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PV3599のナゾ。

こんばんは。
翻訳もせずに調べ物をしていた人です。
さようなら。

ではなく。

『通俗続三国志』は「三国志」のネームバリューにまめさんのWikipedia執筆効果もあり、コンスタントに毎日ご訪問頂けており、大変にありがたいことです。
GoogleAnalyticsで確認する限り、誰も来なかったなーという日はないようです。恵まれた作品です。
親の七光り?たしかにそれはありますよねー。

しかし。
この数日、PVが3599から増えないのですね。何なんでしょう。

読者の方に来て頂けていることは分かっていますから、大した問題ではないのですが、何とも不思議です。
『通俗続後三国志』は伸びているので、アカウントがダメってわけでもなさそうですしねえ。

なんか不思議です。



あ、3600になってる。
んー、やっぱりGoogleAnalyticsとはカウント方法が違うのかなあ。

6件のコメント

  • これは謎ですね。閲覧数が実際より少ない可能性もありそうです。

    ところで、1990年発行の古本小説集成「三国誌後傳」(上海古籍出版社)
    https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN10923257
    地元の大学の図書館で確認しました。
    残念ながら、著作権があるため、画像はアップできないそうですが。

    内容は上海図書館にあるものの蔵本の影印です。維基の説明分は、「前言」にある曹中孚の説明を短くしたものであることが分かります。

    当然ながら、内容は全て手書きの繁体字、といきたいところですが、明代にもすでに簡体字は存在し、「劉」などは簡体字になっているところもあります。司馬乂が司馬義となっているところは、元々からの間違いであることも分かります。

    影印はときどき薄すぎるところや字がかすれているところもありますが、99%は読めます。あまりにひどい影印の欠落は5巻の最後に「輯補」という形で補っています。

    徳田論文で指摘がありました。魏晋南北朝の各国の都の位置や主立った地名がかかれた見開きの地図はありました。さらにこれは初めて知ったことですが、挿絵も入っていました。少なくとも何十枚かはあったと思います。「金陵魏少峰」が描いたそうです。絵のタッチは中国古典文学大系などで確認することができる挿絵に酷似しています。

    大きな差はない可能性もありますが、確かにこれなら、明清善本小説叢刊『新刻続編三国誌後伝』よりよさそうです。ただ、完全と言えるものではなく、翻訳を依頼されたとすれば二の足を踏む内容であることも事実でしょう。1990年段階では翻訳は無理ですね。

    また、閲覧・複写の許可もとりましたので、近々、東京にも行きます。内容の確認が楽しみです。
  • こんばんは。
    古本小説集成の方を確認されたのですね。
    ご教示ありがとうございます。


    >明代にもすでに簡体字は存在し、「劉」などは簡体字

    ほほう。それは知りませんでした。まあ、日本でも簡体字風略字は使いますから、そういうモノなのでしょうね。


    >挿絵も入っていました。少なくとも何十枚かはあった

    ああいう挿絵ですね。アレはよいものです。何か郷愁を誘うというか、中国歴史小説を読んでいる雰囲気が出ます。日本の豪華な錦絵もいいんですけど、やはり中国は線画ですね。

    故宮博物院HP
    https://www.npm.gov.tw/exh98/redcliff/page_ch_04.html

    魏少峰さんはなかなかの名工のようですね。『三國志演義』でも挿絵を担当されたことがあるようです。金陵派という画風があったようですね。これは勉強になりました。


    >1990年段階では翻訳は無理ですね。

    うーん、そうですか。出土物をより合わせて解読している学者さんに怒られそうですね。摩耗しているところをX線で確認したりしますからねえ。擦れや抜けくらいで怯むんじゃねーよって(笑

    東京大学図書館にも出向かれるわけですな。なかなか、まめさんは執念深いですねえ。徳田先生の衣鉢を継いで論文が一本書けそうです。
  • お疲れ様です。東京に行ってきました。こっちでも見ることはできますが、桜がきれいでしたな。移動時間に東晋関係の論文も5本読みました。5月ぐらいには、東晋関係のコメントもできそうですな。

    東京大学東洋文化研究所に行き、『三国志後伝』私製:東洋文庫版万暦刊本の複製を確認しました。

    事前に連絡したところ、意外とあっさりと閲覧と複製の許可は得られました。残念ながら、書籍そのものの撮影の許可は得られませんでしたが。

    書籍は黒いハードカバーのA4横、250頁ほどの5冊の書籍で、内容はマイクロフィルムで保存したものを印刷したもののようでした。1冊ごとに2巻分の内容が含まれている。

    ハードカバーの表紙には何も書かれていませんが、背表紙には、『三國志後傳(一) 巻一至巻二 東洋文庫』などと書かれていました。

    肝心な内容なのですが、古本小説集成「三国誌後傳」影印本と明かに字が違い、別の写本であることは間違い有りません。

    ただ、残念なことに、記載された年次は『萬暦歳次巳酉』でして、上海のものと同年でした。歴史的発見にはならなかったです。

    内容も地図、挿絵ともにありましたが、古本小説集成にあった挿絵がなく、全体的に挿絵が少ないように感じました。

    また、最後の頁で欠落が見られ、酉陽野史の『待て! 次号!(笑)』の頁がなかったです。

    残念ながら、上海のものと比べると少し劣るようですね。維基の方では字の欠落がありますが、上海古典出版社のものは欠字がないようですし、擦れや抜けくらいでひるまなかったようです(笑)。

    ただし、私としては、これは知られた方がよい事実ではありますので、ここでの会話を画像で貼るなど大仰なことはせず、河東さんからご指摘があったことを記載し、それを元に調べた結果と内容について、自分のtwitterとそれをまとめたtogetterで記事にしたいと思います。

    同意をいただければ、東京大学東洋文化研究所に、コピーした画像のネット上の掲載をお願いする利用申請書と企画書を提出したいと思いますので、ご検討をお願いします。
  • こんにちは。
    さすがまめさん、スゴイ行動力ですね。

    〉移動時間に東晋関係の論文も5本読みました。

    しかも、論文まで読まれて。東晋浸けですね(笑
    さて、まめさん情報を整理してみます。


    〉マイクロフィルムで保存したものを印刷したもの

    なるほど。ということは、
    ・東洋文庫が入手
    ・昭和6年、孫楷第さんが東京で万暦刊本を確認、東洋文庫所蔵?
    ・東洋文庫がマイクロフィルム化
    ・それを印刷して東大図書館に収蔵
    ・以後、東洋文庫のマイクロフィルムは散逸?
    ・昭和62年、徳田武さんが東京に存在しなかった旨を論文に発表(東大図書館の蔵書は調査せず?)
    という流れが推測されますね。
    徳田さんが東洋文庫と東大図書館でどのような調査をされたか次第、かつ、東大図書館の蔵書について時期や経緯が不明ではありますが、現時点の仮説としてはこんなものでしょうか。


    〉古本小説集成「三国誌後傳」影印本と明かに字が違い、別の写本である

    字が違うということは、刻本ではなくて筆写本ですか。『善本叢書』も確かそうでしたね。開版されてなかったのか。。。あまり売れなかったんだなあ。
    刻本なら奥付や版木の文字を材料に系統、初刻か再刻かの前後関係くらいは詰められる可能性があったのですが、筆写では難しいです。書肆や奥付などの情報は省略するのが常ですから。ちぃっ。


    〉記載された年次は『萬暦歳次巳酉』でして、上海のものと同年でした。

    孔祥義さんの解説では「乙酉」になっていましたから、「巳酉」は伝写の誤りでしょうね。
    それに、これは序の日付なので、改訂されない限りは変わりません。そういう面では乙酉版が最古の刊本ではあるのでしょう。


    〉全体的に挿絵が少ない

    可能性としては、原本に豊富な挿絵があったのを省略したか、原本から徐々に増えていったかの二つが考えられますが、薮の中ですね。魏少峰さんの絵なら前者の可能性が高いかも知れません。逆に、質的に劣るなら後者でしょうね。1610年まで存命でしたから、どちらも考えられそうです。


    〉酉陽野史の『待て! 次号!(笑)』の頁がなかった

    次号が見つかったら翻訳するのに。
    遺稿が何処からか発見されませんかねー。


    〉上海古典出版社のものは欠字がないようですし、擦れや抜けくらいでひるまなかったようです

    上海本の状態は悪くないんですから、それくらいはね(笑


    〉同意をいただければ

    まめさんが調べられた情報ですから、同意を得る必要なんかないですよ。指摘者名も読む人にはどうでもいい情報ですから省略推奨です。
    記事作成も内容もまめさんのご随意にどうぞ。
  • >指摘者名も読む人にはどうでもいい情報ですから省略推奨です。
    >記事作成も内容もまめさんのご随意にどうぞ。

    ありがとうございます。無記名は私の方こそ、功績を奪った疑惑に耐えられないので、省略必須だったら記事にできません。記事作成後は、報告させていただきます。

    できることなら、中国語論文も調べておきたいのですが、さすがに読めないと思うので、手に入れる作業を並行で行いつつ、日本語としての限界ということでいったんここまでで発表したいですね。

    wikipediaも改変しましたし、後は日本語としては、中身の情報量を増やすか、『馬場信武』さんのことを調べるぐらいしかできることはなさそうですね。

    子孫の系図一覧は、twitter上の方が面白そうです。

    >東大図書館の蔵書について時期や経緯が不明ではありますが、
    >現時点の仮説としてはこんなものでしょうか。

    経緯としてはそれで間違いないと思われます。検索のできる現在ならともかく、蔵書にある可能性はほとんどないと思っている段階で他の先生がされたのなら、探しきれなかったとしても不思議ではありません。

    >刻本なら奥付や版木の文字を材料に系統、
    >初刻か再刻かの前後関係くらいは詰められる
    >可能性があったのですが、筆写では難しいです。

    そんな可能性があったのですか。全然、分からなかったです。奥付はないと思われます。

    >孔祥義さんの解説では「乙酉」になっていましたから、
    >「巳酉」は伝写の誤りでしょうね。

    これは私も間違えていますが、「己酉」は1609年、「乙酉」は1645年なので、孔祥義さんも間違えているでしょう(笑)。まだまだ、未成熟なところが嬉しいですな。誰かの再確認ではなく、調べる余地があります。

    ところで、字は明かに違うと書きましたら、これは状態による強弱でそう見えただけで、同じかもしれません。もし、ご確認いただけるのなら、個人的に連絡をとりたいです。

    ご承諾いただけるなら、メールアドレスをコメント欄に記載し、確認次第、消すことにします。ご検討をお願いします。
  • こんばんは。

    〉無記名は私の方こそ、功績を奪った疑惑に耐えられないので、省略必須だったら記事にできません。

    マジメですねえ。それも含めてまめさんのご随意に、です。しかし、素晴らしい探究心ですね。


    〉馬場信武

    彼は彼で歴史上の人物としての調べ甲斐はたっぷりですから、まめさんのお相手として相応しいかもしれませんよ。なかなか魅力的な人物です。
    しかも、現在の研究はイマイチ中途半端な感じですから、オススメです。


    〉孔祥義さんも間違えているでしょう

    あー、その可能性もありますね。
    已、己、乙は筆写ではよく混同されますから。


    〉もし、ご確認いただけるのなら、個人的に連絡をとりたいです。

    河東のメアドに一文の価値もありませんが、メアド=電話番号なので、難しいです。
    まめさんに隠す必要はまったくないんですけど、かなり迂闊な感じなんですよね(笑

    書誌学は齧ったくらいですから、知識はまめさんとあまり変わらないです。筆蹟鑑定はそんなに難しいハナシではありません。

    カンタンに調べるなら、比べたい元字をアカにして、比較先の先字をクロにして、スキャンした画像をエクセルかパワポあたりで重ねてみればよいのです。その場合は、元字を上にします。
    中心線が重なるならクロ、ズレるならシロです。
    拡大縮小は思いのままですから、だいたいの大きさを揃えたらお望みの結果が得られます。

    どうしてもオマエがやれ、という場合はここでご連絡ください。捨てアカを作ってご連絡します。値打ちをこく気はないんですけど、そういう事情がございましてね。。。
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