(注意書き:7/8投稿の近況ノート、『「解釈」論』をご一読後、こちらの解釈ノートをお読みいただければ幸いです。)
まずは今回の短歌をこちらに再掲。
「闇に燃ゆ 柘榴一輪 紅一点 君がよに吐く 血とも見紛ふ」
この短歌では、2つの情景をイメージしています。
1つは、暗闇に咲く、一輪の真っ赤な柘榴の花。
もう1つは、暗い夜に、女性である「君」が吐血する様子。
タイトルの「病」はこの女性に紐付いています。吐血はかなり深刻な状況だと言われていますので、おそらく彼女は重病に冒されていて、余命も長くないでしょう。
この2つの情景が、読み手にとっては深く結びつき、柘榴の花と血を見紛うほどになっている…というのが大筋でしょう。
短歌の意味は、毎度このくらいの説明にとどめます。
細かい訳などは読者の皆様にお任せします。
次は技巧的な面の説明。こちらの解釈の方が熱が入ってしまう予感。
作者は1つの言葉にいくつも意味を入れる、いわゆる「掛詞」が大好きです。(百人一首で一番好きな短歌は小野小町の9番ですし…)
なので自分で短歌を書くときも、掛詞ほど秀逸に意味を重ねることは難しくても、複数の意味を織り込むことがしばしば。
今回は短歌全体に「死」の影を入れています。
柘榴がその筆頭です。意味はもちろん、赤くて綺麗な花にすることで、その後の血を想起させる役割を持たせています。
彼岸花と悩みましたが、その後の「紅一点」の語源に繋げるために柘榴に(「紅一点」の語源は中国の詩「詠柘榴」)。
「紅一点」は様々な意味がありますが、ここでは柘榴の美しさを際立たせることと、「君」が女性であることを示唆するために、この言葉を選びました。「一」を連続で出すことで、声に出して読んだ時のリズム感も整えています。
そして今回一番作者が気に入っているのが、次の「よ」です。
これはあえて平仮名にしており、「夜」「代」と2つの漢字を当てることができます。
「夜」なら、彼女が夜に吐血する重い病に冒されている様子、つまり「死」のイメージ。
一方、「代」なら「君が代」となります。国歌の名前ですが、元は高貴な人の長寿や繁栄を祝う短歌が元の意味。つまり、「生」のイメージを持ちます。
「よ」という一語が生と死、真逆のイメージを帯びているのです。
とはいえ、重病を抱えた彼女に対して、長寿を祝う、しかもかなり華やかな言葉を選ぶのは、残酷な皮肉と捉えられるかもしれませんね。
実はタイトルの「病」も、彼女の病そのものだけではないかもしれません。
詠み手は、彼女が吐く血を、美しい柘榴の花と結びつけてしまう心の持ち主。病に苦しむその姿すら綺麗だと感じてしまうような、それほどまでに彼女を愛している人が、もしこの短歌を詠んだなら…
ある意味、その詠み手自身も、かなり重い愛の「病」を煩っているのかもしれませんね。
今回の短歌の、作者自身の解釈は以上です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
また次の作品でお会いできれば幸いです。