近代である清末社会史の成果を読むのはわりと好きでして、いずれは読みたいと思って仁井田先生や今堀先生の著作はチクチク買い集めておったのですね。
最近、新しく手に入れた本をパラパラとめくっていると、どうもアタマの準備ができつつあるらしく、ようやくコイツらと戦う日が来たらしいな、と思いました。

古代史のディテールを積み重ねたい方には清末社会史の研究書はオススメですよ。

縣令の仕事を詳しく知りたい方は、東洋文庫の『鹿洲公案』を読むのがよいと思いますし、養蚕を詳しく知りたいなら同じく東洋文庫の『天工開物』がオススメ、匈奴や鮮卑を書きたい方には、遼金元清あたりの正史や研究書がよろしいです。

『魏書』は漢化されすぎな気がします。

んなこと言われてもって話だと思いますが。。。

そういうわけで、しばらくは清末の河北の調査に旅立って留守にしておりますので、西晋の物語は開店休業となっております。

本サイトでも注目している作品はしんみりと追っていたりしますので、いずれ時間をとってレビューも書きたいのですが、まだまだ読まないとダメっぽいですねー。
前途遼遠です。

2件のコメント

  • お元気ですか? 色々あって、まとめは手間取っていますが、一応、前には進んでおります。

    中国のギルド=同業集団については、私も昔は、唐代(っぽい世界)の商人ものを書いた時に調べたことがありますね。

    盛唐でしたら、漢代よりも社会階層が科挙受験者レベルまでは、ある程度分かるようになる上に、まだ、システムもシンプルですので、平和な時代を書く題材として書きやすかったわけですが、おっしゃる通り、商業については、地方レベルはなかなか分からなくて、宋代のものを援用したり、宋代のものを先取りしたりする展開が多く、ましては、生活レベルや庶民レベルを調べるとなると、さらに後代を参考にしなければならないと感じました。

    しかし、それを実践に移すのは難しいことで、三国志の創作でネタ切れに困っている人に、そのやり方を勧めたのですが、実際は難しかったようですね。

    その成果を拝見できる日を楽しみにしています。

    リライトに囚われることは時間がもったいないと私も感じていました。これで、私としても「続三国志演義」・「続三国志演義Ⅱ」は完結したものとみなします。
  • こんにちは。
    ご無沙汰しております。バタバタ続きですが、生きております(笑


    ギルド、興味深いですよね。
    清代に入っても、本邦の近江商人のように山西商人が商売上手の代名詞とされており、理由を探れば山西は台地山地が多くて灌漑が大規模にできず、穀物の物なりがよくないために商品作物を作るしかなかったようです。それを換金するために商業が発達したのでしょう。
    それに、半農半牧の傾向から現代のトラックに相当する牛馬も多かったため、物流センターにもなり得たわけです。
    社会史って面白いです。
    小説に援用されようと試みられたのは慧眼ですね。『僕僕先生』シリーズの仁木英之さんは大陸に留学されていたそうで、そういう知識を活用してファンタジーにうまく使われているように感じます。



    一方、三國志演義では、地縁血縁による派閥争いは割愛され、かなり近代的な個人─国家の関係に置き直されているように思います。
    規模を考えると妥当な判断ですが、それだけに荀彧の自死あたりは単純化せざるを得なくなります。アレは実はかなり錯綜した事情があるように感じます。
    三國志の全般には興味薄というか、好きな人がたくさんいるから任せて安心楽しむだけのスタンスですが、社会史の見地から荀彧の死には興味ありなんですね。ああいう違和感があるところには、研究の糸口があるものですから。
    実際、魏は曹氏と夏侯氏の血縁集団に地縁分かれした清流人士がそれを囲み、一方では戦場で同じ釜の飯を食べた部将が前線を守る形だったわけで、後代には支配地の名家から能吏や勇将、それに思想家を輩出したわけです。
    つまり、個人として一族や地縁から切れた人はほとんどいません。これは呉も同じかな。でも、蜀だけは少し違い、劉備という個人を核とした集団に荊州、益州出身者という構成になっておりまして、特徴的だなあと感じます。
    何しろ、流浪の旅を続けた方々ですから。
    北京周辺の出身者が成都に建国したと考えると、見落とされがちですが、なかなかスゴイですよね。


    続三國志演義はリライトより何より、翻訳を通読できていないのがネックでして、自分が読んで楽しむために訳したはずなのに、、、という感じでハラハラしております。
    ただ、自家中毒になりそうなので、しばらくは寝かせて気力体力が充実してから、読者&ツッコミ役として楽しみたいと思います。
    今も検索から来て下さる方がポツポツおられ、ありがたいことでありますが。。。


    三國志後伝研究は、江戸時代の書籍流通まで絡んでかなり広がりましたね。研究者だったらアタリ籤なんですけど、まとめは大変そうです。
    書誌学的な事実確認から江戸時代の流通や翻訳の背景となる京都の知識層の交流までまとめると、博士論文レベルになっちゃいます。
    次の方が始める基礎を作るだけでも十分な成果ですから、ゆるゆるとお楽しみ下さい。

    でわでわ。
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