こんばんは。
先の三連休はキケンな暑さでヤル気100%オフでしたが、さすがにチビっとは進んで今は100回の壁を突破。残りは15回を切っていますから、もう先は見えましたね。
とか言うとだいたい失敗するのが世の常です。
9月24日完結に向けて集中です。
▼書誌学的『三国志後伝』
まめさん謹製の『三國志後傳』(『続三国志』のネタ元)の書誌学的まとめをじっくり拝読しておりました。
【三国志後伝】 三国志演義の続編として刊行され、日本で翻案されて独自に発展しつつ、各国を渡り続け生き残り、中国で復活を遂げた数奇な書物の話
https://togetter.com/li/1247279少々のツッコミを入れるなら。
https://twitter.com/mamesiba195/status/1018548237932752896前半部分は、中村昂然によって『通俗續三國志』として江戸時代の元禄十六年(1703)に、後半部分は、尾田玄古(馬場信武)によって正徳2年(1712)に『通俗續後三國志』として翻案もしくは刊本されます。
訳する限り、原点からの省略や誤訳は多々ありますが、冒頭の時系列の入れ替え(蜀滅亡→呉滅亡の時系列順ではなく、呉滅亡→蜀滅亡の順に遡って叙述している)を除けば、翻案ではなく翻訳と見てよいと思います。むしろ原文に忠実に訳して読みにくい、というのが実際でした。終わってないけど。
論文じゃなくてもこういう形で調べた情報を公開できるのはよいですね。文系の研究行為は形を変えていくのかも知れません。
しかし、ビューは多いですが、コメントするのは難易度高いです。よほど調査しないと。。。
こういう数奇な本ですが、日本では江戸時代に翻訳された上、明治時代にも出版されていたわけです。
それを原書→江戸訳→明治再版→現代語翻訳と四番煎じで蒸し返しているわけですね。
▼恐怖の漢文クラスタ
で。
ついでに面白そうなネタはないかとチラチラ見てみると、なんか背筋が凍るネタがありました。
漢文訓読の意義について
https://togetter.com/li/1067867Twitter上で一人の高校の先生が「漢文クラスタ」と呼ばれる闇の組織に敢然と立ち向かい、衆寡敵せず撤退するまでを描いた超大作です。
枝葉をバッサリ落とすと議論は以下のようです。
→は私見でございますね。
漢文はSVOで解釈できるんじゃね?
漢クラ「ムリ、適合しない事例が多数」
→当然、でもかなりの文はそれで読めますよ。
返り点を廃止する方がよいんじゃね?
漢クラ「返り点は文化」
→否、返り点は初学者がどのように間違えたかを公開する技術的手段。よって、一定の力量を身につければ廃してよい。ただし、入口としては必須。
発言者が高校のセンセイという前提なら、前者はいいけど後者はダメって感じでしょうか。
しかし、漢文の学習はこれから衰退する一方なんだろうなあ、と思わざるを得ない光景でした。
漢文だけ読めてもねえ。。。古文に超詳しいけど現代日本語を話せない外人さんみたいなモンです(笑