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止めじゃ、止め。

こんばんは。

酔っ払いみたいなタイトルになってすみません。お酒は入ってますが、酔ってないです。酔っ払うには空きっ腹にウイスキーを入れるくらいしないとダメな人です。人としてダメというご意見はなしの方向で。

前回の近況にも書きましたけど、三日に一回更新はわりと楽で、まめさんに申し上げた通り、弛んどるわけです。

「2月末まで書き貯めたよー」という感じで余裕をブッこいてましたが、「出し惜しみしてどうする」と。「書いたらさっさと公開せんかい」と言われた気がしてなりません。やっぱり「よい作品」を読むと、お尻を蹴られた感じがしますよね。

というわけで、『通俗續三國志II』は書けている分だけは毎日更新します。現状、2月初めまでは大丈夫。それ以降は随時更新に切り替えます。
力尽きたら更新止まってしまうわけですが、その時は「サボってやがんな」と生暖かく眺めて頂ければ幸いです。でも、完結済みの『通俗續三國志』の改稿は遅れること確実かと思います。すみませんー。

そんな感じで、一つよろしくお願いいたします。

4件のコメント

  • ははは。私もコメントとwikipedia弛んでおりますが(笑)
    一応、wikipediaは進んではいますので、ご安心ください。さすがに2月は確実です。

    更新が進んでいて驚いたのですが、しばらくは毎日更新ですね。楽しみにしています。しかし、(あれでも)八王の乱をできるだけ分かりやすく書いた苦労が本当に忍ばれますな、酉陽野史。

    日本人には比較的しやすい三国志の人々からあれほど理解不能な一族が、一応の人気者の子孫から生まれてくるとは。時代の世相もあったのかもしれませんが、私はやはり教育に問題があったと思っているので、司馬昭・司馬炎はどんなに他の人が評価しようとも同意する気が起きませんね。

    第二話のコメントに再追伸しましたが、何禎は魏・呉どちらでしょうか?

    >『通俗續三國志』の改稿
    地理はともかく、半分くらいはコメント欄で済んでいると思われるので、別に慌てずともよいかと思えます。モチベーションも大事ですし、必要とまでは思いません。

    確かにやりたい時は一気にいくべきで、先々を考えて出し惜しみして余裕ができたら、モチベーションが落ちるというのはありますね。
  • こんばんは。

    〉更新が進んでいて驚いた

    本サイトの歴史・時代小説のレベルが急激に上がっている感じがあり、触発されてしまいました。
    3日に1回更新なら楽勝クサイんですが、寝かせる意味がないので不定期になるかもしれないですが、早く進めたい感じです。


    〉八王の乱をできるだけ分かりやすく書いた苦労が本当に忍ばれますな、酉陽野史。

    かなり単純化していますが、分かりにくいから仕方ないですね。そのうち八王の乱と永嘉の乱は年表にまとめるかもしれません。史実も整理する方がいいように思いまして。

    深掘りはしていませんが、最近『晋書』に怪異譚が多いところから史書としての質に疑問符をつけています。元ネタとなった十八家晋書からして混乱があったんじゃないかと推測しておりますが、さて。


    〉何禎は魏・呉どちらでしょうか?

    失礼しました。
    何禎は廬江出身ですが、官歴は魏の人ですね。

    しばらくは『續後三國志』に専念します。
  • 晋書は複数編者制を取っているわけですし、せめてそこにスーパーバイザー的立ち位置の人がいれば良かったんでしょうが、その役職を司るべき太宗が……むにゃむにゃ。

    晋書の出来を見ると、この頃の太宗、大分耄碌していたんでしょうね。貞観政要から窺える太宗のイメージからすれば、もっとソリッドな晋書が編めただろうに、と思えてなりません。
  • こんばんは。

    『晋書』微妙ですよね。
    しかし。。。

    唐太宗の歴史好きが極端に振り切っているのはご承知の通りですが、どうも闇が深そうなんですよね。

    常識的に考えれば、兄を殺した玄武門の変がトリガーだろうと考えられるわけですが、遡ると武川鎮軍閥の頭領だった宇文氏からして六鎮の乱に積極的に関与していた節があったりします。

    これは『周書』をじっくり読み込むと明らかに示唆されているクサイんですよね。で、これも唐代に編纂された訳ですから、太宗も承知のはず。

    ということは。。。と言う話を読みやすくまとめたいなあ、というのが一つの目標なんですけど、生きているうちに到達できるのかなあ。
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