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文明活動とマネジメント・サイクルについて

 知的生命活動とは、脳神経系という専門分化した器官により、環境変化に応じて活動を調整(マネージ)、つまり制御することにより、よりよく自己と種族の保存を行う生命活動です。それには事実認識、意思決定・欲求、現実行動という段階があり、それらが循環(サイクル)関係を作っています。簡単に言えば、どうなっているかを知り、どうしたいかに照らしてどうすべきかを決め、その通りにする、そしてそれを繰り返していく、というものです。
 その段階や流れを短く、分かりやすく表わす言葉に『知情意体』というものがありますが、教育では各段階の養成目標として『知徳体』、スポーツなら『心技体』といった表現も使います。
 英語の『Plan,Do,See』という表現は、認識から決定をPlanにまとめ、Seeで次のサイクルの認識を含めて、循環を示します。昔この言葉を見て、欧米の考え方は動的で積極的だなと思っていたら、その後さらにSeeをCheck・Actionとして、次の行動までを明示するPDCAサイクルという言葉が使われるようになりました。
 経済分野ではAIDMA(アイドマ/Attention,Interest,Desire,Memory,Action)の法則、軍事分野でもOODA(ウーダ/Observe,Orient,Decide,Act)ループスという言葉があります。
 作中の文明論でもこうした分析方法に従って、文明活動を科学・技術、経済・社会活動、制度・政策及び価値観に分類しました。文明の発展に伴って、文明活動はこの順序で変化してゆきます。
 マネジメント・サイクルと文明活動の潮流では順序が違うのは、前者が個々の主体の、環境への働きかけの直後で区切った過程であるのに対し、後者が社会全体の、環境への適応も含めた過程だからだと思います。
 例えば、自動車の普及前から全ての課題を予測・防止できるような、完璧な制度・政策を構築・実施することはできません。個人や企業などが自動車を運用し、起きてしまった様々な事故や公害に対処していくうちに、『歩道と車道を分けよう』とか、『環境基準を作ろう』など、共通の社会的合意というか、制度・政策や価値観が固まってくるところが大きいので、社会全体の現象としては技術(認識)⇒社会(行動)⇒政策(決定)の順序になるのでしょう。
 実はサイクルという言葉も、あり方の修正という意味を含んでいます。始めのDOと次のDOが違うのは環境に適応した結果、ということです。言い方を変えれば、文明の潮流とは、技術革新や歳月の経過によって生じた新しい課題や需要に対処していく中で、マネジメント・サイクルによる人々の活動修正が、社会全体に広がっていく過程を表現したものといえるかもしれません。
 制度・政策としては、そうした事実を認識したうえで、『ならば加速化する技術革新や社会の変化に対応するため、我々もまた技術の影響予測や人々の教育・啓発、利害調整・紛争解決を効率化・迅速化して、社会変化と政策対応のタイムラグをできるだけ縮めていこう』という、マネジメント・サイクルを働かせていくことになるのだと思います。

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