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過去を掘り返す。

先日何かを形にしたいと近況ノートを書いたところだが、どうにも私は遅筆なのではないかと思う。
いや、正確に言うと筆が遅い訳では無い(と思う)。

つまりどういうことかというと
アイデアというものが湧くのが遅い。
書き出そうとすることが遅い。
書いて着地点を見つけることが遅い。
そんな気がする。

筆が乗った時にはフンフンと書き上げてしまえることもあるのだが、そんなものは稀である。
なお、フンフンと書き上がるものはだいたい短編になる。
というわけで今回は私がこうなった理由を掘り返してみようと思う。

星新一や眉村卓、江戸川乱歩、平山夢明、私の好きな作家、というより本に没頭し始める頃に影響を受けた作家が軒並み短編を得意としている、或いは短編をいくつも世に出している。
彼らだってもちろん長編が面白いことも知っているし、そういったものも面白く読んだ。

だがしかし、私は小さい頃長いものはだんだんと疲れてしまうので最後まで読み切るのに時間がかかり、飽きてしまうのだ。

まあ本が好きと言っても入口はそんなものだ。
最初から京極夏彦を読もうなどと思ったことは無かったし、なんなら1ページ読んで小難しいと読むのを辞めたこともあるくらいだ。

そういったこともあって、文章を書くに至り最も影響を受けたのは星新一であった。
好きな作品は?と言われれば「午後の恐竜」や「ボッコちゃん」というド定番を返すけれど、ド定番こそやっぱりみんなが知るほど面白い証拠じゃないか。
とにかくかなりの影響を受けたこともあって、長くなく、最後数行ですとんと落とすような小気味よいオチがどうにも好きらしい。

ので、私の書く小説は短くて、稚拙ではあるが、必ずオチだけはつけたがる傾向にある。
(純文学には最も向かないなと思う)
決して一冊の本ができるほどの文章に膨らませることが出来ないとか、そういった訳ではない。はず。
きっとそういうことだ。
連載している方などを見ると果てしなく尊敬するし、長編が書きたくないでもないが、どうにも難しい。
ゆくゆく挑戦していきたいなぁという気持ちはもちろんある。
短くて、分かりやすくて、オチがある、それが今の私の書く小説の傾向。


1駅の電車の乗り換えの間にでも、私の小説を読んでくれることを願って。

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