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『スタントの申し子 Act II』思うところを書きます

 1話4段構成にして、コメディ成分を増量しています。
 今日は第2話の増量をして、9,600文字まで増やしました。
 面白くなっていればいいんですけど。


 この作品、コメディとシリアスの間に細い一本の糸が張ってあって、そこを綱渡りしているような手応えです。
 糸を渡っていく際、可能なかぎりコメディに寄せていくと、バランスをとるためにシリアスが必要になっているのかなと。

 単なるコメディは書けないけど、単なるコメディで終わらない作品は書けるのではないか。
 そう考えることにしました。

 コメディに全振りするだけでなく、振り幅をもっと広げることで「面白さ」がより深まる。


 私は感情というものを客観視することしかできないのかもしれません。
 そこが書いた作品すべてが「シリアス」に陥る要因だと思います。
 逆にいうと、そんな私は、意図的に振り幅を広げることもできるのではないか。

 コメディの中にシリアスを仕込む。
 というより、
 シリアスの中にコメディを仕込む。
 になっています。
 今の増量作業がまさにそれです。


 読み手が読みたいのはラブコメ。
 小説投稿サイト「カクヨム」でジャンルとして「ラブコメ」を選びましたから、求められるのも「Web小説として主流のラブコメ」だと思います。
 しかし、新しい切り口のラブコメもあっていいのではないか。
 シリアスを土台としたラブコメもあるのではないか。


 おそらくですが、「Act I」つまり前作『スタントの申し子』はそんな意図を無意識に盛り込んでいたのかもしれれません。
 その無意識が強すぎて、コメディに振れなかったのではないか。


 今、再構成をしている「Act II」は、1話を増量することで、シリアスの中にコメディを調味料としてふりかけています。
 シリアスは私にとっては白米のようなもので、どうしても外せない下地なのではないか。

 そこにコメディをふりかけて味を整える。

 ふりかけすぎるとくどくて食べられませんが、〝ふりかけ〟の量が絶妙なら、おいしくいただけるのではないか。

 そこを狙ってみるのが、本作「Act II」の課題だと認識しました。
 絶妙な〝ふりかけ〟になるよう、増量した1話2300文字でコメディに寄せていく。

 純粋にラブコメを楽しみたい人には、〝ふりかけ〟が違っていると感じられると思います。

 のりたまのつもりで食べてみたら、おかかだった。

 でも、のりたまのつもりで食べた人が、「おかかでもいけるじゃん!」と思ってもらえる作品にまで昇華させられたら。

 Web小説でそこをめざす人はいないのかもしれません。
 もし失敗したら、ミステリーとして「怪盗コキア」「探偵・地井玲香」、戦略戦術に特化した「兵法もの」に注力してもよいと思います。
 ですが、それらにもおかかをふりかけてもいいかなと。
 ミステリーや兵法にも〝ふりかけ〟をかけて読み味をさらに軽くすることもできるはずです。


 と、ここまで考えてみましたが、詭弁であり逃げなのかもしれません。
 ですが、「Act II」で得た学びに、今後の創作につながるヒントが詰まっているようです。

 書きたいように書いてみて、コメディの味が薄いところに〝ふりかけ〟をかけていく。

 学びから次へのステップを見つけ出す。

 当然、進めていくとまったく別の学びがあるかもしれません。
 今もまだ全12話のうち第2話までしか書いていないのですから。
 全話揃った段階でも、まだ〝ふりかけ〟が適量でないかもしれません。

 しかし、今の私に必要なのは、チャレンジすることであり、恐れずにリスクをとることです。
 まったくの無駄に終わるかもしれませんし、損失を受けるかもしれません。
 それでも可能性を追うのは、自分の糧になると信じているからです。

 私の過去作はすべてにおいて〝ふりかけ〟が足りなかった。
 もしコメディ路線が書けないのであれば、ちょうどいい塩梅の〝ふりかけ〟を見つければいい。
 いい塩梅の〝ふりかけ〟を見つけるためには、コメディ要素のある長編を何本でも書くべきでしょう。
 失敗しても学びはあるでしょうし、持っている〝ふりかけ〟を見直すきっかけにもなります。


 やっぱり、詭弁であり逃げを打っているのかもしれませんね。

 でも、シリアス作家がコメディをものにしようと思ったら、書くしかないんですよね。

 「駄作だ」と言われてもいいんです。
 いい塩梅の〝ふりかけ〟を見つけるまでは。
 量を変えたり、種類を変えたり。
 試行錯誤しないで、最高の「Web小説のラブコメ」が書ける人には一生勝てないかもしれません。

 めざすは邪道の「ラブコメ」です。
 抱腹絶倒のラブコメが強いのはわかります。
 コメディとしては『うる星やつら』のほうが『めぞん一刻』よりも評価が高いと思います。
 ですが、物語としての完成度は『めぞん一刻』のほうが上だと私は考えています。

 私がめざすのは『めぞん一刻』のようなラブコメではないか。
 そう感じた、曇天の蒸し暑い日のデイサービス見学でした。

4件のコメント

  • 私も『めぞん一刻』のようなラブコメが書きたいのですが、なかなか難しいですね。
    今度のカクヨムコンもラブコメを3話まで書いて、歴史時代小説にジャンル偏向してしまいました。
  • ラブコメはエンタメ小説の一種です。エンタメ小説ではないラブコメは存在しません。

    で、エンタメとは何か、というと「楽しむためのもの」です。

    つまり「楽しませよう」として書かれていないものはエンタメ小説ではないのです。エンタメ小説でない以上ラブコメには絶対になり得ません。

    「楽しませること」以外の目的を持って書かれたラブコメは、決してラブコメではありません。どんな理屈をつけた、としても、です。

    逆に言うと「楽しませること」という目的が明確であって、男と女が登場すれば、内容がシリアスに偏っていたとしても、それは筆致とセンスと文章技術でラブコメになり得ます。

    そのあたりをよーく考えて書いてみることをオススメします。
  •  月影 流詩亜様、コメントありがとうございます。

     『めぞん一刻』は若き未亡人・音無響子さんの影の部分を通底させながら、五代裕作くんの片思いが一刻館の面々に阻止され続ける、という形のラブコメですね。
     この設定からどうしても亡き夫の影が物語の底にあります。
     上にどれだけコメディ要素を加えても、なかなかラブコメとしては成立しづらいところもありますね。
     単純な「ラブコメ」から見ると「邪道」だと思います。
     『うる星やつら』の作者だから受け入れられた、という面もありそうですね。
  •  ゆうすけ様、コメントありがとうございます。

     おそらくゆうすけ様からそう言われるかなと想定してこの近況ノートを書きました。
     ラブコメはすべからくエンタメ小説なのか。
     というところから、考えてみたのです。

     文学としてのラブコメは存在しないのか。
     ラブコメは必ずエンタメ小説でなければならないのか。
     Web小説としてのラブコメは、エンタメ小説でなければならないのか。

     現在『スタントの申し子 Act II』でラブコメ成分を増量していきますが、シリアス成分を削ることはしていません。
     あくまでも、シリアス成分主体の展開にラブコメ成分をふりかけているだけです。

     「楽しく読めるか」をエンタメ小説の尺度とすれば、シリアスなしの底抜け脱線ゲームのように抱腹絶倒するだけのラブコメだけが求められているのでしょうか。
     シリアスのほうがまさってしまうとラブコメとしては成立しないと私も思います。だからこそのコメディ成分の増量なので。
     シリアスなしに振り切ったラブコメだけが、「エンタメ小説としてのラブコメ」であれば、文学としてのラブコメはどういう位置づけになるのか。

     ラブコメは必ずエンタメ小説であるとは限らないと考えています。
     「カクヨム」がWeb小説投稿サイトである以上、Web小説に求められる「Web小説としてラブコメ」のほうが需要があるのは確かでしょう。
     しかし「カクヨム」に投稿されているラブコメがすべて「Web小説としてのラブコメ」だけというのも、大衆迎合というか、バラエティが乏しいような気もします。

     『うる星やつら』が「週刊少年サンデー」連載で、『めぞん一刻』が「ビッグコミックスピリッツ」連載でした。

     「大人向けのラブコメ」として『めぞん一刻』は大人向けの雑誌連載だったので、「ラブコメ」すべてが「エンタメ小説」とは言い難い。
     もちろん『めぞん一刻』も「エンタメ要素」が強い作品ですが、読み手に考えさせる部分を盛り込んだ作品だと思います。
     『めぞん一刻』は『うる星やつら』よりも「楽しませる」要素は薄かったと思います。

     少なくとも『スタントの申し子 Act II』は1話3段6,700文字を増量して、1話4段9000文字にして、増えたぶんを「楽しませる」ための「コメディ」成分にしています。
     それでも「Web小説としてのラブコメ」と比べれば、底抜け脱線ゲーム感は薄いですね。
     おそらく今の状態の「Act II」を投稿しても、ゆうすけ様から「ラブコメじゃない」と言われるでしょう。
     「アニメ化されたラブコメ小説」だけを見ても、底抜け脱線ゲーム的な徹底したコメディ、「楽しませる」ことに特化したものだけかもしれません。


     とまあ、ここまで考えてきましたが、「Web小説としてのラブコメ」を追うのではなく、「小説として楽めるラブコメ」をめざそうと思います。
     「笑える」ラブコメだけでなく「興味深い」ラブコメもじゅうぶん「楽しめる」に該当すると思いますので。
     ゆうすけ様としては「笑える」がマストかもしれませんが、私は「興味深い」もじゅうぶん鑑賞に堪えると思っております。

     どうせこれまで書いてきた小説は軒並み★評価が低いのですから、さまざまな試行錯誤をして、「Web小説」に求められる「楽しめる」を意識しながら「興味深い」方面を主軸に活動してみる予定です。

     私の長編作品は、当初「兵法もの」一辺倒でした。
     そこから「怪盗コキア」「探偵・地井玲香」で娯楽要素のあるミステリーに踏み出しました。まだ「興味深い」レベルには達していませんが。
     これからも「興味深い」小説を展開してみる予定です。
     それが安定して書けるようになったら、「笑える」要素もプラスしていけばいいかなと。
     どうせ★評価が低いのですから、いくら「Web小説としてのラブコメ」を苦労して書いても評価は低いままのはずです。
     であれば、自分が書けるものをまず書き、少しずつ評価されていくにつれて、「笑える」成分を増やしていく方針がいいかなと。
     今の私には書けないものをいくら志向しても、「書けない」のですから悩むだけ時間の無駄かなと。
     とにかく失敗してもリスクをとりにいく姿勢は崩さず、自己革新を続けていって、自然と「笑えるエンタメ小説」が書けるようになればいいと思っています。
     今は書ける「興味深いエンタメ小説」を志向し、そこへ少しずつ「笑える」成分を加えていくようにしてみます。
     「楽しめる」は「笑える」だけでなく「興味深い」も含むように思えます。
     今は理屈っぽくても、書き慣れてくれば自然に「笑えて興味深い小説」が書けるかなと。


     この結論も、ゆうすけ様からすれば詭弁や逃げに映ると思いますが。
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